ひと夏の経験(3=最終回)北関東にローカル客レが... [ローカル客レに魅せられて]
ここ3日間、タイトルに引っかけて、その話題からスタートしていたわけだが...
思えば、もう何年も(新譜の)音楽CDを買ったことがない。
街で出くわす、ヒットチャートに出ているような曲だって、
大半はTV番組やお店のBGMで「聴いたことがある」程度。
話題性があって、ワイドショーなどでお馴染みの人なら顔と名前程度はわかる。
でも、あまり、そういったメディア露出の多くないグループや
真面目に音楽活動だけに専念しているようなシンガーソングライターの方などは、
まったくわからないのである。
音痴っぷりでは誰にも負けない、そんな自信がある自分でも、大学生くらいまでは
週末深夜TVでヒットチャートをチェックしていたし、CDもそれなりに買っていたが...
いまでは、生まれる前後の70年台の曲が、最も“シックリくる”そんな自分。
やはり、ヘンなのだろうか。(← 何を今さら!?)
【2006年7月23日】 烏山線・宝積寺駅
さて、昨日に続いて、2006年夏の烏山線に客車列車が走ったときの話題。
いよいよ<乗り鉄>編。
…… ……
2006年7月23日(日)晴れ
この日の「山あげ祭り」臨時列車、DD51 888号機+12系客車(高崎車)5両は、
9553レ 快速「烏山山あげ祭り」 上野 9:24発 → 12:17着 烏山
9336レ (普通) 烏山 12:39発 → 13:26着 宝積寺
9343レ (普通) 宝積寺 16:37発 → 17:17着 烏山
9546レ 快速「烏山山あげ祭り」 烏山 17:38発 → 20:40着 上野
という運用。これに伴い、宇都宮-宝積寺-烏山間のキハ40系(宇都宮車)による
烏山線内ローカルが2往復運休となった。ローカル線に臨時列車を設定する際に、
「定期列車のスジに近くなるように設定し、その定期列車を運休にして立て替える」
という措置は、古くからよく見られた。
今回も、烏山駅構内にその臨時列車編成を置いておく場所もないので、
宇都宮運転所まで引き上げないとならず、このため、その“行き帰り”に、
烏山線に「ローカル客レ」が復活することになったのである。
【2006年7月23日】 烏山線・宝積寺駅
それにしても、間合い運用のローカル列車のために、この表示まで用意したなんて...
宝積寺駅ホームに、キハに代わって、第9343列車となるDD51+12系編成が
宇都宮から回送されてくると、ホームでは多くの“同業者さん”がめいめいに撮影開始。
車内も、地元の方よりも<鉄>ばかり。
【2006年7月23日】 烏山線・宝積寺駅
烏山線内ではホームの短い駅が続くため、途中駅のドア扱いは2両だけ。
他の車両は終点までドアを締切扱いにする旨が繰り返し案内された。
普段、ロングシートのキハしか走らない区間に、ボックスシートがズラリと並んだ
デッキ付きの12系客車がいきなりやって来たのだから、地元の人も驚いていた。
でも、車内は大半が明らかにそれと分かる、<鉄>だらけ。
ほぼ定刻で出発したはずだが、確か、混雑と、普段とは勝手が違う列車に
戸惑っていた乗客が多かったため、途中駅で少し遅れたような記憶がある。
終点の烏山へ。
ここで、わずかな時間に折返し作業がはじまる。
電車やディーゼル動車では、運転台のスイッチを切り替えた上で、
運転士さんが、反対側の運転台に歩いて行って出発準備をするだけなのだが、
機関車牽引の客車列車特有の折返しシーン。
いわゆる“機回し”。
機関車を切り離して、客車編成の横を通って反対側に移動。
上り列車の先頭にあたる客車に付け替える必要がある。
このため、どんなローカル線でも終着駅は、ホームのある線の他に“機回し線”が
必要となり、レールには分岐器が必要となり、用地も片面ホームの駅に比べて
倍近くは必要となるのである。合理化を進める中で、この機回し作業が嫌われたのも
日本の鉄道から客車列車が消えていくことになった一因。
【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅
自分は上り方先頭のスハフ12形客車の貫通扉付近でガラス越しに撮影開始。
下り方切り離されたDD51ディーゼル機関車は客車編成の横をかすめて、
宇都宮方の踏切付近へ。
【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅
ポイント転換の後、誘導係の合図で機関車がこちらの線路へ。
【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅
こういう小さな駅での折返しの場合、機関車の誘導、連結作業も車掌さんの仕事。
肩から無線機を提げて、宇都宮車掌区の車掌さん2名が機関車を誘導。
【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅
機関車は客車の手前で一旦停止。
客車側の連結器を準備し、ゆっくりゆっくりと機関車は客車に近づいてくる。
一瞬の衝撃の後、エアホースの接続と試験が済めば、発車準備が整う。
【2006年7月23日】 東北本線・宇都宮駅
日の長い時期の運転だったとはいえ、宇都宮付近では十分暗くなってしまった。
あとは臨時列車特有の長時間停車に合わせて、ホームでの撮影。
ストロボを使用しているのは、若気の至りということで...
【2006年7月23日】 東北本線・宇都宮駅
宇都宮駅停車中の「烏山山あげ祭り」号、もちろん、99%の<鉄>は機関車側へ。
12系客車を撮っているのは、ほんのわずか。
烏山駅での機回しシーンを見ると、この日の車掌さんの制服は、
グレーの夏服だったはず。白い制服の方が写っているが...、駅長さんだろうか??
それとも専務車掌復活??
東北本線(← 宇都宮線なんて絶対呼ばない!!)に入ると、乗客数も疎らに。
大宮到着直前に車内改札があったのを何となく覚えている。
指定券に、スタンプを捺してもらった。
【2006年7月23日】 東北本線・大宮駅
大宮駅でも停車時間を利用して、ちょっとだけ撮影。
わずか2日間だけの臨時快速にもかかわらず、ヘッドマークまで準備したあたり、
何かヤル気を感じる。
【2006年7月23日】 東北本線・上野駅
終着、上野駅に到着すると、やはりホームにはかなりの人だかり。
ディーゼル機関車が上野駅の、地平ホームに乗り入れるというのはなかなか珍しく
いつまで経っても、多くの<鉄>で混乱気味だった。
たぶん、この編成、「このまま高崎まで回送」とはならなかったはず。
いったん尾久まで推進回送され、尾久で整備の上、高崎まで回送となったはず。
いまの自分なら、間違いなく折返しの東北線の普通電車で尾久へ先回り...などと
企てたと思うが、当時の自分は素直に山手線の客になったような...。
…… ……
すでに東京地区には波動輸送に使えるディーゼル動車はない。
機関車は予備があっても客車は蒸機列車を運転するための必要最低数だけ。
上野発の非電化ローカル線直通の臨時列車、国鉄時代にはきっと当たり前だった
であろう、このシーンも、いまでは、実現は極めて困難になっているのだ。(おわり)
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思えば、もう何年も(新譜の)音楽CDを買ったことがない。
街で出くわす、ヒットチャートに出ているような曲だって、
大半はTV番組やお店のBGMで「聴いたことがある」程度。
話題性があって、ワイドショーなどでお馴染みの人なら顔と名前程度はわかる。
でも、あまり、そういったメディア露出の多くないグループや
真面目に音楽活動だけに専念しているようなシンガーソングライターの方などは、
まったくわからないのである。
音痴っぷりでは誰にも負けない、そんな自信がある自分でも、大学生くらいまでは
週末深夜TVでヒットチャートをチェックしていたし、CDもそれなりに買っていたが...
いまでは、生まれる前後の70年台の曲が、最も“シックリくる”そんな自分。
やはり、ヘンなのだろうか。(← 何を今さら!?)
【2006年7月23日】 烏山線・宝積寺駅
さて、昨日に続いて、2006年夏の烏山線に客車列車が走ったときの話題。
いよいよ<乗り鉄>編。
…… ……
2006年7月23日(日)晴れ
この日の「山あげ祭り」臨時列車、DD51 888号機+12系客車(高崎車)5両は、
9553レ 快速「烏山山あげ祭り」 上野 9:24発 → 12:17着 烏山
9336レ (普通) 烏山 12:39発 → 13:26着 宝積寺
9343レ (普通) 宝積寺 16:37発 → 17:17着 烏山
9546レ 快速「烏山山あげ祭り」 烏山 17:38発 → 20:40着 上野
という運用。これに伴い、宇都宮-宝積寺-烏山間のキハ40系(宇都宮車)による
烏山線内ローカルが2往復運休となった。ローカル線に臨時列車を設定する際に、
「定期列車のスジに近くなるように設定し、その定期列車を運休にして立て替える」
という措置は、古くからよく見られた。
今回も、烏山駅構内にその臨時列車編成を置いておく場所もないので、
宇都宮運転所まで引き上げないとならず、このため、その“行き帰り”に、
烏山線に「ローカル客レ」が復活することになったのである。
【2006年7月23日】 烏山線・宝積寺駅
それにしても、間合い運用のローカル列車のために、この表示まで用意したなんて...
宝積寺駅ホームに、キハに代わって、第9343列車となるDD51+12系編成が
宇都宮から回送されてくると、ホームでは多くの“同業者さん”がめいめいに撮影開始。
車内も、地元の方よりも<鉄>ばかり。
【2006年7月23日】 烏山線・宝積寺駅
烏山線内ではホームの短い駅が続くため、途中駅のドア扱いは2両だけ。
他の車両は終点までドアを締切扱いにする旨が繰り返し案内された。
普段、ロングシートのキハしか走らない区間に、ボックスシートがズラリと並んだ
デッキ付きの12系客車がいきなりやって来たのだから、地元の人も驚いていた。
でも、車内は大半が明らかにそれと分かる、<鉄>だらけ。
ほぼ定刻で出発したはずだが、確か、混雑と、普段とは勝手が違う列車に
戸惑っていた乗客が多かったため、途中駅で少し遅れたような記憶がある。
終点の烏山へ。
ここで、わずかな時間に折返し作業がはじまる。
電車やディーゼル動車では、運転台のスイッチを切り替えた上で、
運転士さんが、反対側の運転台に歩いて行って出発準備をするだけなのだが、
機関車牽引の客車列車特有の折返しシーン。
いわゆる“機回し”。
機関車を切り離して、客車編成の横を通って反対側に移動。
上り列車の先頭にあたる客車に付け替える必要がある。
このため、どんなローカル線でも終着駅は、ホームのある線の他に“機回し線”が
必要となり、レールには分岐器が必要となり、用地も片面ホームの駅に比べて
倍近くは必要となるのである。合理化を進める中で、この機回し作業が嫌われたのも
日本の鉄道から客車列車が消えていくことになった一因。
【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅
自分は上り方先頭のスハフ12形客車の貫通扉付近でガラス越しに撮影開始。
下り方切り離されたDD51ディーゼル機関車は客車編成の横をかすめて、
宇都宮方の踏切付近へ。
【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅
ポイント転換の後、誘導係の合図で機関車がこちらの線路へ。
【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅
こういう小さな駅での折返しの場合、機関車の誘導、連結作業も車掌さんの仕事。
肩から無線機を提げて、宇都宮車掌区の車掌さん2名が機関車を誘導。
【2006年7月23日】 烏山線・烏山駅
機関車は客車の手前で一旦停止。
客車側の連結器を準備し、ゆっくりゆっくりと機関車は客車に近づいてくる。
一瞬の衝撃の後、エアホースの接続と試験が済めば、発車準備が整う。
【2006年7月23日】 東北本線・宇都宮駅
日の長い時期の運転だったとはいえ、宇都宮付近では十分暗くなってしまった。
あとは臨時列車特有の長時間停車に合わせて、ホームでの撮影。
ストロボを使用しているのは、若気の至りということで...
【2006年7月23日】 東北本線・宇都宮駅
宇都宮駅停車中の「烏山山あげ祭り」号、もちろん、99%の<鉄>は機関車側へ。
12系客車を撮っているのは、ほんのわずか。
烏山駅での機回しシーンを見ると、この日の車掌さんの制服は、
グレーの夏服だったはず。白い制服の方が写っているが...、駅長さんだろうか??
それとも専務車掌復活??
東北本線(← 宇都宮線なんて絶対呼ばない!!)に入ると、乗客数も疎らに。
大宮到着直前に車内改札があったのを何となく覚えている。
指定券に、スタンプを捺してもらった。
【2006年7月23日】 東北本線・大宮駅
大宮駅でも停車時間を利用して、ちょっとだけ撮影。
わずか2日間だけの臨時快速にもかかわらず、ヘッドマークまで準備したあたり、
何かヤル気を感じる。
【2006年7月23日】 東北本線・上野駅
終着、上野駅に到着すると、やはりホームにはかなりの人だかり。
ディーゼル機関車が上野駅の、地平ホームに乗り入れるというのはなかなか珍しく
いつまで経っても、多くの<鉄>で混乱気味だった。
たぶん、この編成、「このまま高崎まで回送」とはならなかったはず。
いったん尾久まで推進回送され、尾久で整備の上、高崎まで回送となったはず。
いまの自分なら、間違いなく折返しの東北線の普通電車で尾久へ先回り...などと
企てたと思うが、当時の自分は素直に山手線の客になったような...。
…… ……
すでに東京地区には波動輸送に使えるディーゼル動車はない。
機関車は予備があっても客車は蒸機列車を運転するための必要最低数だけ。
上野発の非電化ローカル線直通の臨時列車、国鉄時代にはきっと当たり前だった
であろう、このシーンも、いまでは、実現は極めて困難になっているのだ。(おわり)
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