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神奈川県に“市電”を巡る(6)保存館各車紹介 第4回 1311号車 [保存車・廃線跡]


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~~ ♪ お知らせ ♪ ~~
<非鉄>ネタで気楽につづるサブブログ「金失いの道すがら」を開設しました。
こちら → http://moha14722since1962.blog.so-net.ne.jp
ただいまの最新記事は、先日、撮影地に向かうときに見つけた1枚の立て看板の話題。
こちらも、どうぞ、よろしくお願いします。

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オマエ、このシリーズ、引っぱり過ぎじゃない!?

そんなクレームには取り合わないことにして、今日も引き続き。
昨日は、昭和10年代前半、戦時色が濃くなる以前のモダンな車両をご紹介した。
今日は、戦後の混乱期、激化する混雑に対応するために製造された大型車。

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【2013年10月2日12時46分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 50.0 mm 露出 F5.0 1/60秒 +1/3段補正 ISO800
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

形式写真が撮りにくいので、写真は少なめ。
もう1両の半鋼製大型車、1007号車と違って、ちゃんと車内写真も撮ってきた。
戦後すぐの製造とは思えないくらい、整った印象の車内もご覧いただきたい。

……  ……

01_0Y6C2558.JPG
【2013年10月2日12時46分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 35.0 mm 露出 F5.0 1/60秒 +1/3段補正 ISO800
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

車体長13.8メートル、3扉の大型車で、製造は1947年(昭和22年)。
まさに戦後の混乱期に一気に30両製造された。
まだ、ガソリン事情の良くなかった時期、市電の混雑は激しかったと考えられる。

大型車ながら使い勝手は良かったらしく、最末期の1971年(昭和46年)まで生きながらえた。

手前に写っている紺色ツートンは、明日、紹介予定の1601号車。
ちょうど、この1311号車よりも10歳若い1957年(昭和32年)生まれ。
こちらは全鋼製、軽量化構造となり、近代的なイメージはあるが、
やはり、重厚なイメージのこちらの方が<変態鉄>にはお気に入り。

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【1993年5月】 横浜市磯子区・横浜市電保存館

これまでの記事とは変えて、最初に20年前の姿をご紹介。
そう、このときは廃止当時の“標準塗装”黄色に青帯の姿だった。

帰り際、「館長」の名札を付けたオジサン(つまり、館長さん)に、
現行のパステルカラーの塗色に関して質問してみた。

要約すると、新製後間もない昭和27~29年頃の市電が、
下半ライトブルー、上半クリームのツートンカラーだったとのこと。
ただし、古い時期だけに詳細に関しては不明な点も多いとのこと。

03_0Y6C2582.JPG
【2013年10月2日13時01分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 28.0 mm 露出 F6.3 1/100秒 -1/3段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

鉄道車両と言えば“焦げ茶色塗り潰し”が当然だったであろうこの時代、
パステルカラーの淡い色調の市電は、明るい印象を与えたのだろうか。

それにしても、形式写真が撮りにくいのは、<変態鉄>としてはイライラ。

04_0Y6C2310.JPG
【2013年10月2日11時51分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 40.0 mm 露出 F4.0 1/30秒 +1/3段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

掲げられた系統図は「7」系統のもの。
切り抜き文字の車番、ニス塗り(?)の窓枠...、時代考証的には「?」な要素もあるが、
彩り的には非常に楽しい保存車。

05_0Y6C2308.JPG
【2013年10月2日11時51分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 85.0 mm 露出 F5.0 1/13秒 +1/3段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

これはどの時代のものなのだろうか。
ガラス瓶、王冠付きの「キリンレモン」、自分はかろうじて知っている世代。
飲み終えたガラス瓶をお店に持ち込んで小銭を貰うのが楽しみだったっけ。
ペットボトルが普及する以前の話。

それにしても、この広告の文字も絵も堪らない。す・て・き。

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【2013年10月2日12時25分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 80.0 mm 露出 F5.0 1/30秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

反対側の広告枠には、こちら。
キリンビールのものが多かったのは、なぜだろう。
スキーウェアのデザインも“昭和”な感じが何とも言えないが、
「スタウト」ってビール、自分は知らない。(自分、全く飲めないタイプです。)
“冬飲むビール”って...、ご存知の方は、ぜひコメント欄まで。

……  ……

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【2013年10月2日11時51分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 35.0 mm 露出 F4.0 1/40秒 +1段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

「滝頭」電停が復元されたところに展示されている。
さて、車内へ。

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【2013年10月2日11時52分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 40.0 mm 露出 F4.0 1/20秒 +1段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

3扉車特有のシート配置。半鋼製車らしい木部がよくわかる車内。
ニス塗り、白熱灯照明の車内は他車同様、良い感じ。

08_0Y6C2482.JPG
【2013年10月2日12時28分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 110.0 mm 露出 F5.6 1/50秒 ISO3200
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

車内は末期のワンマン化仕様になっていた。
降車ブザーボタンも他車同様、下から押すタイプ。
そう言えば、行灯式の「つぎとまります」表示器は見当たらなかった。

09_0Y6C2319.JPG
【2013年10月2日11時52分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 35.0 mm 露出 F3.5 1/15秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

乗客数が多かった時代には、きっと力を発揮したであろう幅広、両開きの中ドア。
真鍮製の金具類、曲線を描いた手摺りも渋いことこの上ないのだが、
でも、このドアには...

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【2013年10月2日11時52分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 80.0 mm 露出 F5.0 1/10秒 +1/3段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

締切の表示。ワンマン化で前後ドア車として扱われるようになったのか。
「此のドアー」という表記や「来」の文字の書体、このフォント...
“昭和のかほり”がかなり強く伝わってくる。

11_0Y6C2472.JPG
【2013年10月2日12時26分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 90.0 mm 露出 F5.0 1/30秒 ISO3200
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

ちなみに、運転台直後のドアにはこの表示。自動ドアだったことがわかる。
(ドアの自動化はワンマン化時に施工されたのだろうか??)

12_0Y6C2326.JPG
【2013年10月2日11時54分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 80.0 mm 露出 F5.0 1/8秒 +1段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

保存車の車内を見学するときには、こういうマナー啓発などの表示も見逃せない。
ワンマン化されると、降車できるドアが限定される。
乗降時間が長くなれば、定時運転は厳しくなる。今も昔も変わらない表示だ。

13_0Y6C2315.JPG
【2013年10月2日11時52分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 28.0 mm 露出 F3.5 1/30秒 +1/3段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

やはり、マスコンが、でーんと鎮座する運転台まわり。
背後の仕切りには運転系統図が掲出されていた。

14_0Y6C2321.JPG
【2013年10月2日11時53分】 横浜市磯子区・横浜市電保存館
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 50.0 mm 露出 F4.0 1/8秒 +1段補正 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

東西南北がちょっとイレギュラーだが、北は生麦から南は杉田まで、
両手の指で数えられない系統が運転されていた。「横濱市交通局」の標記も渋い。

という訳で、今日は戦後の混乱期に製造され、最末期まで活躍した大型車1311号車を
ご紹介した。このシリーズ、中断を挟みながら、まだまだ続きます。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 6

たじまーる

運転系統図しびれました(^-^)
自分は鉄道に限らず昔の地図が大好きです。
根岸線開通前の桜木町止まりの路線図、
横浜スタジアム開場前の横浜公園野球場の記載、
歴史を感じさせてくれます♪
キリンの広告類もしびれますよ(笑)
市電の話題ですが、市電車両のお話でなく恐縮です(^_^;)

by たじまーる (2013-10-12 01:52) 

あるまーき

たじまーるさん

コメントありがとうございます。
自分は、あまり横浜には土地勘がないのですが...
それでも古い路線図は見ていて、いろいろな発見がありますね。

最近では、特に路面電車の保存車などで、車内外の広告類まで時代考証の上で正確に再現した例を見かけます。本文中でも書いた通り、マナー啓発や広告類から当時の時代背景を考えてみるのも、保存車を見学するときの楽しみになっています。

コメント、本文に少しでも関連するものなら、どんなものでも大歓迎です。今後ともよろしくお願いします。
by あるまーき (2013-10-12 02:01) 

Cedar

横浜市電は都電の次に馴染みのあった電車です。
麦田車庫の裏に親戚が住んでいて、桜木町から尾上町、元町からトンネル抜けると麦田、お写真にある大型車と4輪単車が混じって走ってました。1600型の4枚折戸も珍しかった。
by Cedar (2013-10-12 22:15) 

あるまーき

Cedarさん

コメントありがとうございます。
横浜の街には市電がよく似合っていたのかも知れません。でも、全廃が自分が生まれる6年前のことですので、写真で見るだけです。
トンネルを抜けるシーンも見た記憶があるような...

現役時代をご存知というのが羨ましい限りです。
東京都交通局にも、こんな「保存館」を建てて、1100とか5000とか未更新7000とか軽量車8000とか...、そんなラインナップを展示して欲しかった気がします。
by あるまーき (2013-10-12 23:08) 

いっぷく

市電で両開きドアですか
これはずいぶんと先進的でしたね
ニス塗り。懐かしい!
by いっぷく (2013-10-13 05:57) 

あるまーき

いっぷくさん

コメントありがとうございます。
この世代の車両を中心に幅広の中央ドアをもつ3ドア車は全国にあったかと思います。ただ、路線撤去の過程で優先的に廃車されたり、ワンマン改造でドアを自動化する際に改造されたりと、現存するのは少ないと思われます。

ニス塗りの車内、座席の袖仕切りまで木製で、真鍮製の手摺り、押し縁等の木部の仕上げ...、少し薄暗い感じの車内には懐かしさを感じます。高校生当時、それが楽しみで、通学経路を「世田谷線経由」にしていました。当時は、半鋼製車が残っていてこの雰囲気をほぼ毎日味わっていました。
by あるまーき (2013-10-13 23:50) 

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