ローカル客レに魅せられて(2) ~ 山陰本線 ~ [ローカル客レに魅せられて]
(2)って、(1)はどこにあるんだ!?
そんな声が聞こえてきそうな、この話題。
(1)は岐阜県の樽見鉄道を走っていた通学列車をとりあげた。(→ こちら)
そのときと同様、まずはこの名曲。
♪ 魅せられて/ジュディオング
今日の東京は、南向きの窓を開けても大丈夫な涼しさだった。
…… ……
機関車が先頭にたって、動力のない客車を牽引するのが客車列車。
堅い言い方をすると「動力集中式」。
世界的には、いまだコレが主流だが、山を越え川を渡り、厳しい環境の中を走る
日本の鉄道は、戦後、「動力分散化」というのを基本方針とし、床下にモーターを
備えた「電車」、ディーゼルエンジンを備えた「気動車」を中心とする、
独自の進化を重ねた。
さて、「客車列車」は、動力源を床下に持たない分、
騒音・振動が少なく乗り心地が良い、運転コストが低いとされること等のメリットもあり、
全国各地で、通勤通学時間帯の輸送力列車を中心に長らく残ってきた。
しかし、それらも分割民営化後の車両配置や更新の関係もあり、
20世紀末には風前の灯火。
…… ……
そういう、珍しくなったものが気にならないはずがない。だが、首都圏にはすでになく、
いつの間にか、客車列車王国・東北地方も3ドア電車に置き換えられ、
もう1つの王国(だった)山陰本線も、まもなく最後のときを迎える、と聞き、
かろうじて残った、早朝の鳥取-米子間の列車に乗りにいったのは全廃を3日後に控えた
1997年3月18日・火曜日のこと。
前夜の急行「だいせん」で4時過ぎの鳥取駅。
1時間余りの接続で、米子ゆきの普通列車(421レ)。
【1997年3月18日】 山陰本線・鳥取駅
青い12系客車5両の先頭にDD51ディーゼル機関車が連結された。
当日の編成は、こんな感じ。
421レ 鳥取 5:34 → 7:49 米子
↑ 米子
DD51 1118
オハフ13 1005 附
オハフ13 54 附
スハフ12 147
オハ 12 357 【乗車】
オハフ13 65
わずかな乗客で、まだ暗い鳥取を出て、倉吉付近から通学客が増え始め
米子が近づくとデッキまで埋まる程度。
始発・終着時の2回、電子音のハイケンスだが録音失敗。
【1997年3月18日】 山陰本線・米子駅
米子に着いた通学列車は、満員の高校生たちをホームにはき出すと、
反対側にDE10が連結され、車庫に引き上げられる。夕方のラッシュまでの長い昼寝。
【1997年3月18日】 山陰本線・米子駅
と、乗るには乗れたが、ロクな写真も撮れなかったし、
このために買ったMDでの車内録音も大失敗。何も記念になるものを残せなかった。
…… ……
そうすると、何かが欲しくなる。
ということで、「これを模型で再現!」となったのである。
大阪万博輸送に備えて投入された「12系急行型客車」、
のちに通勤化改造されたのが1000番台、無人駅での集札業務の便をはかるため
車掌扉が取り付けられたのと、青い車体のアクセントだった白帯が抹消されたのが
目立つポイント。東北の2000番台は、この通勤化改造車だけで運用されたが、
山陰では本来の白帯付き12系と混結するのが原則だった。
(東北は電源の関係、山陰は改造時にトイレを撤去していたため)
KATOの12系を大量購入し、そのうち2両の白帯を消して、「青色20号」で再塗装。
インレタで当時の米子(後藤所)にいた車番を入れたくらいか。
車掌扉は国電用のエッチングパーツを組み込んだものだったと思う。
まぁ、製作以降、運転する機会もないし、製作予定のレイアウトも
客車5両+機関車は入線できないし...
でも、途中放棄せずに仕上げた数少ない車両改造なのである。
と、2日連続の模型ネタ。
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そんな声が聞こえてきそうな、この話題。
(1)は岐阜県の樽見鉄道を走っていた通学列車をとりあげた。(→ こちら)
そのときと同様、まずはこの名曲。
♪ 魅せられて/ジュディオング
今日の東京は、南向きの窓を開けても大丈夫な涼しさだった。
…… ……
機関車が先頭にたって、動力のない客車を牽引するのが客車列車。
堅い言い方をすると「動力集中式」。
世界的には、いまだコレが主流だが、山を越え川を渡り、厳しい環境の中を走る
日本の鉄道は、戦後、「動力分散化」というのを基本方針とし、床下にモーターを
備えた「電車」、ディーゼルエンジンを備えた「気動車」を中心とする、
独自の進化を重ねた。
さて、「客車列車」は、動力源を床下に持たない分、
騒音・振動が少なく乗り心地が良い、運転コストが低いとされること等のメリットもあり、
全国各地で、通勤通学時間帯の輸送力列車を中心に長らく残ってきた。
しかし、それらも分割民営化後の車両配置や更新の関係もあり、
20世紀末には風前の灯火。
…… ……
そういう、珍しくなったものが気にならないはずがない。だが、首都圏にはすでになく、
いつの間にか、客車列車王国・東北地方も3ドア電車に置き換えられ、
もう1つの王国(だった)山陰本線も、まもなく最後のときを迎える、と聞き、
かろうじて残った、早朝の鳥取-米子間の列車に乗りにいったのは全廃を3日後に控えた
1997年3月18日・火曜日のこと。
前夜の急行「だいせん」で4時過ぎの鳥取駅。
1時間余りの接続で、米子ゆきの普通列車(421レ)。
【1997年3月18日】 山陰本線・鳥取駅
青い12系客車5両の先頭にDD51ディーゼル機関車が連結された。
当日の編成は、こんな感じ。
421レ 鳥取 5:34 → 7:49 米子
↑ 米子
DD51 1118
オハフ13 1005 附
オハフ13 54 附
スハフ12 147
オハ 12 357 【乗車】
オハフ13 65
わずかな乗客で、まだ暗い鳥取を出て、倉吉付近から通学客が増え始め
米子が近づくとデッキまで埋まる程度。
始発・終着時の2回、電子音のハイケンスだが録音失敗。
【1997年3月18日】 山陰本線・米子駅
米子に着いた通学列車は、満員の高校生たちをホームにはき出すと、
反対側にDE10が連結され、車庫に引き上げられる。夕方のラッシュまでの長い昼寝。
【1997年3月18日】 山陰本線・米子駅
と、乗るには乗れたが、ロクな写真も撮れなかったし、
このために買ったMDでの車内録音も大失敗。何も記念になるものを残せなかった。
…… ……
そうすると、何かが欲しくなる。
ということで、「これを模型で再現!」となったのである。
大阪万博輸送に備えて投入された「12系急行型客車」、
のちに通勤化改造されたのが1000番台、無人駅での集札業務の便をはかるため
車掌扉が取り付けられたのと、青い車体のアクセントだった白帯が抹消されたのが
目立つポイント。東北の2000番台は、この通勤化改造車だけで運用されたが、
山陰では本来の白帯付き12系と混結するのが原則だった。
(東北は電源の関係、山陰は改造時にトイレを撤去していたため)
KATOの12系を大量購入し、そのうち2両の白帯を消して、「青色20号」で再塗装。
インレタで当時の米子(後藤所)にいた車番を入れたくらいか。
車掌扉は国電用のエッチングパーツを組み込んだものだったと思う。
まぁ、製作以降、運転する機会もないし、製作予定のレイアウトも
客車5両+機関車は入線できないし...
でも、途中放棄せずに仕上げた数少ない車両改造なのである。
と、2日連続の模型ネタ。
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♪うぇーでぃーふぇーにーほーひーへーじゃー(よく聞き取れない) 女は海~
せっかくですから、都内のレンタルレイアウトに持参してみてはいかがでしょうか。
東急目蒲線・大井町線の大岡山駅より歩いてすぐの「B1ワンダーランド」や、大井町駅近くのIMON(模型店)に設置されているレンタルレイアウトを利用したことがありますが、1~2時間の利用でも結構楽しめました。
by @赤坂 (2012-07-23 18:57)
12系2000番台の客レ、懐かしいですね。
私は東北本線でよくお世話になりました。
この頃は乗り鉄中心で記憶が曖昧なのですが、
東北よりも山陰の方が遅くまで残っていたのですね。。。
by あおたけ (2012-07-23 19:02)
@赤坂さん
Wind is blowing from the Aegean.
(直訳すれば「風がエーゲ海から吹いている」)でしょうか。確かに聞き取りづらいところですよね。実は、この作詞が阿木耀子だったのを最近知りました。
さて、この12系、写真に3両しか出ていないところが問題なのです。
つまり、残り2両は未だ「改造中」ですし、DD51もそのままなんです。
それを何とかしないとなりません。
でも、レンタルレイアウト、行ってみようかな...
あおたけさん
東北地方で残った12系2000番台は、この2~3年前には701系への置き換えが済んでいたように記憶しています。勝手な推測ですが、「出雲」「だいせん」で米子のDD51は定期運用があったほか、東北の2000台と違って、米子の12系は操配用と混用でしたから、完全に置換されずに、多少生き残りやすかったのではないかと思っています。
by あるまーき (2012-07-23 19:49)