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路面電車のダイヤモンドクロスを見る旅(33=最終回)公園にて= 後編 = [保存車・廃線跡]

1ヶ月以上にもわたって引っぱってきたこのシリーズもいよいよ最終回。
書いている本人ですら、あまりにも長くなってしまって、最初の方に何を書いていたか
覚えていない位なのだから、読んでいる皆さんとしては...

何だか読んでいただくのが申し訳ないような... ← だったら、書くなっ!!

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【2016年3月4日15時42分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

梅の時期の訪問だったのが、記事を書き終える今、東京のソメイヨシノも散って
春から夏に向かい始める時期を迎えてしまった。ちなみに、明日からは3月8日、
<変態鉄>の“誕生日イブ”の寂しい撮影記をお送りする予定。

では、引き続き、「さぬきこどもの国」の話題。
……  ……

2016年3月4日(金)曇り一時晴れ

少し前の記事で、吉祥寺の書店で「ことでん」の本を衝動買いしてしまった話題を
取り上げた。この本、予想に反して、そこらの<鉄>本にありがちな、
現役車両を網羅的しただけの本ではなかった。

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(森貴知 『琴電100年のあゆみ』 JTBパブリッシング 2012年3月 )

車両面が中心ながらも、それ以外についても、エピソード的なものを盛り込みながら、
興味深い観点でまとめられていて、これまでの訪問時、沿線で当たり前のように
見ていた物が、100年にわたる「ことでん」の歴史の中で、どんな意味を持っていたか、
初めての話が多く、<変態鉄>にとってはすごく役に立った。
(「ちてつ」についても、誰か、こういう本を出版しないかなぁ...)

その中で、この「さぬきこどもの国」に保存された62号車についても。
でも、このときは、ただ何となく漫然と記録写真を撮っただけだったのだ。
その記述などを参考にしながら、久々の(?)、保存車レポート。

でも、その前に。

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【2016年3月4日15時26分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

NH998便が飛び立つのを必死に追った地点の少し先に見えてくるのが1機のヒコーキ。
そう、国産旅客機YS-11である。
“同世代”の団子鼻の新幹線0系車両にも似た顔付き。う~ん、堪らん。

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【2016年3月4日15時27分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

説明板によれば、この機体はJA8743、1969年(昭和44年)に伊丹-長崎線で初飛行
だから、YS-11としては比較的後期の機体だろうか。
最後の営業フライトは1997年9月の稚内-丘珠(札幌)便。
全日空系のANK(エアーニッポン)の機体だった。その後、高松まで“最後のフライト”、
この公園で静態保存されている。期日限定で機内も公開されているようだが、
この日はもちろん、見学日ではなかった。

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【2016年3月4日15時26分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

<変態鉄>が幼稚園から小学校の頃、まだ沖合に移る前の羽田から富山まで
全日空のヒコーキを利用することは多かったが、この頃は“プロペラ機”だったが、
たぶん、YSではなかったはず。ちょうど昭和60年前後、富山にもジェット機が
就航することになったのは、“一大事”として話題になったと朧気に記憶している。

だからこそ、YS-11型機というのは<変態鉄>にとって“永遠の憧れ”なのである。
以前、埼玉県に静態保存されている機体を訪れたこともある(→ こちら)。

……  ……

そのすぐ隣に保存されているのが、ことでん62号車。

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【2016年3月4日15時43分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

何だか、それほど古い電車という感じはしない外観だが...

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【2016年3月4日15時30分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

説明板には「日本一長く走りつづけた電車」として、「大正2年(1913年)に東京で
製造され(中略)平成14年12月に引退するまでの89年間、日本一長く走りつづけた電車」
とある。ただ、この記述に“問題あり”と指摘する<鉄>は以前から多く、
<変態鉄>としては「ふぅ~ん、でも、別に虚偽でもないし...いいじゃん」程度の
認識だった。

それが...、冒頭の本である。

この電車が引退したのは2002年(平成14年)、瓦町の「そごう」デパートの件で
高松琴平電鉄が経営破綻したのは、その前年のこと。民事再生法の適用、
再建には国や自治体の補助制度を最大限活かして設備と車両の更新が行われた。
当時、「動く電車の博物館」の異名をとった大正・昭和初期製造の旧型車が中心の
車両たちは非冷房車。冷房化率向上が急務とされ、名古屋市営地下鉄の廃車を
改造して投入していた時期。それで62号車も引退を迎えることになった。

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【2016年3月4日15時36分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

2002年(平成14年)のお別れ運転を伝える新聞記事で「日本最古の電車が引退」との
記事を見た当時の香川県知事がトップダウンで保存・活用を指示したとか(p.136)。

でも、それが、ある意味、マスコミらしい書き方に過ぎなかったわけで...

この電車の出自は確かに1913年(大正2年)に天野工場で製造された京濱電鉄
(京急の前身)の木造車。説明板にある「東京急行電鉄で6年間」というのは、
戦時中、陸上交通事業調整法で、いまの京王・小田急・東急・京急・相鉄などが
1社に統合されたときのこと。 (<鉄>の間では“大東急”として区別している)

戦時中から戦後は整備も行き届かず、戦災車や故障車も資材不足で修理もできず。
折しも、ガソリンもなかった時代、自動車は木炭代燃でかろうじて走っていたとき、
にもかかわらず、日々の運行もままならない鉄道会社が相次いだ。

ということで、運輸省主導で東京・大阪圏の大手私鉄に新車を優先的に投入し、
その大手の中古車を琴電などの地方私鉄に融通するという措置が講じられた。

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【2016年3月4日15時34分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

その、木造電車たちのグループの中の1両が、のちの62号車。
ただ、譲受した頃から、その中でもすこぶる調子が悪かった車両で、まもなく
運行に支障が出るほどに状態が悪化。1953年(昭和28年)、琴電今橋工場で
木造車体を廃棄し、タネ車の台枠を利用して鋼製車体に更新する工事が実施された。
いまの62号車はこのときの車両。車内には、その改造銘板も残っていた。

でも、このときの改造、先の文献によれば「台枠の再利用といっても実際は
センターシールなどを鋼材として再利用したものであり、内容的には
更新名義の半鋼製車体新造であった」(p.103)とのこと。

でも、逆にそれが「おそらく設計から製作まで一貫して香川県内で行われた
初の事例であり、香川県内の工業史的な視点からみても大変貴重な産業遺産
ではないか」(p.153)と先の文献。“最古”かどうかに関係なく意義深い
保存車であるのは間違いなさそう。

と、小難しい話が続いたが、車両を観察してみると...

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【2016年3月4日15時30分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

検査標記は「15-6 仏生山工場」、平成14年末の引退後、保存に向けて整備された
ときのものだろうか。

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【2016年3月4日15時31分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

YS-11とは違って、こちらは公園の開園時間には常に内部が開放されている。
緑色フカフカのシートは、ことでんでは“標準仕様”。

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【2016年3月4日15時37分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

広告枠には、ことでん旧型車たちの活躍を紹介する写真が展示され、
扉の鴨居部分には長尾線の路線図が掲げられていた。学園通り駅は、62号車が
廃車となる2002年、その9月に開業した新駅。たぶん、廃車当時の路線図だろう。

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【2016年3月4日15時35分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

よく見れば、網棚の縁は何だか曲線的な造形なのであった。

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【2016年3月4日15時36分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

乗務員室内の機器もよく残っていた。
親子連れが車内で遊んでいて、その動きをかわしながらの撮影だったのだが...
地元の方だろうか、この保存電車のことをよくご存知みたいで。
ドアスイッチの下にあるのは車内放送マイク、これを持ち上げて...
<変態鉄>は知らなかったのだが、この電車、車内放送の電源が生きていた。
子どもたちがアナウンスをして遊んでいたのである。

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【2016年3月4日15時41分】 香川県高松市・さぬきこどもの国

「ヒコーキが飛ぶよぉ~」、遊んでいる子どもたちを呼ぶお母さんの声。
<変態鉄>もカメラをもって駆け出したのだった。

JALのB737型機が羽田に向けて飛び立っていった。

……  ……

空港からタクシーでやって来たときの道順を覚えておいた。
この、ことでん62号車の近くに公園の出入り口があり、滑走路の下を潜るトンネルがある。
ちょっと怖かったが、歩いてそのトンネルを抜け、空港公園の中を歩けば、
徒歩20分ほどで空港ターミナルビルに戻ることができた。

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【2016年3月4日17時54分】 NH538便機内

NH538便は17時過ぎ、高松空港を離陸したのだった。
首都高の渋滞で少し遅れたものの20時頃、自宅に戻った。(おわり)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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