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18. 地図から消された駅(立山線・旧上横江駅) [探訪!! ちてつ百景]

今日も、日馬富士に土!! う~ん、妙義龍の意地、うれし~ぃ。
豪栄道の活躍が目立っていた今場所、境川部屋のこの人も意地を見せてくれた。

さて、今夜で、1月近くにわたった「富山地鉄」ネタはとりあえず最終回。

地鉄電車の車内も、ドア付近の壁面には路線図が掲出されている。
ちょっと色褪せた感じが何とも言えない渋さだが...

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【2012年10月8日11時20分】 富山地鉄・クハ172車内(電鉄富山駅停車中)
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 120.0 mm 露出 F5.6 1/100秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

立山線のところを見ていると、岩峅寺の少し先にシールで目隠しされた箇所が
あるのに気付く。シールを貼ってから時間が経過して糊が劣化したのか、
それとも、イタズラされたのか、剥がれてしまっているものも。

あのクハ172の車内に掲げられた路線図でも「上」の文字が顔を出し始めていた。
……  ……

いまでは立山線で、横江の次は千垣。
でも、1965年(昭和40年)から1997年(平成9年)までの30年間余りだけ
横江-上横江-千垣だった。「横江駅と千垣駅の間には上横江駅があった」のである。

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【2012年11月5日11時23分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon PowerShot SX100 IS
焦点距離 6.0 mm 露出 F4.0 1/400秒 ISO200 WBオート

廃駅から15年、その「遺構」は、いまも立山線の車窓に確認することができる。
10月と11月に2回にわたって、その上横江駅跡を訪れた。

……  ……

岩峅寺を過ぎた立山ゆき電車は、県道6号線と寄り添い、やがて横江の駅に停まる。

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【2012年11月5日11時18分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近(県道6号線)
<撮影データ>
Canon PowerShot SX100 IS
焦点距離 60.0 mm 露出 F4.3 1/320秒 ISO200 WBオート

横江駅で下車して、千垣に向かって県道を歩くと5分ほどで、こんな標識。

04_IMG_3139.JPG
【2012年11月5日11時19分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近(県道6号線)
<撮影データ>
Canon PowerShot SX100 IS
焦点距離 9.1 mm 露出 F4.0 1/640秒 ISO200 WBオート

「この先200 m、踏切」
にわかに信じられない気もするが、未舗装の道に足を踏み入れた。

05_IMG_3141.JPG
【2012年11月5日11時20分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon PowerShot SX100 IS
焦点距離 10.3 mm 露出 F4.0 1/320秒 ISO200 WBオート

向こうの方に第4種踏切標識、発見!!
曲がりくねった細い道、「クマ除けの鈴を持っていった方が良いですよ」
事前に相談すると、拙ブログ常連のT_sagaさんからアドバイスされたが、
あいにく鈴なんて用意していない。時折、県道を走るクルマの音が聞こえてくる以外は、
鳥のさえずりと常願寺川の水の音、ホントにただそれだけ。

0Y6C5976.JPG
【2012年10月8日8時16分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 35.0 mm 露出 F10.0 1/500秒 ISO400
シャッター速度優先AE AIフォーカスAF WB太陽光

まるで忘れ去られたかのように、色褪せた標識、
2回とも、写真を撮っていた間に通りかかる人は誰もいなかった。

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【2012年10月8日8時10分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 70.0 mm 露出 F7.1 1/500秒 ISO400
シャッター速度優先AE AIフォーカスAF WB太陽光

踏切を渡るが、特に周囲には建物も何もない。
でも、<鉄>としては近くの架線柱に1箇所だけ、こんなアイテムを発見。
単線の駅間の線路、そこに信号機が建植されていた証拠?

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【2012年10月8日8時13分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 50.0 mm 露出 F9.0 1/500秒 ISO400
シャッター速度優先AE AIフォーカスAF WB太陽光

見渡してみて目につくのは、等間隔に並んだコンクリートの支柱。
板塀の跡のようにも見える。駅舎に板塀はあまりない気もするが、
工場か、駅前だと農協倉庫か...ある程度の規模の建物が建っていたということ?

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【2012年11月5日11時27分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon PowerShot SX100 IS
焦点距離 7.3 mm 露出 F4.0 1/500秒 ISO200 WBオート

ちょっと引いて見てみると、この支柱があった付近は線路より少し高い位置。
何かないかな~? と探してみると...

IMG_3146.JPG
【2012年11月5日11時23分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon PowerShot SX100 IS
焦点距離 6.0 mm 露出 F4.0 1/320秒 ISO200 WBオート

石積みの跡。ここに駅のホームがあったことを静かに語っている。
先ほどの踏切側、ホームの先端がこの位置にあったということ。

09_IMG_3152.JPG
【2012年11月5日11時25分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon PowerShot SX100 IS
焦点距離 7.3 mm 露出 F4.0 1/250秒 ISO200 WBオート

草で覆われて見づらいが、この先、千垣方に向かって数十メートルにわたって
石積みの跡は続いている。電車3両分以上の有効長はあったのだろうか。

……  ……

さて、周囲には、わずかばかりの農地が広がるだけ、後はこの駅の廃墟だけしかない。
この地に駅が置かれたのは、地鉄立山線の前身、富山県営鉄道が岩峅寺から
ここまで延長されてきた、1921年(大正10年)4月のこと。
当時の駅名は「横江」。いまの横江駅の位置には駅は置かれなかった。
立山に向かって延伸していった県営鉄道、2年後には千垣まで開業、
終着駅としての地位は失った。それでも、横江駅としての歩みを続けていったのである。

1931年(昭和6年)5月、この駅の600 mほど手前(岩峅寺方)、横江の集落に近い位置に
尖山駅(現在の横江駅)が開業。異例の短い駅間距離。でも横江にお住まいの方の利用が
この新駅に転移することは容易に想像できたのではなかろうか。

1943年(昭和18年)には、統合で富山地方鉄道の横江駅となった。
その後、1965年(昭和40年)4月、尖山駅の方が「横江」に改称、旧来の横江、
つまり、この廃駅は、押し出されるかのように「上横江」に改称することになった。
もともと、横江の集落から外れた位置にあった駅。廃れていくのは自然の流れ...

1995年頃には1日平均乗降客数「0」を記録したと言われる。
末期には朝7時台の電鉄富山ゆきと夕方の立山ゆきが停車する以外、
普通電車も通過することになっていたという。廃止は1997年(平成9年)4月1日付。

いま、この周囲の線路沿いにはススキがキラキラと輝いているだけ。
ひっそりとした静けさを取り戻している。

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【2012年11月5日11時22分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon PowerShot SX100 IS
焦点距離 20.1 mm 露出 F4.0 1/400秒 ISO200 WBオート

この地に駅を設置したのは、地鉄の前身、富山県営鉄道の失策だったのか?

否、決してそんなことではない。
集落からは離れているが、この付近、岩峅寺方は急カーブ、千垣へは上り急勾配。
立山に向かって延伸していく段階で、わずかばかりの平坦な土地があれば、
そこを「前線基地」のような位置づけで、終着駅とするのは、
当時として当然の選択だったのだろう。

かつて、それはわずかな期間ではあっただろうが、立山登山の玄関口として
栄えたとも言われている。

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【2012年10月8日8時09分】 富山地鉄立山線・旧上横江駅付近
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 35.0 mm 露出 F3.5 1/500秒 ISO400
シャッター速度優先AE AIフォーカスAF WBオート

板塀(の支柱)だけが残っていた、あの廃墟、かつてはこの付近から
千垣の方に向かい、県道6号線と立山線が立体交差するあたりから
常願寺川の対岸に向かって、トロッコの線路が延びていたとも言われる。
沿線開発の資材輸送拠点としての役割を持っていたことも考えられる。

……  ……

草むしたホームの石積みの跡、線路との位置関係から考えて、
2面2線以上の規模の駅だったはず。

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【2012年10月8日7時51分】 富山地鉄立山線・千垣-横江
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 130.0 mm 露出 F5.6 1/500秒 +2/3段補正 ISO400
シャッター速度優先AE AIフォーカスAF WB太陽光

でも、スッカリ忘れられたこの駅は、いまでは静かに土に還ろうとしていた。
この朝も、速度を落とすことなく電鉄富山ゆきが駆け抜けていった。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 2

やぶお

あるまーきさん、こんにちは。

うんちくのあるお話・・・たちまち引き込まれました。
地鉄立山線にこのような廃駅があったとは初めて知りました。
しかもその廃止年代はそれほど昔のことでなないのですね。

お話からただ単に停留所ではなく、
2面2線の規模だったというのも驚きでした。
ただお写真では確かに人家が見当たらず、
現役なら秘境駅として認定されていたかしら・・・
by やぶお (2012-11-28 20:43) 

あるまーき

やぶおさん

こんばんは。「秘境駅」に見えるのですが、直線距離で50メートルくらいの所には県道6号線が通っており、大型車の走行音も聞こえてきます。ただ、記事中にも書いた通り、横江の集落からはかなり離れており、1日平均乗降客数が「0」だったというのも頷ける立地です。

でも、調べてみると、大正時代に、この上横江(当時は横江)まで地鉄の前身・県営鉄道が延伸されてきたことが、立山連峰が「信仰の山」から「レジャー登山の対象」に変わる契機となったそうです。わずか2年間ではありますが、ここが登山客の基地として賑わった時期もあったようです。

ちなみに、ここの他、立山-本宮間にも「粟巣野」という廃駅があって、いまでもホームが残っていますが、<徒歩派>には到底アクセスできない場所にあります。
by あるまーき (2012-11-28 23:30) 

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