あの頃、キミは蒼かった。(2009年8月の糸魚川駅) [その他の鉄話]
最近、ずっと「会いに行きたい」のに会えていないキハが居る。
そう、いすみ鉄道の国鉄型キハ。キハ52 125+キハ28 2346の「観光急行列車」。
混雑を覚悟でお盆休みに“出撃”しようかと画策中の<変態鉄>なのだが...。
拙ブログの“ネタ切れ”状態も続いており、HDDを漁ってみるくらいしか
策がなくなっており。今日、ご紹介したいのは2009年8月の糸魚川で撮ったもの。
【2009年8月12日20時02分】 大糸線・糸魚川駅
「飛越ゴハチ」と大糸線のキハを“掛け持ち”、確か、糸魚川でホテルをとった
ような気がする。まさか、キハを撮る合間に昼食をとりに立ち寄った付近が
その数年後に大火で、あんなことになるとは思いもせず。
「飛越ゴハチ」よりも1年ほど早く、最後の日を迎えた大糸線キハ52。
やはり、こちらも気になっていたのだった。
…… ……
2009年8月12日(水)晴れ
この朝の撮影は富山からだった。飛越ゴハチの“朝運用”は国鉄急行色編成。
【2009年8月12日9時12分】 高山本線・西富山駅
国鉄色の越中八尾ゆきに続いてやってくる速星の化成品工場向けの貨物列車。
このとき、先頭に立っていたのは国鉄色のDE10ディーゼル機関車だった。
当時はあまり珍しくないシーン、でも、8年経つと貴重な記録である。
速星ゆきの貨物列車自体はいまも健在だが、国鉄色はおろか、つい先日、
DE10型の後継機も落成。ついこの前のような気もするのだが、時間の経過を
感じずには居られないのである。
富山駅からは北陸本線で移動したはず。「青春18きっぷ」で普通電車に乗ったか、
あるいは、奮発して「北越」か「はくたか」かで、ビューンと移動したのか!?
記録もなく記憶も定かで無い。
【2009年8月12日13時03分】 大糸線・糸魚川駅
お昼過ぎには糸魚川に移動していた。新幹線工事は始まっては居たが、
まだ、あの広い駅構内、何と言っても煉瓦の機関庫も健在。国鉄時代から変わらぬ
情景が広がっていた。
大糸線のキハが発着していたのは、北陸本線ホームの西側にあった欠取りホーム。
ホームで発車を待っているのが、キハ52 125号車。戦前から昭和30年台前半までの
国鉄気動車標準色、「黄褐色2号+青3号」という地味な色合いは写真映えせず、
しかも、キハ52 100番台の新製当時、標準色は朱色のツートンカラーに変更済み、
この車輌が実際に纏っていたカラーではなかったこともあって、人気は...
正直言って、当時の<変態鉄>も、このカラーが来るとガッカリだったのである。
まさか、その125号車が、このあと房総に転じるとは...
【2009年8月12日15時13分】 大糸線・根知-頸城大野
そして、この後、<変態鉄>がやって来たのは頸城大野駅の南側、山の中へと
入っていく付近だった。独特の山容をもつ雨飾山が姿を見せれば、大糸線らしい
写真が撮れるのだが...、この日は雲の中。
“一番人気”だった朱色ツートンのキハ52 125号車を車輌アップで。
ちなみに、この車輌は現在、津山の「まなびの鉄道館」で保存されている。
【2009年8月12日16時53分】 大糸線・姫川-頸城大野(後追い)
その後は“定番”、頸城大野駅北側の田園地帯にやって来たわけで。
この時間帯になって雨飾山も姿を見せてくれて。夕方の斜光線、
最高のシチュエーションながら...、う~ん。
色づき始めた稲穂を強調しようと三脚を低めにして、地面に腰を下ろすような
格好で撮っていたはず。不思議なもので、記事を書いているうちに当時の記憶が
断片的に、でも、鮮明に甦ってくる。
【2009年8月12日17時07分】 大糸線・頸城大野-姫川
大糸線キハ撮影の悩みは何と言っても列車本数の少なさだった。<徒歩鉄>に
とっては撮影効率が極めて悪いのが悩みだったのだが。でも、夕方の時間帯に
なって、運転本数の多い時間帯にかかり。
すぐにやって来たのは、キハ52 125号車。青ツートンである。
ここまで撮って撮影終了、たぶん、いったんホテルに戻ったのだろうか。
夜の帳が下りた頃、再び、糸魚川駅へ。
駅員さんに声をかければ、「(黄色い線の)外側には出ないで下さいね」
ホーム上で三脚を立てての撮影も、あっさりと許可されるのが、この頃は
当たり前だった。
【2009年8月12日19時48分】 大糸線・糸魚川駅
まもなく、ホームに入ってきたのはキハ52 125号車。
その様子を改札前、1番のりばのホーム上に三脚を立てて、バルブ敢行である。
【2009年8月12日19時56分】 大糸線・糸魚川駅
この記事を書くために写真を見直していて気づいたのだが、このとき、後ろの
ホームに停車していた北陸本線ローカルは...
ぬぁんと交直流急行色に塗り戻されていた475系編成だった。貴重な国鉄色並び。
でも、そんなことに目もくれず、キハだけを撮っていたのが<変態鉄>である。
【2009年8月12日20時02分】 大糸線・糸魚川駅
やがて、キハの発車時刻。夜のホームにDHM17Hエンジンのあの音と煙。
キハ撮影“夜の部”も終了である。
…… ……
2009年8月13日(木)晴れ
翌日は、糸魚川から撮影開始。大糸線キハの撮影は朝だけに留めて、
午後からは再び富山に“転戦”した。そう、飛越ゴハチを追っていたのである。
【2009年8月13日10時22分】 大糸線・糸魚川駅
北陸本線に合流して糸魚川駅に入線してくるキハ52 115号車。
写真の左側にあたる位置にいまでは新幹線の高架橋があるはず、当時は、まだ
その工事も本格化する前で。
北陸本線を駆け巡っていた交直流急行色の475系、なかなか巡り会えない
被写体だったのだが...
【2009年8月13日12時52分】 北陸本線・糸魚川駅
ぬぁんと、お昼過ぎの糸魚川駅に姿を現したのだった。
そして、その前方、欠取り式の大糸線ホームには...
【2009年8月13日12時56分】 大糸線・糸魚川駅
キハ52 115号車の姿。ということは...
北陸本線の普通電車として交直流急行色は、まもなく発車時刻。
いざっ!!
...まさか...
「えっ!!」
【2009年8月13日13時00分】 北陸本線・糸魚川駅
撃沈である。その“原因”は、自分でも分かっていた。
この並びシーンの“希少性”は自分でもよく分かっていた。
でも、なぜか、なぜなのかは分からないのだが、EOSくんはバッグにしまったまま。
なぜか、安物のコンデジで撮っていたのである。
なぜ、バッグからEOSくんを取り出そうと思わなかったのか、いまも謎。
悔やんでも悔やみきれない“撃沈の1枚”となったのだった。
【2009年8月13日13時00分】 北陸本線・糸魚川駅
交直流急行色と国鉄気動車標準色、国鉄時代の主要駅の雰囲気を色濃く残す
糸魚川駅でこの2本の列車が並んだシーン。
この1枚が“唯一の記録”になってしまった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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そう、いすみ鉄道の国鉄型キハ。キハ52 125+キハ28 2346の「観光急行列車」。
混雑を覚悟でお盆休みに“出撃”しようかと画策中の<変態鉄>なのだが...。
拙ブログの“ネタ切れ”状態も続いており、HDDを漁ってみるくらいしか
策がなくなっており。今日、ご紹介したいのは2009年8月の糸魚川で撮ったもの。
【2009年8月12日20時02分】 大糸線・糸魚川駅
「飛越ゴハチ」と大糸線のキハを“掛け持ち”、確か、糸魚川でホテルをとった
ような気がする。まさか、キハを撮る合間に昼食をとりに立ち寄った付近が
その数年後に大火で、あんなことになるとは思いもせず。
「飛越ゴハチ」よりも1年ほど早く、最後の日を迎えた大糸線キハ52。
やはり、こちらも気になっていたのだった。
…… ……
2009年8月12日(水)晴れ
この朝の撮影は富山からだった。飛越ゴハチの“朝運用”は国鉄急行色編成。
【2009年8月12日9時12分】 高山本線・西富山駅
国鉄色の越中八尾ゆきに続いてやってくる速星の化成品工場向けの貨物列車。
このとき、先頭に立っていたのは国鉄色のDE10ディーゼル機関車だった。
当時はあまり珍しくないシーン、でも、8年経つと貴重な記録である。
速星ゆきの貨物列車自体はいまも健在だが、国鉄色はおろか、つい先日、
DE10型の後継機も落成。ついこの前のような気もするのだが、時間の経過を
感じずには居られないのである。
富山駅からは北陸本線で移動したはず。「青春18きっぷ」で普通電車に乗ったか、
あるいは、奮発して「北越」か「はくたか」かで、ビューンと移動したのか!?
記録もなく記憶も定かで無い。
【2009年8月12日13時03分】 大糸線・糸魚川駅
お昼過ぎには糸魚川に移動していた。新幹線工事は始まっては居たが、
まだ、あの広い駅構内、何と言っても煉瓦の機関庫も健在。国鉄時代から変わらぬ
情景が広がっていた。
大糸線のキハが発着していたのは、北陸本線ホームの西側にあった欠取りホーム。
ホームで発車を待っているのが、キハ52 125号車。戦前から昭和30年台前半までの
国鉄気動車標準色、「黄褐色2号+青3号」という地味な色合いは写真映えせず、
しかも、キハ52 100番台の新製当時、標準色は朱色のツートンカラーに変更済み、
この車輌が実際に纏っていたカラーではなかったこともあって、人気は...
正直言って、当時の<変態鉄>も、このカラーが来るとガッカリだったのである。
まさか、その125号車が、このあと房総に転じるとは...
【2009年8月12日15時13分】 大糸線・根知-頸城大野
そして、この後、<変態鉄>がやって来たのは頸城大野駅の南側、山の中へと
入っていく付近だった。独特の山容をもつ雨飾山が姿を見せれば、大糸線らしい
写真が撮れるのだが...、この日は雲の中。
“一番人気”だった朱色ツートンのキハ52 125号車を車輌アップで。
ちなみに、この車輌は現在、津山の「まなびの鉄道館」で保存されている。
【2009年8月12日16時53分】 大糸線・姫川-頸城大野(後追い)
その後は“定番”、頸城大野駅北側の田園地帯にやって来たわけで。
この時間帯になって雨飾山も姿を見せてくれて。夕方の斜光線、
最高のシチュエーションながら...、う~ん。
色づき始めた稲穂を強調しようと三脚を低めにして、地面に腰を下ろすような
格好で撮っていたはず。不思議なもので、記事を書いているうちに当時の記憶が
断片的に、でも、鮮明に甦ってくる。
【2009年8月12日17時07分】 大糸線・頸城大野-姫川
大糸線キハ撮影の悩みは何と言っても列車本数の少なさだった。<徒歩鉄>に
とっては撮影効率が極めて悪いのが悩みだったのだが。でも、夕方の時間帯に
なって、運転本数の多い時間帯にかかり。
すぐにやって来たのは、キハ52 125号車。青ツートンである。
ここまで撮って撮影終了、たぶん、いったんホテルに戻ったのだろうか。
夜の帳が下りた頃、再び、糸魚川駅へ。
駅員さんに声をかければ、「(黄色い線の)外側には出ないで下さいね」
ホーム上で三脚を立てての撮影も、あっさりと許可されるのが、この頃は
当たり前だった。
【2009年8月12日19時48分】 大糸線・糸魚川駅
まもなく、ホームに入ってきたのはキハ52 125号車。
その様子を改札前、1番のりばのホーム上に三脚を立てて、バルブ敢行である。
【2009年8月12日19時56分】 大糸線・糸魚川駅
この記事を書くために写真を見直していて気づいたのだが、このとき、後ろの
ホームに停車していた北陸本線ローカルは...
ぬぁんと交直流急行色に塗り戻されていた475系編成だった。貴重な国鉄色並び。
でも、そんなことに目もくれず、キハだけを撮っていたのが<変態鉄>である。
【2009年8月12日20時02分】 大糸線・糸魚川駅
やがて、キハの発車時刻。夜のホームにDHM17Hエンジンのあの音と煙。
キハ撮影“夜の部”も終了である。
…… ……
2009年8月13日(木)晴れ
翌日は、糸魚川から撮影開始。大糸線キハの撮影は朝だけに留めて、
午後からは再び富山に“転戦”した。そう、飛越ゴハチを追っていたのである。
【2009年8月13日10時22分】 大糸線・糸魚川駅
北陸本線に合流して糸魚川駅に入線してくるキハ52 115号車。
写真の左側にあたる位置にいまでは新幹線の高架橋があるはず、当時は、まだ
その工事も本格化する前で。
北陸本線を駆け巡っていた交直流急行色の475系、なかなか巡り会えない
被写体だったのだが...
【2009年8月13日12時52分】 北陸本線・糸魚川駅
ぬぁんと、お昼過ぎの糸魚川駅に姿を現したのだった。
そして、その前方、欠取り式の大糸線ホームには...
【2009年8月13日12時56分】 大糸線・糸魚川駅
キハ52 115号車の姿。ということは...
北陸本線の普通電車として交直流急行色は、まもなく発車時刻。
いざっ!!
...まさか...
「えっ!!」
【2009年8月13日13時00分】 北陸本線・糸魚川駅
撃沈である。その“原因”は、自分でも分かっていた。
この並びシーンの“希少性”は自分でもよく分かっていた。
でも、なぜか、なぜなのかは分からないのだが、EOSくんはバッグにしまったまま。
なぜか、安物のコンデジで撮っていたのである。
なぜ、バッグからEOSくんを取り出そうと思わなかったのか、いまも謎。
悔やんでも悔やみきれない“撃沈の1枚”となったのだった。
【2009年8月13日13時00分】 北陸本線・糸魚川駅
交直流急行色と国鉄気動車標準色、国鉄時代の主要駅の雰囲気を色濃く残す
糸魚川駅でこの2本の列車が並んだシーン。
この1枚が“唯一の記録”になってしまった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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2017-08-08 03:00
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