7年前の6月25日、美濃駅にて [保存車・廃線跡]
いま、書こうと思う話題が出てこない状態を“ネタ切れ”というなら、
いまの拙ブログを取り巻く状況が“ネタ切れ”であるということになる...という
その点に関して、否定することはできないのではないかと思っている。
と、無意味に冒頭の一文を引っ張る、その理由。
「だったら、書かなければ良いじゃ無いか」というご意見はごもっとも。
でも、書かないのも何だか寂しい気がするので、とりあえず。
となれば、外付けHDDを漁って古い写真の探し出すしか無い...と言うわけで。
この頃は、まだ余裕があった自分の勤務先の会社。
6月に1週間の休みをとることができたのだった。だから、6月下旬というのは
意外と写真を多く撮っている。
【2010年6月25日10時44分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
その中から、2010年6月25日に名鉄美濃町線の美濃駅跡を訪れたときの写真を
ご紹介したい。
…… ……
かつて...、21世紀に入る頃まで岐阜の市街地から、刀鍛冶の町として有名な
関まで名鉄美濃町線、深紅の路面電車が走っていた。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線・上芥見電停付近
岐阜の中心部を離れると長閑な田園風景、田舎道の片隅に敷かれた単線の軌道を...、
時間が止まったような光景に魅せられ、1990年台以降、何度も何度も撮りに
通ったのだった。何度か書いたように、<変態鉄>が生まれて初めて、線路際で
走る電車にカメラを向けたのが、この名鉄岐阜600V線と呼ばれる路線群(→ こちら)。
2005年春の全廃のときには、休みの度に新幹線で岐阜に駆けつけたのだった。
でも、それよりしばらく前、<変態鉄>が初めて美濃町線を訪れた頃は、
その路線名が示す通り、関市の隣、美濃市の中心部まで路線が延びていた。
長良川鉄道(旧国鉄越美南線)が並行していると言う理由で廃止になっていたが
いま思えば、そのときに岐阜600V線の全廃、という運命は約束されていたのだろうか。
全廃より一足早く廃止になった美濃駅、駅舎とともに美濃町線を走った電車が
保存されていることは知っていたが...
なかなか訪問の機会が無かったのである。
2010年6月25日(金)晴れ
前夜、東京駅を発つ夜行高速バスで出発したのだった。確か、岐阜駅前から
路線バスで美濃に向かったはず。でも、当時、ブログを付けるなど
全く考えていなかった<変態鉄>、そのあたりのスナップ写真は残していない。
美濃町線の廃線跡に沿うコース、国道を走る岐阜バスの路線バスの車窓に
かつて何度も訪れた懐かしい場所を見つけて...
でも、道路沿いを通っていた線路は撤去されていて...、そんな記憶が。
【2010年6月25日10時36分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
10時過ぎ、美濃駅跡に到着したのだった。このピンクがかった羽目板が
自分の中で“名鉄”のイメージ。(※ 意見には個人差があります)
駅名標は「旧美濃駅」に変わっているが、往時と雰囲気は変わらず。
【2010年6月25日10時39分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
内部は「資料館」という感じでは無かったが、懐かしのアイテムも。
駅舎内に掲出された時刻表は、<変態鉄>が生まれるよりも前の時代のもの
だと思われる。昭和40年台、当時の車庫線を旅客化する形で、競輪場前から
南下して市ノ坪から各務原線の線路を“間借り”し、新岐阜(現・名鉄岐阜)駅
に至る短絡ルートとして田神線が開業、その際に急行運転が始まった。
でも、道路併用区間があり、しかも大半が単線区間。急行電車のダイヤ設定には
かなり無理があったみたいで、しばらくして急行運転は取り止めになっている。
...とエラそーに書いているが、これは本で読んだ内容の受け売りなのである。
【2010年6月25日10時49分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
レールを曲げてつくったホーム上屋の支柱、丸数字のホームの表示板...
かつて訪れた美濃駅そのまま。でも、よく目を凝らすと、線路があるのは駅内の
数十メートルだけ。かつて線路が通っていた場所は道路に転用されている。
【2010年6月25日10時44分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
この駅構内に3両の電車が保存されている。
左から順にモ600形601号車、モ510形512号車、そしてモ590形593号車。
3両とも美濃町線と縁の深い電車なのである。
【2010年6月25日10時44分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
左側に居るのは“馬面電車”、モ601号車。
冒頭にも書いたように美濃町線の活性化のため、各務原線に乗り入れて
当時の新岐阜駅に乗り入れることになったのだが、これは技術的には...
路面電車の架線電圧は600V、鉄道線は1500V。この違いを克服するためには
複電圧車を製作するしか無いのだが、フツーの電車より小さなサイズで。
しかも、1両に全部の機器を搭載しなければならず。それを克服した当時の
名鉄技術陣もスゴいのである。
そのため、屋根上にはどう見ても冷房装置にしか見えないグレーの箱が並ぶが
これは通常、電車の床下にあるはずの抵抗器を搭載する場所がなかったから、
屋根に乗せてしまったもの。連結運転に備えて、貫通扉が付いているが、
そうすると運転台をつくる場所が無く。ドアに運転用のコントローラを取り付ける
という超個性的なつくりになっていたり...。
その隣は、モ510形512号車。
【2010年6月25日10時45分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
丸い前面、正面5枚窓の紅白の電車はモ510形。「ことでんレトロ」と同世代の電車。
名鉄美濃町線の前身でもある美濃電気軌道の電車として新製された。
<変態ガキ鉄>が岐阜を訪れるようになった90年台には「大正生まれの古豪」、
「丸窓電車」として揖斐線の予備車ながら注目の存在だった。
一昨年、その揖斐線の旧黒野駅構内のレールパークに期間限定で“貸し出し”
展示されたのを<変態鉄>も見に行ったのである。(→ こちら)
【2010年6月25日10時44分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
そして、ホームを挟んで反対側に居たのがモ593号車。
もともとは岐阜市内線で活躍したのだが、モーターの出力が強めだったので、
新関-美濃間の折返し運転用に転用された。スカーレット単色の名鉄電車の色
だったが、廃線を控えて旧塗装に復元されている。
このモ590形の仲間たち、名鉄岐阜線廃止後、ぬぁんと高知の「とさでん交通」に
引き取られ、いまも名鉄スカーレットの車体塗色で高知の市街地を走っている。
そして、もう1両(?)。
【2010年6月25日10時43分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
美濃町線には札幌市交通局から移籍してきた連接車も活躍していた。
車高の半分くらいありそうな大きな窓、ヨーロピアンスタイルの連接車は
岐阜の町でも圧倒的な存在感だったが、構造上、冷房化が難しい車両に大きな窓...
盆地性気候というか、夏の暑さが尋常では無い岐阜の街...
(※ 意見には個人差があります。でも、8月の岐阜を訪れると...)
晩年は窓を小さく改造し、複電圧対応、あわせて冷房装置を取り付け。
個性的なスタイルが失われてしまっていた。そんな連接車のカットボディ。
口さがない<鉄>からは“生首”などと呼ばれる姿で展示されていた。
自分が生まれて初めて、走っている電車にカメラを向けたのは1991年、
岐阜の街でスカーレットの路面電車を撮ったとき。路線は2005年までに全廃されたが
でも、そのときに撮った電車たちが保存されているというのは、ちょっと
嬉しいのである。
また、美濃の街を訪れてみたいが...
さて、そんな美濃といえば、和紙と並んで「うだつ」が有名。
“うだつが上がらない”の「卯建」である。
【2010年6月25日11時02分】 岐阜県美濃市
江戸時代、町中の商家、その延焼防止策として設けられた“防火壁”のようなもの。
後に、その本来の役割よりも、ここの部分に豪華な装飾を施すことが一般的になり。
それが“うだつが上がらない”の語源にもなっている。
【2010年6月25日12時08分】 岐阜県美濃市
そんな街並みを歩いて...
【2010年6月25日11時02分】 長良川鉄道・美濃市駅
帰りは長良川鉄道のディーゼル動車に揺られて、美濃太田に向かったのだった。
と、書いていると、ひとりでにいろいろなことが思い出されてきて...
とんでもない長編記事になりそうな予感がしたので、あえて「一話完結」で。
でも、岐阜の、あの深紅の電車の写真は数えられないくらい撮っている訳で...
ネガを取り込んで少しずつ記事にしていきたいと思っている次第。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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いまの拙ブログを取り巻く状況が“ネタ切れ”であるということになる...という
その点に関して、否定することはできないのではないかと思っている。
と、無意味に冒頭の一文を引っ張る、その理由。
「だったら、書かなければ良いじゃ無いか」というご意見はごもっとも。
でも、書かないのも何だか寂しい気がするので、とりあえず。
となれば、外付けHDDを漁って古い写真の探し出すしか無い...と言うわけで。
この頃は、まだ余裕があった自分の勤務先の会社。
6月に1週間の休みをとることができたのだった。だから、6月下旬というのは
意外と写真を多く撮っている。
【2010年6月25日10時44分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
その中から、2010年6月25日に名鉄美濃町線の美濃駅跡を訪れたときの写真を
ご紹介したい。
…… ……
かつて...、21世紀に入る頃まで岐阜の市街地から、刀鍛冶の町として有名な
関まで名鉄美濃町線、深紅の路面電車が走っていた。
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線・上芥見電停付近
岐阜の中心部を離れると長閑な田園風景、田舎道の片隅に敷かれた単線の軌道を...、
時間が止まったような光景に魅せられ、1990年台以降、何度も何度も撮りに
通ったのだった。何度か書いたように、<変態鉄>が生まれて初めて、線路際で
走る電車にカメラを向けたのが、この名鉄岐阜600V線と呼ばれる路線群(→ こちら)。
2005年春の全廃のときには、休みの度に新幹線で岐阜に駆けつけたのだった。
でも、それよりしばらく前、<変態鉄>が初めて美濃町線を訪れた頃は、
その路線名が示す通り、関市の隣、美濃市の中心部まで路線が延びていた。
長良川鉄道(旧国鉄越美南線)が並行していると言う理由で廃止になっていたが
いま思えば、そのときに岐阜600V線の全廃、という運命は約束されていたのだろうか。
全廃より一足早く廃止になった美濃駅、駅舎とともに美濃町線を走った電車が
保存されていることは知っていたが...
なかなか訪問の機会が無かったのである。
2010年6月25日(金)晴れ
前夜、東京駅を発つ夜行高速バスで出発したのだった。確か、岐阜駅前から
路線バスで美濃に向かったはず。でも、当時、ブログを付けるなど
全く考えていなかった<変態鉄>、そのあたりのスナップ写真は残していない。
美濃町線の廃線跡に沿うコース、国道を走る岐阜バスの路線バスの車窓に
かつて何度も訪れた懐かしい場所を見つけて...
でも、道路沿いを通っていた線路は撤去されていて...、そんな記憶が。
【2010年6月25日10時36分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
10時過ぎ、美濃駅跡に到着したのだった。このピンクがかった羽目板が
自分の中で“名鉄”のイメージ。(※ 意見には個人差があります)
駅名標は「旧美濃駅」に変わっているが、往時と雰囲気は変わらず。
【2010年6月25日10時39分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
内部は「資料館」という感じでは無かったが、懐かしのアイテムも。
駅舎内に掲出された時刻表は、<変態鉄>が生まれるよりも前の時代のもの
だと思われる。昭和40年台、当時の車庫線を旅客化する形で、競輪場前から
南下して市ノ坪から各務原線の線路を“間借り”し、新岐阜(現・名鉄岐阜)駅
に至る短絡ルートとして田神線が開業、その際に急行運転が始まった。
でも、道路併用区間があり、しかも大半が単線区間。急行電車のダイヤ設定には
かなり無理があったみたいで、しばらくして急行運転は取り止めになっている。
...とエラそーに書いているが、これは本で読んだ内容の受け売りなのである。
【2010年6月25日10時49分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
レールを曲げてつくったホーム上屋の支柱、丸数字のホームの表示板...
かつて訪れた美濃駅そのまま。でも、よく目を凝らすと、線路があるのは駅内の
数十メートルだけ。かつて線路が通っていた場所は道路に転用されている。
【2010年6月25日10時44分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
この駅構内に3両の電車が保存されている。
左から順にモ600形601号車、モ510形512号車、そしてモ590形593号車。
3両とも美濃町線と縁の深い電車なのである。
【2010年6月25日10時44分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
左側に居るのは“馬面電車”、モ601号車。
冒頭にも書いたように美濃町線の活性化のため、各務原線に乗り入れて
当時の新岐阜駅に乗り入れることになったのだが、これは技術的には...
路面電車の架線電圧は600V、鉄道線は1500V。この違いを克服するためには
複電圧車を製作するしか無いのだが、フツーの電車より小さなサイズで。
しかも、1両に全部の機器を搭載しなければならず。それを克服した当時の
名鉄技術陣もスゴいのである。
そのため、屋根上にはどう見ても冷房装置にしか見えないグレーの箱が並ぶが
これは通常、電車の床下にあるはずの抵抗器を搭載する場所がなかったから、
屋根に乗せてしまったもの。連結運転に備えて、貫通扉が付いているが、
そうすると運転台をつくる場所が無く。ドアに運転用のコントローラを取り付ける
という超個性的なつくりになっていたり...。
その隣は、モ510形512号車。
【2010年6月25日10時45分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
丸い前面、正面5枚窓の紅白の電車はモ510形。「ことでんレトロ」と同世代の電車。
名鉄美濃町線の前身でもある美濃電気軌道の電車として新製された。
<変態ガキ鉄>が岐阜を訪れるようになった90年台には「大正生まれの古豪」、
「丸窓電車」として揖斐線の予備車ながら注目の存在だった。
一昨年、その揖斐線の旧黒野駅構内のレールパークに期間限定で“貸し出し”
展示されたのを<変態鉄>も見に行ったのである。(→ こちら)
【2010年6月25日10時44分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
そして、ホームを挟んで反対側に居たのがモ593号車。
もともとは岐阜市内線で活躍したのだが、モーターの出力が強めだったので、
新関-美濃間の折返し運転用に転用された。スカーレット単色の名鉄電車の色
だったが、廃線を控えて旧塗装に復元されている。
このモ590形の仲間たち、名鉄岐阜線廃止後、ぬぁんと高知の「とさでん交通」に
引き取られ、いまも名鉄スカーレットの車体塗色で高知の市街地を走っている。
そして、もう1両(?)。
【2010年6月25日10時43分】 旧名鉄美濃町線・美濃駅跡
美濃町線には札幌市交通局から移籍してきた連接車も活躍していた。
車高の半分くらいありそうな大きな窓、ヨーロピアンスタイルの連接車は
岐阜の町でも圧倒的な存在感だったが、構造上、冷房化が難しい車両に大きな窓...
盆地性気候というか、夏の暑さが尋常では無い岐阜の街...
(※ 意見には個人差があります。でも、8月の岐阜を訪れると...)
晩年は窓を小さく改造し、複電圧対応、あわせて冷房装置を取り付け。
個性的なスタイルが失われてしまっていた。そんな連接車のカットボディ。
口さがない<鉄>からは“生首”などと呼ばれる姿で展示されていた。
自分が生まれて初めて、走っている電車にカメラを向けたのは1991年、
岐阜の街でスカーレットの路面電車を撮ったとき。路線は2005年までに全廃されたが
でも、そのときに撮った電車たちが保存されているというのは、ちょっと
嬉しいのである。
また、美濃の街を訪れてみたいが...
さて、そんな美濃といえば、和紙と並んで「うだつ」が有名。
“うだつが上がらない”の「卯建」である。
【2010年6月25日11時02分】 岐阜県美濃市
江戸時代、町中の商家、その延焼防止策として設けられた“防火壁”のようなもの。
後に、その本来の役割よりも、ここの部分に豪華な装飾を施すことが一般的になり。
それが“うだつが上がらない”の語源にもなっている。
【2010年6月25日12時08分】 岐阜県美濃市
そんな街並みを歩いて...
【2010年6月25日11時02分】 長良川鉄道・美濃市駅
帰りは長良川鉄道のディーゼル動車に揺られて、美濃太田に向かったのだった。
と、書いていると、ひとりでにいろいろなことが思い出されてきて...
とんでもない長編記事になりそうな予感がしたので、あえて「一話完結」で。
でも、岐阜の、あの深紅の電車の写真は数えられないくらい撮っている訳で...
ネガを取り込んで少しずつ記事にしていきたいと思っている次第。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
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