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臨鉄キハに会いに_20160403(6)井笠鉄道記念館(その1) [保存車・廃線跡]

<詳細版>を記事にできるまで、もう少し時間がかかってしまいそうな気配なので
この1枚を。快晴の香東川鉄橋、朝の1往復はレトロ電車4両のうち2両だけで琴平へ。
この鉄橋でカメラを構えたのはちょうど1年ぶりのことだった。

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【2016年5月1日9時53分】 高松琴平電鉄琴平線・円座-一宮

ちょうど1年前、航空会社の株主優待券の“消化試合”という、
ふざけた理由で訪問して以来、すっかり魅せられてしまった、ことでん。
その最初の撮影地で、ようやくの“リベンジ”となったのだった。

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と言うことで、引き続き4月3日に訪れた井笠鉄道の話題。
……  ……

2016年4月3日(日)曇りのち雨

いまでは「笠岡市 井笠鉄道記念館」となっているこの施設。
もともとは井笠鉄道の所有だった。その存在自体は知っていたが、ナローというか
軽便鉄道というのは、平成の世になってから本格的に趣味活動を開始した世代の
<変態鉄>にとっては魅力は感じても、あまり身近には感じられなかった。

そんな「井笠鉄道記念館」の存在を再認識して、「一度訪れよう」と思ったキッカケは
ある報道だった。それが何と井笠鉄道の経営破綻のニュース。
鉄道廃止後も半世紀近くにわたって路線バスを運行してきた同社、突然の経営破綻。
しかも、民事再生などではなく、路線バスの運行もやめ、そのまま精算という...
もちろん記念館とその展示物も管財人の手に移されることになり...

<変態鉄>も購読していた某鉄道誌のウェブサイトにある、その鉄道誌編集長のブログ
編集長軽薄、もとい「編集長敬白」で読んで以来、気になっていたのだった。

こちら → http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2013/01/28_5.html

その後、しばらくしてから調べてみると記念館は市が引き取る形で再開館していた。

という訳で...

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【2016年4月3日13時18分】 岡山県笠岡市山口付近

笠岡駅前を13:00に出たバスは20分ほどで目的地・新山バス停に到着。
途中、「あれっ、廃線跡では??」と思うような細い道と何度か交錯したような...

さて、バス停向かいの幼稚園のフェンスに掲げられた看板。
それにしたがって、田んぼの中の1本道を歩くこと数分。

県道に突き当たった。その向かい側に...

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【2016年4月3日13時12分】 岡山県笠岡市・井笠鉄道記念館

小さな蒸気機関車が牽くオープンデッキの客車と緩急室付きの有蓋貨車。
在りし日の混合列車を彷彿とさせる編成が現れたのだった。

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【2016年4月3日13時17分】 岡山県笠岡市・井笠鉄道記念館

かつての新山駅(廃線跡を県道とした後、道路拡幅工事でわずかに移転している)が
「笠岡市 井笠鉄道記念館」になっている。木造駅舎と保線関係だろうか詰所が
残されていた。

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【2016年4月3日13時21分】 岡山県笠岡市・井笠鉄道記念館

旧駅舎の待合室部分が展示室になっている。

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わずかだが、グッズ類の販売もあって<変態鉄>は硬券乗車券を購入した。
やはり、この駅名でないと...

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【2016年4月3日13時20分】 岡山県笠岡市・井笠鉄道記念館

「鬮場」は「くじば」と読む。笠岡の隣駅で機関庫があったとのこと。

さて、そんな井笠鉄道に関して、いつも通り、無責任かつテキトーな解説をば。

旧山陽道はいまの井原鉄道線に近い内陸のルートを通っていた。
矢掛、神辺など、いまの井原鉄道線の駅名にも山陽道の宿場町の名が残っている。
でも、国鉄山陽本線(開業時は山陽鉄道)は笠岡を経由する海岸沿いのルートを選択、
旧街道筋の人たちが山陽本線の笠岡駅とのアクセス鉄道の敷設を考えるのは必然だった。

日露戦争後の鉄道国有法で主要路線が国有化、軽便鉄道法によりこういうローカル鉄道が
より簡便な施設と簡易な手続きで建設されるようになって、明治末期に井笠軽便鉄道が
設立され、1913年(大正2年)笠岡-井原間の本線(19.4 km)が開業した。

この後、途中の北川駅から分岐して矢掛まで、(経緯は省くが...)終点の井原から
国鉄福塩線の神辺を結ぶ2つの支線も大正の終わりまでに開業、約37 kmの路線網が
完成した。

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【2016年4月3日13時22分】 岡山県笠岡市・井笠鉄道記念館

転機が訪れるのは戦後になってから。軽便鉄道敷設のキッカケでもあった旧山陽道
それに沿ったルートで、国鉄井原線の建設が決まる。着工は1966年(昭和41年)。

「軌間762 mmの軽便鉄道が立派な国鉄線になる...」
地元の期待もさぞ高かっただろう。これに敷地の一部を譲るために2つの支線は
翌1967年(昭和42年)に廃止、比較的営業成績の良かった笠岡-井原間の本線も
バス転換で1971年(昭和46年)に廃止されてしまう。

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【2016年4月3日15時16分】 井原鉄道・矢掛駅

ちなみに、その地元の期待を背負った国鉄井原線だが、完成率5割くらいのところで
「国鉄再建法」により建設は凍結、事実上、そのまま放棄されることになった。
他にも全国に同様の事例はあり、分割民営化後、鉄道建設公団が建設、第3セクター式で
開業した路線があったことから、井原線も広島・岡山両県と沿線自治体の出資で
井原鉄道として1999年(平成11年)に開業、旧山陽道に沿った区間に30年ぶりに
鉄道が通ったのだった。

さて、では、旧駅舎部分の展示室を見学してから屋外の展示車両を観察しよう。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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