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5月2日は「ゴーニーの日」!? [その他の鉄話]

自分は、どちらかと言うと...というか、言わなくても、

 会社に行って仕事をしているより、自宅でゴロゴロして過ごす方が好き

と公言するようなヤツ。そんな典型的ダメ社会人(!?)の自分。
これを読んでいる若い世代の皆さんも、こういうオトナになってはいけない。

でも、そんな自分が...である。
ここのところ、連日の残業である、しかも、連休休みも当初予定の半分に。
お休みは2日だけになってしまいそうな勢い。嗚呼。

こうなってくると、拙ブログも停滞するのである。
決して“ネタ切れ”ではない。ただ、写真を整理して記事をつくる時間がとれない。

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【2011年4月8日12時57分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜駅構内

そう、苦し紛れの“日付ネタ”。
<変態鉄>としては、5月2日を「ゴーニーの日」と命名することを急遽決定したのだ。
……  ……

やはり、拙ブログで「ゴーニー」と言えば、キハ52形ディーゼル動車。
水島臨海鉄道で最後の活躍をしているキハ20、その系列の中で、
山岳区間用に、エンジンを2基搭載したモデルがキハ52である。
ディーゼル動車の形式の十の位「2」は1基エンジン車(160~180馬力)、
「5」が2基エンジン車(160~180馬力×2)を示す数字だった。

山岳路線で単行運転可能なキハ52は、分割民営化前後にキハ20系列が急速に
淘汰されていっても、最後まで活躍を続けた。

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【2010年5月5日10時03分】 大糸線・頸城大野-根知

東北での活躍も有名だったが、<変態鉄>にとっては大糸北線に最後まで残った
3両の活躍が印象に残っている。夕方の雨飾山をバックに姫川沿いの水田地帯を
走る姿は何度も撮りに通った。

その引退は、2010年春のダイヤ改正だった。

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【2011年4月8日9時36分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜駅構内

そこに“奇跡”のような話が。最後まで活躍した糸魚川のゴーニーの1両、125号車が
いすみ鉄道に移籍することになったのだ。
あの大震災の直後、さすがの自分も<鉄>活動する気力も沸いてこなかい時期だったが
4月に、国鉄色に戻されたキハ52 125が走り出すのとともに、<変態鉄>も
趣味活動に復帰したのだった。

という訳で、いすみ鉄道でキハ52 125が初めて迎えた「ゴーニーの日」の模様を。

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【2011年5月2日11時53分】 いすみ鉄道・風そよぐ谷 国吉-上総中川

この日、<変態鉄>は五之町踏切で撮影に挑んでいた。天気は晴れ。
そして、このとき、城見ヶ丘の先のあの森宮踏切近くで...

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【2011年5月2日15時08分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘-上総中川

背後のお宅に鯉のぼり発見!!
でも、こんなショットしか残せなかったのだった。
これ以来、<変態鉄>にとってはこの“鯉のぼり×キハ”が...

ずーーっと残し続けている課題なのである。今年もダメ。来年こそ...??

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【2015年4月12日12時28分】 いすみ鉄道・小谷松-デンタルサポート大多喜(後追い)

今年も、菜の花畑を走っていた「ゴーニー」がある一方で、
「52」という形式は、激動の昭和史の中にいたような...

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【1991年8月】 飯田線・中部天竜駅(佐久間レールパーク)

高校生から大学生の頃にかけて<模型鉄>だった自分(現在は休止中)。
その頃、興味を持ったのは飯田線の旧型国電だった。そのスターがクモハ52形。
戦前の国鉄全盛期は、昭和10年代前半。関西急電のスターだったのが当時のモハ52。
簡単に言えば、関西急電とは今のJR京都線・神戸線の新快速電車のような存在。
当時の流線型の車体、リベットのない溶接構造、張り上げ屋根のスッキリしたスタイル...

ちなみに、その同僚...というか先輩として、関西急電で活躍したのがモハ42。

その後、すぐ戦時輸送態勢に突入、華やかな活躍は長くは続かなかった。
戦後は地方路線に転属、車両番号の規則が変わって「モハ」が「クモハ」に。

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【1997年5月26日】 小野田線・長門本山駅付近

クモハ52は、飯田線に転じて天竜川に沿ってのんびりと走って、<変態鉄>が
生まれる頃に40年ほどの波乱を終え、クモハ42の中で宇部・小野田線に転じた
グループは、さらに20年ほど生きながらえた。その最後の最後の活躍を
撮って、録ることができたのは、先日、記事にした通り。

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【2013年2月13日15時26分】 静岡県沼津市・高沢公園

戦時体制下で製造された大型貨物機関車が「D52」形式。
数字が1つ違いの「D51」は1,100両を超える仲間が製造され、全国で活躍。
愛称の「デコイチ」は、蒸気機関車の代名詞ともなった。
でも、D52は、薄幸な形式とも言えそう。大型機関車ゆえに転属できる路線もなく
資材も熟練工もいない時期に製造された機関車ということも影響して、
短命に終わるものが多かった。

<変態鉄>としてはそういう部分に惹かれてしまうのだが...

このほかにも、電気機関車にもEF52形式というのがあった。
こちらは、昭和のはじめ電気機関車を初めて国産で製造することになったときの形式。
2016年に京都の梅小路にオープンすることになった博物館で公開される予定。

……  ……

と、日付にこじつけて強引に記事を書いてしまったのである。
「もうちょっとマジメに撮影に出向いて記事を書け!!」というお叱りの声は、
いっさい受け付けない。そんなことより、明日を何とか乗り越えないと...
“苦し紛れの記事”は、もうしばらく続きそうな勢い。

あぁ~、琴平線の撮影地も調べてないぞ...

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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