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臨鉄キハ撮影会20150118(9)ヘッドマーク撮影会 [水島臨海鉄道キハ20]

この日のイベントの最後を飾ったのは、
キハ205の前面に国鉄時代のヘッドマークを掲出しての撮影会。

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【2015年1月18日12時45分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

国鉄全盛期、ローカル用の車両も急行列車にかりだされることがあった。
キハ20の前面に急行列車のヘッドマークが付いているのも、不思議なことではない。

と、これだけ「国鉄型車両が好き」だの、何だの言っていても、
その“日本国有鉄道”が分割民営化されたのは、自分がまだ小学生だった頃。
そう、中曽根内閣による三公社改革、電電公社・専売公社、そして国鉄。
(ちなみに、電電公社 → NTT、専売公社 → JTですよ。念のため。)
そう言えば、当時のガキには「内閣総理大臣は交代するもの」ということが理解できず、
“ソーリダイジン”=“ナカソネさん”は「永遠に続くこと」だと思っていた。
竹下内閣が発足したとき、このバカガキのアタマの中は大混乱だったっけ。

ようやく、そうした政治のシステムが理解できるようになってきた頃には、
宇野内閣総辞職のニュースをニヤニヤしながら見ていたっけ。
周囲の大人の会話に出てくる「指三本」の意味がわかり始めていた当時は11歳。
う~ん、懐かしい。

...と、話が逸れてしまった。言いたかったのは、

……  ……

ようやく「乗りたい列車」に乗りに行ける身分(=バイトにうつつを抜かす大学生)に
なった頃には、国鉄型車両は急速に淘汰される“懐かしの列車”という位置づけだった。
自分が“実体験”できたディーゼル急行と言えば、急行「たかやま」「つやま」くらい。

幼稚園の頃に見た図鑑の中のイラスト、それから、今に至るまで<鉄本>の中の写真、
ネット上に上がっている<先輩鉄>の皆さんの画像・動画...というのが実情。

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【2015年1月2日12時04分】 いすみ鉄道・上総中野駅

この記事を書くために調べてみるまで、ディーゼル急行のヘッドマークは助士席側
(列車正面を写真で撮ったときの左側)に付くのが当然だと思っていた。

今年の正月、いすみ鉄道キハ52にも「四国急行風賀正マーク」が付いていた。

2015年1月18日(日)晴れのち曇り

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【2015年1月18日12時19分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

「これが、今回の撮影会、最後の入換え作業です」、スタッフの声。
キハ205とキハ30 100、国鉄気動車一般色を纏った2両が連結状態で展示された。

そして、キハ205に懐かしのヘッドマークを掲出しての撮影会となったが...

このキハたちのネグラでもある倉敷貨物ターミナル、最寄りの三菱自工前駅からも
歩けば15分ほどかかる。<徒歩派>の便宜を図るため、臨鉄の撮影会では、
終了時刻に合わせて出庫する列車に、車庫から始発駅(自工前または水島)まで
便乗を認めてくれるのだ(運賃計算は自工前駅から)。

今回は、倉敷タ 12:42発の倉敷市ゆき(本来の客扱いは水島駅 12:51発から)が
その指定列車となっていた。出区線で待機しているMRT300に直接乗り込む。
前回、昨年6月のイベント時には、この便乗を体験した。

でも...

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【2015年1月18日12時45分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

12:30過ぎに始まった「ヘッドマーク撮影会」。
撮影を選べば列車に乗れず、帰りの足を確保するには撮影を諦めざるを得ず...

ちょっと悩んだのだが、でも、キハ205を撮れるのは、これが最後かも。
撮影会の方を選択したのだった。

だが、しかし...

立錐の余地もなくほぼ全ての参加者が集結したキハ205前面。
何とか三脚を立てて、2両編成を斜め前から撮れる位置をキープできたが...

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【2015年1月18日12時27分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

まずは急行「砂丘」。岡山と鳥取を津山・因美線経由で走った急行列車。
通票、タブレットの通過収受が最後まで残った急行列車として、多くの<鉄>の
注目を浴びた列車でもあった。

...と、そう、キハの顔に光が回っていないヘッドマーク撮影会。
これは悩ましい問題。

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【2015年1月18日12時30分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

続いて急行「うわじま」。高松-宇和島間を結んだディーゼル急行である。
1961年に準急列車として誕生、1990年に特急格上げで最後の1往復が運行を取りやめるまで
30年近くにわたって、予讃線の看板列車だった。

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【2015年1月18日12時30分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

さらに、急行「いよ」。“♪ いよは、まだ、16だから~”に因んで...ではなく
こちらも四国は予讃本線の伝統の列車名。1956年に蒸機牽引の準急客車として
設定されて以来、1990年に特急格上げで廃止となるまで、高松-松山間を結んだ。

と、書きつつも、ヘッドマークが明るく写るようにプラス補正すると車体側面が
白飛びし、車両全景を適正露出で撮ろうとするとヘッドマークが真っ暗に。
何とも悩ましい撮影会となったのであった。

そんな訳で、リクエストがあったのだろうか。
運転席側にヘッドマークを付け直して、再開となった。
これをてっきり、「撮影しやすいように現役時代と反対側に掲出してくれた」と
思っていたのが<変態鉄>の実態。それが、冒頭の文章につながったのである。

調べてみると(アタリマエだが...)、ヘッドマークを左右どちらに付けるかは
決まっていなかったらしい。こうしたヘッドマークは主要駅のホーム上に
収納ケースがあって、その中から乗務員や折返し整備を行う職員が次の列車の
マークを探して掲出作業を行った。

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【2014年11月2日8時42分】 富山地鉄・電鉄富山駅

ちなみに、そんな昭和の頃の鉄道情景がいまも変わらず残っているのが、
電鉄富山駅である。普通電車で到着したダイコン電車の前面に特急「うなづき」を
掲出するのも運転士さんのお仕事。

貫通扉部分ではなく、左右の窓下に掲出するのが気動車急行では多かった。
(時期や地域性などもあるわけだが...)
そのため、ホームから手が届きやすい側に掲出するのが普通だったとのこと。
だから先頭車のマークが運転席側なら最後部車両のマークは助士席側になる訳で、
どちらに付いていても良かったと言うこと。

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【2015年1月18日12時35分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

もう1つ。国鉄末期には作業の合理化のため、四国は“ブック式”のヘッドマークが
主流となった。丸いマークは真ん中で2分割されており、ピンを外して
ページをめくると列車名が変わる。この仕組み、私鉄では名鉄電車などで
長らく使われていた。今回の「うわじま」と「いよ」も実は2枚で1つだったのだ。

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【2015年1月18日12時37分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

そして、この日の乗車会で掲出された「20」のヘッドマークも。
急行「砂丘」のマークと同じ図柄で「砂丘」を形式の「20」に書き換えたもの。

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【2015年1月18日12時40分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

最終盤になれば、どんどん遊び心が増してくるわけで...
岡山-鳥取間の「砂丘」と高松-宇和島間の「うわじま」の“2枚看板”なども。

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【2015年1月18日12時43分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

最後は「いよ」、何とかこのマークも黒く潰れずに撮ることが出来た。

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【2015年1月18日12時48分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

「これじゃ~ぼったくり急行だよ!!」と笑い声。
最後の最後には通勤型のキハ30に急行「うわじま」を付けての撮影となった。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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