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水海道でキハ、キハ、キハ。(3)そしてメインのキハ。<前編> [常総線のキハとその仲間たち[関東鉄道]]

今日は仕事が公休日だった。東京は穏やかな晴天、ともなればカメラを持って...
となるところだが、持ち帰った仕事を今日中に仕上げなければならず、
結局、自室でパソコンに向かっている内に1日はあっという間に過ぎていった。
こういうときは、何だかすごく勿体ないことをしたような気になってしまうのだ。

持ち帰っていた仕事は何とか一区切りついたが、それを持って
明日は9時出社21時退社、たぶん休憩のとれない勤務になりそうな...。嗚呼。

さらに、どうやら、大晦日と元日も仕事自体は休みながら、
東京を離れられ無さそうな。これには仕事以外の原因も大きいのだが。
「行きたい!!」と伝えてあった“年跨ぎ出撃”はちょっと怪しそうな雲行き。
それでも、年末年始休みのうちに、せめて近場には撮りに行きたいが。

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【2014年12月21日11時46分】 関鉄常総線・水海道車両基地

さて、愚痴っぽくなってきたところで、12月21日の「撮り納め☆満喫撮影会」の話題。
……  ……

2014年12月21日(日)曇り一時晴れ

今回の撮影会のメインとも言えるのが、関鉄でいうところの「キハ350形」と「キハ100形」。
いずれも、旧国鉄キハ35系通勤型ディーゼル動車を分割民営化の前後にまとまった数を
譲り受けたもの。
(当初は国鉄清算事業団から、増備分はJR東日本相模線電化による余剰車の譲受)

片運転台車(国鉄キハ35・36形)がキハ350形、両運転台車(キハ30形)をワンマン化して
水海道以北の単行運転用にしたのがキハ100形だった。

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【1990年頃】 相模線・橋本駅

<変態鉄>にとって、キハ35系というのは思い出深い形式(→ こちら)。
中学生になって行動半径がひろがったのは1990年頃、その頃、東京都港区南青山、
いまやアイドルグループの名前にも使われ、全国区になった、その乃木坂の
古びた家に住んでいた<変態ガキ鉄>。<鉄>とはいえ、日常的に接するのは
「営団地下鉄」と「E電」、だいたい10両編成の通勤型電車ばかりだった。

そう、都心のガキには、ディーゼル動車というのは「本の中の世界」のこと。
初めて「ディーゼル動車に乗る」という目的で出かけたのが相模線だった。
その当時の相模線は、黄色に青帯のキハ35系で統一されていたのだった。

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【2014年12月21日11時50分】 関鉄常総線・水海道車両基地

さて、このキハ35系、一般的な<鉄>、しかも自分より上の世代の国鉄時代を知る
皆さんには極めて不人気な形式。“食パン”と称された真四角な車体、
外吊り構造の両開き扉が3枚、車内はロングシートで窓も見づらく...

そもそもは、高度成長期に関西本線(現:大和路線)・湊町(現:JR難波)-奈良間の
蒸機牽引列車を置き換えるために投入された形式だった。

「電化するだけの投資効果が望めない都市近郊路線」

のために設計されたこの形式は、1961年(昭和36年)から400両余りが投入された。
しかし、当時の国鉄、ディーゼル動車は広域配置が通例だった。
特急・急行以外は、形式を区別せずにごちゃ混ぜで運用することになっていて
「通勤型」であっても、東北・北海道以外の全国の非電化ローカル線に分散配置、
これでは折角の強みを発揮できないまま、「ローカル線の嫌われ者」となっていたのが
キハ35系だった。

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【2011年7月22日13時56分】 関鉄常総線・三妻-南石下

国鉄がJRになる頃には余剰車となるものが全国で続出、そんなとき、取手から下館、
急速に宅地化が進む北関東の通勤路線だった関鉄常総線は、キハ35系にとって、
まさにうってつけの活躍の舞台だった。茨城県石岡にある地磁気観測所への影響を
避けるために、鉄道では一般的な直流1,500V電化ができない区域にある路線だけに
宅地化で輸送需要が高まっても、ディーゼルのままで行くしかない...
まとまった数が増備され、雑多な旧型改造気動車を置き換えていった。

<変態鉄>が、そんな関鉄のキハたちを撮るようになったのは、新車への置換えが進んで
まず水海道以南の区間を走るキハ350形が引退することが報じられた頃。
つまり、典型的な<葬式鉄>。拙ブログ開設直前、2011年秋が最後の運転だった。

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【2013年1月2日13時06分】 関東鉄道常総線・南石下-三妻

でも、その頃、まだ水海道以北にはキハ100形の定期運行が残されており、
拙ブログでも開設当初から、ずっと、この撮影記を書き連ねてきたのだが、
こちらも性能の良い新車に置き換えられ、2013年12月をもって事実上の引退。

と、いつもの通り、前書きだけで長くなりすぎてしまった...。
人気のない形式ではありながら、自分には、それだけ思い入れの強い車両なのである。

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【2014年12月21日11時30分】 関鉄常総線・水海道車両基地

それらが一同に介した撮影会。
左端のタラコ色が、キハ100形101号車、これだけは“現役”。必要な整備をすれば
すぐに営業運転に就くことができる状態(扱い上は「休車」とのこと)。

隣の青いのはキハ350形3518号車、3518+3519の2両は、映画撮影に際して
京浜東北線としてのシーンを撮影するため、スカイブルーに塗られた。
さらに、現行の関鉄標準色のキハ350形358+3511号車は、最後まで稼動した編成。
一番右側が関鉄旧標準色に塗られた353+354号車。

当日、伺ったところではキハ350形は、いずれも車籍は残っていても検査期限切れで
運行することができず、新型車の性能に合わせたダイヤ設定では、仮に整備しても
営業列車として走らせるのも難しく、今後、全般検査を通す可能性は
極めて低いとのこと。

1ファンとしては、もちろん再び筑波山をバックに走る姿を見たいのだが...

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【2014年12月21日12時14分】 関鉄常総線・水海道車両基地

走らなくなって、長い時を経ている割には足回りは、それほど痛んでいないのか??
床下に潜り込むようにして細部写真を撮っていた方々は、模型派の皆さんだろうか。

メカには疎い<変態鉄>でも、こういうのを見るのは好き。

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【2014年12月21日11時53分】 関鉄常総線・水海道車両基地

“懐かしさ”からだろうか、それとも、潜在的には昔から実は人気があったのか??
地味な役回りだった車両が、製造から半世紀の時を経てカメラの砲列が敷かれていた。

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【2014年12月21日12時05分】 関鉄常総線・水海道車両基地

でも、ちょうどその背後。塗装棟の所には、2013年12月、最後まで定期運用に入っていた
キハ102号車が塗膜も剥がれ落ちて、車内には段ボールが山積みになったまま、
放置状態だった。こちらは11月の車両基地公開の時に動いていたそうだが...

何度も撮りに通った車両が、こういう姿になっているのも<鉄>として複雑な心境。
まだ、このまま朽ち果てず、何とか僚車の101号車とともに本線運用に復帰することを
願わずには居られない<変態鉄>。

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【2014年12月21日12時15分】 関鉄常総線・水海道車両基地

「京浜東北線と中央線が並走している...」訳ではない。
国鉄時代末期の首都圏色に復元されていたキハ101と映画のロケでスカイブルーになった
キハ350、引退までスカイブルーを保っていた。(自分は撮ることができなかった)

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【2014年12月21日12時16分】 関鉄常総線・水海道車両基地

さて、12時を回ると、第1回目は間もなく終了時刻。あっという間。
スタッフの方が、1両ずつ運転台に乗り込んで前照灯を消灯して回るのだった。

ちなみに、お気づきだろうか??
今回、展示されたのは4色違いのキハ35系4本、でも、写真ごとに行き先方向幕が
変わっていたのだ。最初、「遠方から撮影」の時間帯は、普通列車用の行き先、
途中からは快速列車用の表示が出された。

短い時間ではあったが、毎度の事ながら関鉄の撮影会は、スタッフの
そういったきめ細やかなサービスも嬉しいのだった。(たぶん、つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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