夏から秋へ、房総のキハを撮りに(3)キハ5800 <車内編> [小湊鐵道キハ200と鉄道情景]
水曜日は久々の公休日。でも、それに合わせて天気が崩れ。
安心してゴロゴロしながら過ごしたのだった。本当は仕事が忙しい時期。
“臨時出社”で溜まっている仕事を少しでも片付けても良かったのだが、
1日中、ゴロゴロして過ごすと決めたのだった。
結局、今シーズンの「青春18きっぷ」も1回分を残したまま終了しそうな...
最後のチャンスとなるのは、今度の日曜日。でも、15時までに帰宅しないと。
そう、大相撲九月場所が初日を迎える。横綱 稀勢の里が気になるのだが...でも。
休場しても仕方ない。痛々しい姿で初日の土俵に上がって、振るわずに途中休場、
繰り返していると、そのうち進退問題に発展するのは必至。
今年の初め、大いに期待したのに。あの優勝の代償はあまりに大きかったのか。
10日は...
「ワンパターンだ!!」と批判があるかも知れないが、あの地を訪れようと。
【2017年8月27日9時08分】 小湊鉄道・五井機関区
8月27日の小湊鐵道キハ5800一般公開の話題。いよいよキハの車内へ。
入場券を示すことで車内を見学することができた。あまり大人数になって
車内が混乱しないように、10名くらいずつ順番に車内に入るように...と
されていた。
…… ……
2017年8月27日(日)くもり時々晴れ
この日、五井機関区の構内に入って写真を撮ることは無料で自由に行えた。
【2017年8月27日8時56分】 小湊鉄道・五井機関区
1時間も並んで、記念入場券を手にしたのはキハ5800号車の“車内公開”のため。
庫内に留め置かれたキハ5800には前後の客扉のところに階段が仮設され、
その前に、運転士さんが。ここで硬券を示せば、車内に入ることができた。
【2017年8月27日9時06分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
紺色のロングシートは、座面はフツーのシートモケットに見えたが、背ズリの
部分は同じ紺色でもビニールのような感じ。もちろん、冷房などあろうはずも無く
暑い時期には、乗客も辛かったのでは無かろうか。
ちなみに、背ズリがビニール張りというのはディーゼル動車の場合、国鉄でも
見られた仕様である。(電気で走る)電車よりもローカル線での使用が多く、
少しでもコストを抑えるために座席も非常に簡素なものが付いていることが多い。
ただ、見学している<鉄>の方たちも口々に言っていたが、やはり、車内の雰囲気、
“ディーゼル動車らしさ”を感じないのである。
【2017年8月27日9時07分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
さて、もちろん(?)、<鉄>としては車内に入れば「銘板チェック!!」は欠かせない。
残念ながら、製造時のものは残っておらず「昭和35年 日本車輌 東京」である。
これは国鉄から小湊鐵道への譲渡時の改造工事のもの。
「日車(東京)」というのも懐かしい表記だが...
やはり、吊革まわりを見ても、電車っぽい感じでキハらしさが...。
【2017年8月27日9時04分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
いまの小湊キハとの共通点は、半室運転台構造。
でも、運転台の仕切り扉は、いまのキハ200形よりもしっかりしているような。
それにしても、その仕切り扉のドアノブも懐かしいタイプだが、運転台のつくりも
非常に簡素で。「キハ5800」と大書きされた運転台、狭いので広角でも全体を
捉えるのは困難だった。
【2017年8月27日9時04分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
逆側、客室内からも見える助士席側は手ブレーキハンドルがあるくらい。
こちらも非常に簡素なつくりで。
「見ておくべきポイント」だったにもかかわらず、よく覚えていないのが
客室内の照明。改造時期から考えると蛍光灯照明でも不思議ではないが...
【2017年8月27日9時04分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
でも、これが灯具を撮ったものだという自信が持てず。天井まわりも非常に
シンプルで、他に灯具っぽいものが無いので、カバー付きの白熱灯照明だと
思うのだが...。引退から30年余り、除籍されてからも20年余りが経過し、
もちろん、エンジンがかかる状態での保存では無いため、車内は真っ暗で、
この照明が白熱灯である自信はないのだが。
【2012年6月5日8時49分】 水島臨海鉄道水島本線・キハ204車内
ちなみに、小湊鐵道キハ200形は、国鉄キハ20形の“兄弟車”のように言われるが
その国鉄キハ20形は増備途中まで白熱灯、途中から蛍光灯照明が採用された。
ただ、台車の違い等もあって白熱灯照明の車両は早い時期に淘汰されるか、
蛍光灯化されて、<変態鉄>は白熱灯のキハ20系は実見していない。
そして...
網棚上の広告枠には、この公開に際してだろうか、キハ5800号車の現役時代の
写真が掲出され。
その1枚がコレ。
【2017年8月27日9時07分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
鉄道院時代の電車の写真から始まっていた。「鉄道国有法」の施行後、
1908年(明治41年)に設置され、1920年(大正9年)に鉄道“省”に昇格。
その間の10年余りの時代に作られた電車を「院電」という。
「なぜ、院電の写真があるの?!」
では、いま一度、このキハ5800号車の“経歴”を。
実は、その出自は1914年(大正3年)製の「院電」デハニ6465号車。
もちろん、この当時、長距離列車は機関車牽引の客車列車。
「電車」というのは大都市近郊に限られた。中央線・山手線用電車として使われたが
その活躍も10年くらい。大正末期には「国電」区間の1500V昇圧に伴い使用停止。
電装解除 → 荷物車となり、その後、三信鉄道に譲渡された。
なお、三信鉄道時代に車体の鋼体化を行っている。
【1991年8月11日】 飯田線・天竜峡駅
三信鉄道というのは、いまのJR飯田線の天竜峡駅から三河川合駅までの区間。
中央本線と東海道本線を繋ぐ路線として、4つの私鉄を合わせて戦時買収の対象
となり、国鉄飯田線となる。それと同時に、再び国鉄籍に復帰する。
1953年(昭和28年)の車両形式称号規程改正で国鉄クハ5800号車となり、
引き続き飯田線で活躍したが、その6年後、1959年(昭和34年)に廃車。
国鉄 → 三信鉄道 → 国鉄 と渡り歩き、600V用の木造電車から荷物車を経て、
1500V用の半鋼製電車となり、さらに電装解除(制御車化)と時代に翻弄されつつ
その姿を変えて45年間にわたって活躍した。
これでも電車として“長寿”の部類に入るのだが...
【2017年8月27日8時59分】 小湊鉄道・五井機関区
さらに、内燃動力(ディーゼル動車)化改造を受け、小湊鐵道に転じた。
同社初の液体式ディーゼル動車、エンジンはDMH17C型(180 PS)となった。
車体内外に残されている「昭和35年 日本車輌 東京」の銘板はこの改造工事の
ときのもの。
【2017年8月27日13時12分】 小湊鉄道線・里見駅
キハ200形の増備に伴い、<変態鉄>が生まれた頃に事実上、運用を離脱した。
その後も長らく予備車として五井機関区に残ったのがキハ5800号車である。
【2017年8月27日9時06分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
車内に掲示されていた写真の中には現役末期のものもあった。
パンフによれば、1986年(昭和61年)頃にイベント運転で走ったのが
最後の本線運転になったとか。1997年に正式に除籍、その後も保管されている。
車体も載せ替え、動力も変更しているが、でも、いくら“書類上”とは言っても
製造からすでに103年が経過している。実はかなり貴重な保存車なのである。
ディーゼル化改造からでさえも57年、「電車」であったことを示すものは...
と、思っていたのだが、でも、やっぱり。
人も車輌も、過去を消し去ることはできないのである(謎)。
【2017年8月27日10時21分】 小湊鉄道・五井機関区
床下に「電車」の面影が残っていた。
従台車がTR14形式、イコライザー式の台車というのは昭和20年台までに作られた
電車の特徴でもある。動台車は“TD14”となっている。たぶん、TR14の改造かと。
と、マニアックにこのキハを楽しんでいたのだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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安心してゴロゴロしながら過ごしたのだった。本当は仕事が忙しい時期。
“臨時出社”で溜まっている仕事を少しでも片付けても良かったのだが、
1日中、ゴロゴロして過ごすと決めたのだった。
結局、今シーズンの「青春18きっぷ」も1回分を残したまま終了しそうな...
最後のチャンスとなるのは、今度の日曜日。でも、15時までに帰宅しないと。
そう、大相撲九月場所が初日を迎える。横綱 稀勢の里が気になるのだが...でも。
休場しても仕方ない。痛々しい姿で初日の土俵に上がって、振るわずに途中休場、
繰り返していると、そのうち進退問題に発展するのは必至。
今年の初め、大いに期待したのに。あの優勝の代償はあまりに大きかったのか。
10日は...
「ワンパターンだ!!」と批判があるかも知れないが、あの地を訪れようと。
【2017年8月27日9時08分】 小湊鉄道・五井機関区
8月27日の小湊鐵道キハ5800一般公開の話題。いよいよキハの車内へ。
入場券を示すことで車内を見学することができた。あまり大人数になって
車内が混乱しないように、10名くらいずつ順番に車内に入るように...と
されていた。
…… ……
2017年8月27日(日)くもり時々晴れ
この日、五井機関区の構内に入って写真を撮ることは無料で自由に行えた。
【2017年8月27日8時56分】 小湊鉄道・五井機関区
1時間も並んで、記念入場券を手にしたのはキハ5800号車の“車内公開”のため。
庫内に留め置かれたキハ5800には前後の客扉のところに階段が仮設され、
その前に、運転士さんが。ここで硬券を示せば、車内に入ることができた。
【2017年8月27日9時06分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
紺色のロングシートは、座面はフツーのシートモケットに見えたが、背ズリの
部分は同じ紺色でもビニールのような感じ。もちろん、冷房などあろうはずも無く
暑い時期には、乗客も辛かったのでは無かろうか。
ちなみに、背ズリがビニール張りというのはディーゼル動車の場合、国鉄でも
見られた仕様である。(電気で走る)電車よりもローカル線での使用が多く、
少しでもコストを抑えるために座席も非常に簡素なものが付いていることが多い。
ただ、見学している<鉄>の方たちも口々に言っていたが、やはり、車内の雰囲気、
“ディーゼル動車らしさ”を感じないのである。
【2017年8月27日9時07分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
さて、もちろん(?)、<鉄>としては車内に入れば「銘板チェック!!」は欠かせない。
残念ながら、製造時のものは残っておらず「昭和35年 日本車輌 東京」である。
これは国鉄から小湊鐵道への譲渡時の改造工事のもの。
「日車(東京)」というのも懐かしい表記だが...
やはり、吊革まわりを見ても、電車っぽい感じでキハらしさが...。
【2017年8月27日9時04分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
いまの小湊キハとの共通点は、半室運転台構造。
でも、運転台の仕切り扉は、いまのキハ200形よりもしっかりしているような。
それにしても、その仕切り扉のドアノブも懐かしいタイプだが、運転台のつくりも
非常に簡素で。「キハ5800」と大書きされた運転台、狭いので広角でも全体を
捉えるのは困難だった。
【2017年8月27日9時04分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
逆側、客室内からも見える助士席側は手ブレーキハンドルがあるくらい。
こちらも非常に簡素なつくりで。
「見ておくべきポイント」だったにもかかわらず、よく覚えていないのが
客室内の照明。改造時期から考えると蛍光灯照明でも不思議ではないが...
【2017年8月27日9時04分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
でも、これが灯具を撮ったものだという自信が持てず。天井まわりも非常に
シンプルで、他に灯具っぽいものが無いので、カバー付きの白熱灯照明だと
思うのだが...。引退から30年余り、除籍されてからも20年余りが経過し、
もちろん、エンジンがかかる状態での保存では無いため、車内は真っ暗で、
この照明が白熱灯である自信はないのだが。
【2012年6月5日8時49分】 水島臨海鉄道水島本線・キハ204車内
ちなみに、小湊鐵道キハ200形は、国鉄キハ20形の“兄弟車”のように言われるが
その国鉄キハ20形は増備途中まで白熱灯、途中から蛍光灯照明が採用された。
ただ、台車の違い等もあって白熱灯照明の車両は早い時期に淘汰されるか、
蛍光灯化されて、<変態鉄>は白熱灯のキハ20系は実見していない。
そして...
網棚上の広告枠には、この公開に際してだろうか、キハ5800号車の現役時代の
写真が掲出され。
その1枚がコレ。
【2017年8月27日9時07分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
鉄道院時代の電車の写真から始まっていた。「鉄道国有法」の施行後、
1908年(明治41年)に設置され、1920年(大正9年)に鉄道“省”に昇格。
その間の10年余りの時代に作られた電車を「院電」という。
「なぜ、院電の写真があるの?!」
では、いま一度、このキハ5800号車の“経歴”を。
実は、その出自は1914年(大正3年)製の「院電」デハニ6465号車。
もちろん、この当時、長距離列車は機関車牽引の客車列車。
「電車」というのは大都市近郊に限られた。中央線・山手線用電車として使われたが
その活躍も10年くらい。大正末期には「国電」区間の1500V昇圧に伴い使用停止。
電装解除 → 荷物車となり、その後、三信鉄道に譲渡された。
なお、三信鉄道時代に車体の鋼体化を行っている。
【1991年8月11日】 飯田線・天竜峡駅
三信鉄道というのは、いまのJR飯田線の天竜峡駅から三河川合駅までの区間。
中央本線と東海道本線を繋ぐ路線として、4つの私鉄を合わせて戦時買収の対象
となり、国鉄飯田線となる。それと同時に、再び国鉄籍に復帰する。
1953年(昭和28年)の車両形式称号規程改正で国鉄クハ5800号車となり、
引き続き飯田線で活躍したが、その6年後、1959年(昭和34年)に廃車。
国鉄 → 三信鉄道 → 国鉄 と渡り歩き、600V用の木造電車から荷物車を経て、
1500V用の半鋼製電車となり、さらに電装解除(制御車化)と時代に翻弄されつつ
その姿を変えて45年間にわたって活躍した。
これでも電車として“長寿”の部類に入るのだが...
【2017年8月27日8時59分】 小湊鉄道・五井機関区
さらに、内燃動力(ディーゼル動車)化改造を受け、小湊鐵道に転じた。
同社初の液体式ディーゼル動車、エンジンはDMH17C型(180 PS)となった。
車体内外に残されている「昭和35年 日本車輌 東京」の銘板はこの改造工事の
ときのもの。
【2017年8月27日13時12分】 小湊鉄道線・里見駅
キハ200形の増備に伴い、<変態鉄>が生まれた頃に事実上、運用を離脱した。
その後も長らく予備車として五井機関区に残ったのがキハ5800号車である。
【2017年8月27日9時06分】 小湊鉄道・五井機関区(キハ5800号車内)
車内に掲示されていた写真の中には現役末期のものもあった。
パンフによれば、1986年(昭和61年)頃にイベント運転で走ったのが
最後の本線運転になったとか。1997年に正式に除籍、その後も保管されている。
車体も載せ替え、動力も変更しているが、でも、いくら“書類上”とは言っても
製造からすでに103年が経過している。実はかなり貴重な保存車なのである。
ディーゼル化改造からでさえも57年、「電車」であったことを示すものは...
と、思っていたのだが、でも、やっぱり。
人も車輌も、過去を消し去ることはできないのである(謎)。
【2017年8月27日10時21分】 小湊鉄道・五井機関区
床下に「電車」の面影が残っていた。
従台車がTR14形式、イコライザー式の台車というのは昭和20年台までに作られた
電車の特徴でもある。動台車は“TD14”となっている。たぶん、TR14の改造かと。
と、マニアックにこのキハを楽しんでいたのだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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小湊には三信・青梅と2つの旧電車改造気動車がいました。
珍しいことですね。
by Cedar (2017-09-07 08:16)
Cedarさん
コメントありがとうございます。
キハ6100の場合、このキハ5800形とはわずか4年違いの「電車 → ディーゼル化」改造だったわけですが、ただ、こちらは機械式ということで。ディーゼル車の技術面でも過渡期だったのかと。
昭和30年頃と言えば、たぶん買収国電の少数派の電車を整理して国鉄形に統一していった時期に重なったから、出物が多かったのかと思いますが、それにしても買収国電がキハになって、長らく活躍したというのは、おっしゃるとおり貴重なことですね。
by あるまーき (2017-09-07 08:30)