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1997年、上野発のボンネット特急のお話。~ ひたち103号 & 白山~ [アナログ写真保管庫]

日曜日は仕事がお休みだった。大相撲は今日で千秋楽、TVで観戦し終えても
「今夜のブログは何にしよう??」、拙ブログ、ネタ切れ、ここに極まる...の感あり。
書くことが思いつかなかった。ということで、今日からしばらくは古い話が続く
予感である。その第1弾。

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【1991年4月27日】 常磐線・上野駅

上野駅の行き止まり式地平ホーム、まだ、<変態ガキ鉄>だった頃には、
485系、189系...、国鉄型特急電車が頻繁に発着していた。
その中でも、最後までボンネット485系が残ったのが常磐線特急「ひたち」号。

某鉄道誌の特集で、“MD”なるものを使えば、車内録音が簡単に高音質で...
と知って、MDレコーダを買いに走ったのだった。その“デビュー作”は
早朝の山陰本線の通学列車、でも、12系客車でマイクを窓枠上に置くという
まさに初心者の痛恨のミス。走行音でも車内放送でもなく、2段式ユニット窓の
バタンバタンというノイズだけを記録したのだった。

「車内録音って難しい...」、何とか“納得のサウンド”を。

その機会は2ヶ月後、1997年5月の大型連休にやって来た。

……  ……

1997年5月5日(月祝)晴れ

茨城交通湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)で、キハ11形を中心にしたイベントが
行われるということで...

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【1997年5月5日】 茨城交通湊線・中根駅付近(?)

こどもの日の朝、8:30に上野駅を発つ特急「ひたち103号」で茨交の始発駅、
勝田駅に向かったのだった。当時は、行き帰りの列車を記録するようなことはかく
ボンネット型だったことは覚えているが、その列車の姿を撮ることはなかった。

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大型連休の朝、特急列車は満席だろう...という予想は見事にハズレ。
先頭クハ481形の自由席は、確か3~4名の乗客。急ぎ、MDレコーダにマイクを接続。



上野駅発車の模様から録音したのだった。

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【1994年5月頃】 常磐線・南千住駅

白い車体塗装に変更されていたが、485系ボンネット車である。
<車内放送マニア>初心者(?)としては、てっきり、「鉄道唱歌」のオルゴールが
演奏されるかと思っていたら...

上野駅構内を離れると、短い電子チャイムのメロディで車内放送が始まってビックリ。
でも、上野車掌区のベテラン車掌さんによる特急列車に相応しい好放送が録れたことに
すっかり気をよくして...。キハを撮ったことよりもコチラをよく覚えている。

さて、そのサウンドの最初の方でも、耳をよーーーーーーーく澄ませば、
上野駅をもう1本の列車と同時発車しているのだが...

同じくボンネット型、でも、そちらは489系。信越線・北陸線経由の金沢ゆき
特急「白山」号である。ボンネット型特急の同時発車...、思えば、貴重なシーンが
毎日繰り返されていたわけで。<録り鉄>としては、そのかすかにその存在が
確認できる程度の特急「白山」号、<富山鉄>としては思い出の列車で...

この記事の後半では、その「白山」号の写真をご紹介したい。

……  ……

1997年夏休みのある日

長野で冬季五輪が開催されることになって、それに合わせて“北陸新幹線”が
高崎-長野間で開業する運びになった。呼び名をどうするか...など、話題は
たくさんあったが「並行在来線」として信越本線がJRから経営分離され、
「しなの鉄道」が発足したのもこのとき。

国鉄 → JRで最急勾配の67パーミル、1000メートルあたり67メートルの高低差
というのは、その途中にある碓氷峠、群馬と長野の県境に位置する横川-軽井沢間。
ファンに広く“横軽”として知られた1区間は、現在はJRバスが結んでいる。
廃止直前にはTVニュースなどでも頻繁に取り上げられ、大騒ぎだった。

当時、大学生だった<変態鉄>も、そんな世の中の流れに...
廃止まで1ヶ月くらい、夏休みの1日、定番の撮影地に出向いたのだった。
まさに、典型的な<葬式鉄>である。一度も撮りに行ったことなどなかったのに。

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【1997年8月頃】 信越本線(当時)・横川-軽井沢(後追い)

関東と新潟を結ぶために信越本線が敷設された、明治時代からこの峠を克服するのに
“特別な装備”がいろいろと。幹線鉄道では日本で初めて電化されたのもこの区間。
アプト式を経て、“粘着式”、専用の補助機関車を連結して“協調運転”する
システムに改められていた。

その碓氷峠専用の電気機関車が「EF63」形式。必ず2両ペアで、上下全ての列車の
横川、ふもとの側に連結された。下り、長野方面の列車では最後部からの後押し、
上り、高崎・上野方面の列車ではブレーキをかけながら下る役割。

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【1997年8月頃】 信越本線(当時)・軽井沢-横川

そのEF63電気機関車を連結して碓氷峠を越えられる仕様になっている電車には
車体側面の番号表記に「●」を添えることになっていた。
専用の機関車を用意し、電車側にも必要な装備をして峠越えに臨んでいた。

ちなみに、この機関車の連結・解結作業のため、特急も含めて横川と軽井沢の2駅は
全列車が3分程度停車していた。横川駅で「峠の釜飯」があれほどの名物になれたのも
ある意味、その碓氷峠用補機EF63の連結作業のおかげなのかも知れない。

朝の信越本線で横川駅へ。

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【1997年8月頃】 信越本線(当時)・横川-軽井沢

「変電所跡」付近が“定番中の定番”といえる撮影地。
線路沿いに細い道があったのだが、まるで観光地の順路か、ハイキングコースの
ようにロープが張られた通路をひっきりなしに人たちが行き来していて。

ひっきりなしにやって来るのは、上野と長野・直江津を結んだ特急「あさま」。
長野支社の189系電車での運転。この189系の生き残りが、いま中央本線の
行楽快速などで最後の活躍を続けている。

その「あさま」号にも、もちろん夢中でシャッターを切ったのだが、でも、
それにも増して<変態鉄>がどうしても撮りたかったのは...

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【1997年8月頃】 信越本線(当時)・軽井沢-横川

上り特急「白山」である。JR西日本金沢支社所属の489系電車9両編成。
まだ国鉄だった頃、幼稚園児の頃から父方の郷里の富山に出かけるのには、
特急「白山」号だった。上野から富山までは6時間余りだっただろうか。

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【1997年8月頃】 信越本線(当時)・軽井沢-横川(後追い)

分割民営化直後、「白山」用の489系は派手な塗装に変更されていたが、
後に両先頭車がボンネット仕様のものだけに統一されており、被写体としても
魅力的だった。この編成になってからも何度か乗車することがあった。

やはり、自分が何度も乗った列車というのは、撮っておきたいものだった。

……  ……

とはいえ、<変態鉄>の“好物”だった直流急行型電車も気になる訳で...

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【1997年8月頃】 信越本線(当時)・横川-軽井沢

当時の<変態鉄>、165系電車でも“湘南色”ではなく、通称「モントレー」と
呼ばれていた新前橋電車区配置の波動用編成の塗装が一番好きだった。

あまり、<撮り鉄>に力を入れていなかった当時、これも“思い出の1枚”。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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