真夏の「いすみ」に“第3のキハ”を(2)「土佐」だとさ。 [いすみ鉄道 国鉄型キハ]
いつも多彩なヘッドマークを掲出して走る、いすみ鉄道のキハによる「観光急行」。
社長さんのブログにもある通り、国鉄時代、全国各地で見られた車両だけに
どの地域の列車のヘッドマークを掲げていても違和感がないのも確か。
沿線の“同業者さん”と話をすると「マーク無しの姿が撮りたい!!」という方が
多いのだが、それならば、平日の運転日に訪れれば良いだけで。
【2016年8月14日9時39分】 いすみ鉄道・風そよぐ谷 国吉駅
今夏は「ヘッドマーク祭り」と称して、房総だけではなく、全国さまざまな地域で
国鉄時代に走った急行列車のヘッドマークを復刻、日替わりでそれらを掲出して
運転するという、何とも地味な(?)イベントが行われていた。
この日は、「急行1号」の折返しから、四国独特の円形ヘッドマークの「土佐」が
キハ52 125号車に掲げられたのだった。
…… ……
「急行 土佐」とは、土讃線経由で高松-高知間を結ぶ列車名で、1959年に
高松桟橋-高知間の準急客車として登場、1966年には急行列車となり70年代に入ると
1日7往復と全盛期を迎える。その後、徐々に特急格上げが進み、1990年11月改正で
全廃された。
「急行型のキハ28ならわかるが、首都圏色(タラコ色)のゴーニーでは...」
と、思ったものだったが国鉄時代の急行「土佐」は郵便荷物気動車を併結しており、
そちらは首都圏色の車両もあったようで、首都圏色になったキハ52がこのマークを
掲げているのも、あながち不自然とは言い切れないのかも知れない。
2016年8月13日(土)晴れ一時曇り
さて、城見ヶ丘の夷隅川鉄橋で「急行1号」を撮った後は大多喜街道を延々と歩いて、
長い上り勾配を登り終えて右折、かにとり橋を渡れば小谷松地区である。
ここの付近は、「どこでも撮れそう」に見えてなかなかスッキリと撮れない...という印象。
迷った末に、精肉店横の小さな踏切。いつも通りの撮影ポイントだが...
【2016年8月13日11時10分】 いすみ鉄道・東総元-小谷松駅(後追い)
“天才と何かは紙一重”とはいうが、「撃沈」と「会心の1枚」も紙一重かも。
順光となる後追い、アウトカーブでキハ52の顔を迫力一杯に撮りたかったが、
それにしても...、カツカツになりすぎて仕舞った。
余白が広くなりすぎると、こういう場面の列車写真として迫力が出ないが、
これほどカツカツになってしまっても...。“撃沈”に限りなく近い1枚!?
この時点でもキハ52の顔は“スッピン”であることにも注目!!
気を取りなおして次の撮影ポイントへ。この時間帯は反対側のキハ28の顔は
逆光になってしまう。どうしても下り方ゴーニー側から狙わないと...
それにしても、大多喜から徒歩圏というだけでいつも小谷松で撮っているので、
“ネタ切れ”も良い所なのである。アジサイが満開のときに狙うポイントに立って
反対の大多喜側を見てみた。
【2016年8月13日11時39分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜-小谷松
ちょっとだけ“山間の農村部”といった感じが出せるかと思ってこのショット。
左隅に“同業者さん”が写り込んでしまった。
直前にやって来て線路際にクルマを止めて、そのまま周囲を見ないでカメラを
構える...、先に来て待っていた者からすれば非常に腹立たしい場面。
撮っている本人には自覚は無さそうだが、<撮り鉄>界では最大のマナー違反。
勘弁して欲しいのだが...
でも、それより驚いたのは突如、掲出された「急行 土佐」だった。
【2016年8月13日11時40分】 いすみ鉄道・小谷松駅(後追い)
ちなみに後ろ姿、キハ28に掲出されている大型マークは「急行 そとうみ」。
かつての房総循環急行の名称である。両国から外房線経由で安房鴨川までが
「そとうみ」、列車はそのまま、名称だけが「うちうみ」に変わって
内房線経由で両国に戻るタイプの循環列車だったような。
アジサイはすっかり茶色く枯れてしまっている。
キハは50分ほどで「急行2号(大多喜まで普通列車)」としてここに戻ってくる。
あまり時間の余裕は無いわけで、次の撮影地は“祠ポイント”横の踏切と決めた。
【2016年8月13日12時31分】 いすみ鉄道・小谷松-デンタルサポート大多喜(後追い)
自分と同じ踏切周辺には10名くらいの“同業者さん”がいたものの、皆さん、
逆光覚悟でキハ28側にカメラを向けていた。そんな中、自分一人が踏切に
カブリツキでキハ52を撮るべく、後追いでカメラをセットしていたのだった。
これまた、何度も撮ったことのある地点だが、でも、「土佐」のマーク付きは
1つ良い記録になった。
さて、後は午後の急行列車をどう撮るか...
【2016年8月13日13時30分】 いすみ鉄道・上総中川駅
とりあえず、第62D列車で13時半過ぎの上総中川駅へ。
本当は第2五之町踏切を考えていたのだが、ちょっと遠いので...
駅の国吉側には行川交差点がある。「ポッポの丘」に行くときの農道である。
何となくそこに立ってみるとちょっと良い感じに見えた。
【2016年8月13日14時21分】 いすみ鉄道・風そよぐ谷 国吉-上総中川
後ろは水田がひろがっていて。ちょうど稲刈りが始まっていたようで、
何だろうか、農作業のことは詳しくないのだが、刈り取った稲を白いロール状の
ものにして?? 田んぼに等間隔に並べていたみたい。
「土佐」のマークを掲げて、そこに差しかかる国鉄型ディーゼル動車編成。
ありきたりの列車写真だが、“納得の1枚”に仕上がってホッとしたのだった。
さて、次は...
このキハが上総中野まで行って折り返してくる「急行4号」までは約1時間。
3時を回ってもまだまだ暑い道路を延々歩いて城見ヶ丘まで戻ってきた。
朝一番の快速100D列車を撮った森宮踏切でも良かったが、さすがにそれでは
変化が無さそうで...
小高い丘の上、神社の横を抜けていくとクルマが入れない小さな小さな橋がある。
その線路を跨ぐ橋の上から、木々のトンネルを抜けていくキハを俯瞰できる。
【2016年8月13日15時32分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘-上総中川(後追い)
そんな雰囲気が出せれば良いと思って撮った1枚だったが...、う~ん、100%の撃沈。
薄暗くてピン甘、ダメダメな1枚である。嗚呼。
いったん、大多喜駅に戻って「観光本陣」で預けておいたバッグを受け取る。
夏休み期間だからだろうか、近くの県立大多喜高校の制服姿の女の子が対応してくれた。
現役女子高生から荷物を受け取る...、オッサンとしては恐縮してしまう一瞬。
さて、その“木々のトンネル”鬱蒼とした雑木林を抜けた先が城見ヶ丘駅である。
城見ヶ丘駅ヨコの踏切を渡った所に立てば、その鬱蒼とした木立を抜け出して
駅に進入してくるキハをアウトカーブから撮ることができる。
【2016年8月13日16時59分】 いすみ鉄道・上総中川-城見ヶ丘
防災無線から17時を告げるメロディが流れるのに合わせて「急行5号」がやって来た。
夕方の斜光線を浴びて輝くキハ...なのだが、写真では伝わらない。
【2016年8月13日17時00分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘駅(後追い)
後ろを見れば、コチラ。
いつの間にかキハ28のヘッドマークは「準急 京葉」に変わっていた。
合わせて、種別幕も「準急」。この芸の細かさは...、貴重なシーンが撮れた。
…… ……
再び、上総中川方面に歩いて行くと、まもなく葬祭場の前を過ぎると
夷隅川を渡る。その「増田橋」が大多喜町といすみ市の境界にあたる。
【2016年8月13日17時36分】 千葉県いすみ市増田付近
その橋を渡りきったところにバス停のポールが立っている。
「いすみシャトル」バスの増田橋バス停である。国吉駅近くの苅谷丁字路を経て
茂原駅前までを結ぶ路線バスで、いすみ市のコミュニティーバス路線とのこと。
以前は「HMC東京」という観光バスの会社が運行していたが、いつの間にか
運行は小湊バスに移管されていた。ちなみに、HMC時代から小湊バスの大多喜車庫で
折返しを行っており、大多喜の中心街を回送する姿が見られる。
でも、客扱いを市町境の「増田橋」までにするあたりに“お役所仕事”が
溢れているようで...、何だか微笑ましいのである。
ちなみに、増田橋から短い間隔でバス停が続くが、茂原市に入ったところからは
30分近くノンストップ運転となる。そんなところも...
ホテルにチェックインして、近くのファミレスで夕食を済ませたら、
早めに就寝したのである。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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どの地域の列車のヘッドマークを掲げていても違和感がないのも確か。
沿線の“同業者さん”と話をすると「マーク無しの姿が撮りたい!!」という方が
多いのだが、それならば、平日の運転日に訪れれば良いだけで。
【2016年8月14日9時39分】 いすみ鉄道・風そよぐ谷 国吉駅
今夏は「ヘッドマーク祭り」と称して、房総だけではなく、全国さまざまな地域で
国鉄時代に走った急行列車のヘッドマークを復刻、日替わりでそれらを掲出して
運転するという、何とも地味な(?)イベントが行われていた。
この日は、「急行1号」の折返しから、四国独特の円形ヘッドマークの「土佐」が
キハ52 125号車に掲げられたのだった。
…… ……
「急行 土佐」とは、土讃線経由で高松-高知間を結ぶ列車名で、1959年に
高松桟橋-高知間の準急客車として登場、1966年には急行列車となり70年代に入ると
1日7往復と全盛期を迎える。その後、徐々に特急格上げが進み、1990年11月改正で
全廃された。
「急行型のキハ28ならわかるが、首都圏色(タラコ色)のゴーニーでは...」
と、思ったものだったが国鉄時代の急行「土佐」は郵便荷物気動車を併結しており、
そちらは首都圏色の車両もあったようで、首都圏色になったキハ52がこのマークを
掲げているのも、あながち不自然とは言い切れないのかも知れない。
2016年8月13日(土)晴れ一時曇り
さて、城見ヶ丘の夷隅川鉄橋で「急行1号」を撮った後は大多喜街道を延々と歩いて、
長い上り勾配を登り終えて右折、かにとり橋を渡れば小谷松地区である。
ここの付近は、「どこでも撮れそう」に見えてなかなかスッキリと撮れない...という印象。
迷った末に、精肉店横の小さな踏切。いつも通りの撮影ポイントだが...
【2016年8月13日11時10分】 いすみ鉄道・東総元-小谷松駅(後追い)
“天才と何かは紙一重”とはいうが、「撃沈」と「会心の1枚」も紙一重かも。
順光となる後追い、アウトカーブでキハ52の顔を迫力一杯に撮りたかったが、
それにしても...、カツカツになりすぎて仕舞った。
余白が広くなりすぎると、こういう場面の列車写真として迫力が出ないが、
これほどカツカツになってしまっても...。“撃沈”に限りなく近い1枚!?
この時点でもキハ52の顔は“スッピン”であることにも注目!!
気を取りなおして次の撮影ポイントへ。この時間帯は反対側のキハ28の顔は
逆光になってしまう。どうしても下り方ゴーニー側から狙わないと...
それにしても、大多喜から徒歩圏というだけでいつも小谷松で撮っているので、
“ネタ切れ”も良い所なのである。アジサイが満開のときに狙うポイントに立って
反対の大多喜側を見てみた。
【2016年8月13日11時39分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜-小谷松
ちょっとだけ“山間の農村部”といった感じが出せるかと思ってこのショット。
左隅に“同業者さん”が写り込んでしまった。
直前にやって来て線路際にクルマを止めて、そのまま周囲を見ないでカメラを
構える...、先に来て待っていた者からすれば非常に腹立たしい場面。
撮っている本人には自覚は無さそうだが、<撮り鉄>界では最大のマナー違反。
勘弁して欲しいのだが...
でも、それより驚いたのは突如、掲出された「急行 土佐」だった。
【2016年8月13日11時40分】 いすみ鉄道・小谷松駅(後追い)
ちなみに後ろ姿、キハ28に掲出されている大型マークは「急行 そとうみ」。
かつての房総循環急行の名称である。両国から外房線経由で安房鴨川までが
「そとうみ」、列車はそのまま、名称だけが「うちうみ」に変わって
内房線経由で両国に戻るタイプの循環列車だったような。
アジサイはすっかり茶色く枯れてしまっている。
キハは50分ほどで「急行2号(大多喜まで普通列車)」としてここに戻ってくる。
あまり時間の余裕は無いわけで、次の撮影地は“祠ポイント”横の踏切と決めた。
【2016年8月13日12時31分】 いすみ鉄道・小谷松-デンタルサポート大多喜(後追い)
自分と同じ踏切周辺には10名くらいの“同業者さん”がいたものの、皆さん、
逆光覚悟でキハ28側にカメラを向けていた。そんな中、自分一人が踏切に
カブリツキでキハ52を撮るべく、後追いでカメラをセットしていたのだった。
これまた、何度も撮ったことのある地点だが、でも、「土佐」のマーク付きは
1つ良い記録になった。
さて、後は午後の急行列車をどう撮るか...
【2016年8月13日13時30分】 いすみ鉄道・上総中川駅
とりあえず、第62D列車で13時半過ぎの上総中川駅へ。
本当は第2五之町踏切を考えていたのだが、ちょっと遠いので...
駅の国吉側には行川交差点がある。「ポッポの丘」に行くときの農道である。
何となくそこに立ってみるとちょっと良い感じに見えた。
【2016年8月13日14時21分】 いすみ鉄道・風そよぐ谷 国吉-上総中川
後ろは水田がひろがっていて。ちょうど稲刈りが始まっていたようで、
何だろうか、農作業のことは詳しくないのだが、刈り取った稲を白いロール状の
ものにして?? 田んぼに等間隔に並べていたみたい。
「土佐」のマークを掲げて、そこに差しかかる国鉄型ディーゼル動車編成。
ありきたりの列車写真だが、“納得の1枚”に仕上がってホッとしたのだった。
さて、次は...
このキハが上総中野まで行って折り返してくる「急行4号」までは約1時間。
3時を回ってもまだまだ暑い道路を延々歩いて城見ヶ丘まで戻ってきた。
朝一番の快速100D列車を撮った森宮踏切でも良かったが、さすがにそれでは
変化が無さそうで...
小高い丘の上、神社の横を抜けていくとクルマが入れない小さな小さな橋がある。
その線路を跨ぐ橋の上から、木々のトンネルを抜けていくキハを俯瞰できる。
【2016年8月13日15時32分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘-上総中川(後追い)
そんな雰囲気が出せれば良いと思って撮った1枚だったが...、う~ん、100%の撃沈。
薄暗くてピン甘、ダメダメな1枚である。嗚呼。
いったん、大多喜駅に戻って「観光本陣」で預けておいたバッグを受け取る。
夏休み期間だからだろうか、近くの県立大多喜高校の制服姿の女の子が対応してくれた。
現役女子高生から荷物を受け取る...、オッサンとしては恐縮してしまう一瞬。
さて、その“木々のトンネル”鬱蒼とした雑木林を抜けた先が城見ヶ丘駅である。
城見ヶ丘駅ヨコの踏切を渡った所に立てば、その鬱蒼とした木立を抜け出して
駅に進入してくるキハをアウトカーブから撮ることができる。
【2016年8月13日16時59分】 いすみ鉄道・上総中川-城見ヶ丘
防災無線から17時を告げるメロディが流れるのに合わせて「急行5号」がやって来た。
夕方の斜光線を浴びて輝くキハ...なのだが、写真では伝わらない。
【2016年8月13日17時00分】 いすみ鉄道・城見ヶ丘駅(後追い)
後ろを見れば、コチラ。
いつの間にかキハ28のヘッドマークは「準急 京葉」に変わっていた。
合わせて、種別幕も「準急」。この芸の細かさは...、貴重なシーンが撮れた。
…… ……
再び、上総中川方面に歩いて行くと、まもなく葬祭場の前を過ぎると
夷隅川を渡る。その「増田橋」が大多喜町といすみ市の境界にあたる。
【2016年8月13日17時36分】 千葉県いすみ市増田付近
その橋を渡りきったところにバス停のポールが立っている。
「いすみシャトル」バスの増田橋バス停である。国吉駅近くの苅谷丁字路を経て
茂原駅前までを結ぶ路線バスで、いすみ市のコミュニティーバス路線とのこと。
以前は「HMC東京」という観光バスの会社が運行していたが、いつの間にか
運行は小湊バスに移管されていた。ちなみに、HMC時代から小湊バスの大多喜車庫で
折返しを行っており、大多喜の中心街を回送する姿が見られる。
でも、客扱いを市町境の「増田橋」までにするあたりに“お役所仕事”が
溢れているようで...、何だか微笑ましいのである。
ちなみに、増田橋から短い間隔でバス停が続くが、茂原市に入ったところからは
30分近くノンストップ運転となる。そんなところも...
ホテルにチェックインして、近くのファミレスで夕食を済ませたら、
早めに就寝したのである。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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傑作揃いですが、わたくしは103Dの写真が一番お気に入りです。画像右手にある(ハズの)住宅やガードレール等を大変上手に隠されており、あの風景を切り取るとこんな里山風景になるんだなぁと。左隅の同業者さんもあまり気になりません。
わたくしは不思議とい鉄で同業者さんが構図に写り込むようなトラブルは未経験なのですが、難しいですね。とりあえず自分が誰かの構図に入らないよう、最低でも通過5分前にスタンバイするよう心掛けておりますが。
明日の更新分も楽しみにしております。
by ハヤブサくん (2016-09-04 13:11)
ハヤブサくん さん
コメントありがとうございます。
どの写真も...、お恥ずかしい出来映えで、大変恐縮しております。
あの写真、キハの背後にはガードレールと住宅があって構図とりには非常に苦労しました。それらをキハで隠して何とか、あんな画に仕上げたのですが。左隅の方も、悪気があったわけではないと思いますし、広く風景を入れて撮ろうとすれば、覚悟しておかないといけないことでもあるわけで。場合によってはトリミングしてしまっても良かったのですが、背後の農家もカットしたくなかったので、そのままにしました。
ただ、いすみのキハは毎週でも撮れますので、またの機会にリベンジしてみたいと思います。
by あるまーき (2016-09-04 22:16)