消印の中の鉄道(38)三島駅前郵便局(静岡県) [消印の中の鉄道情景]
昨日は、JAM、第16回 国際鉄道模型コンベンションに行った記事を挟んだので、
1回お休みした、8月13-16日の撮影記というか旅行記。
【2015年8月13日11時35分】 東海道本線・三島駅
「青春18きっぷ」で東京から名古屋に向かう道中、途中下車したのは三島。
今日は、話が脇に逸れてしまうが、スピン・オフ的に三島駅前郵便局の風景印を
ご紹介したい。
…… ……
【2015年8月13日10時51分】 東海道本線・熱海駅
熱海から乗車した沼津ゆきを三島で途中下車したのは、風景印のため。
事前の情報によると、三島駅にほど近い三島駅前郵便局に<鉄>な風景印があるとか。
【2015年8月13日11時29分】 東海道本線・三島駅
伊豆箱根鉄道の乗り場がある南口に下車。駅前は狭い通り沿いに土産物店などが
並んでいて、意外と活気がある感じ。
街路樹に囲まれて写真が撮りづらかったが、この駅舎、トンガリ屋根は富士山と
三嶋大社をイメージしたものだとか。
【2015年8月13日11時18分】 静岡県三島市・三島駅前付近
昔ながらの低いアーケードが続く商店街を進んだ先に三島駅前郵便局があった。
さて、その風景印。
上の写真にもある三島駅舎だろうか、それとともに新幹線がデザインされている。
そう、三島は東海道新幹線の停車駅、1964年(昭和39年)開業時には車両基地と
保線関係の施設だけだったが、地元の要望もあって5年後の1969年(昭和44年)に
新幹線では初めての増設駅としてホームが設置された。熱海、三島と新幹線にしては
短距離で駅が連続している。
その新幹線電車、ちょっとビミョーな感じだが、ヘッドライトや前頭部の鋭角的な
デザインから判断するに、これは100系新幹線では無かろうか。
(パンタ位置もドア配置も、<鉄>的には何とも不思議な絵だが...)
【2008年10月30日14時44分】 山陽新幹線・岡山駅
1964年に開業した東海道新幹線、当初は0系だけだったが、高速走行と長距離運用、
新幹線電車の寿命というのは意外と短く、15~20年で置き換えとなる。
ちょうど<変態鉄>が生まれた頃(← 昭和53年)には初期車の老朽置き換えが
始まっていたが、国鉄末期のいろいろと難しい状況の中で、
「老朽化した0系を新製した0系で置き換える」という他に例を見ないパターンに。
【2008年10月30日12時38分】 山陽新幹線・岡山駅
国鉄の分割民営化の直前になって、新幹線開業以来、およそ四半世紀ぶりの
フルモデルチェンジ車として登場したのが100系新幹線。窓が大きくなり、
普通車のシートも全部、回転式リクライニングシートとなり、何と言っても最大の
特徴は編成中に2両の2階建て車両が連結されたこと。
グリーン車も個室式となり、昭和の終わりから平成の初めにかけてのバブル景気を
象徴するような豪華な仕様となった。
ちなみに、テレビCM「シンデレラエクスプレス」などの「~エクスプレス」シリーズの頃、
東海道新幹線の“エース”として君臨していたのが100系「ひかり」だった。
【1994年4月頃】 東海道新幹線・東京駅
見たり撮ったりするのなら、0系新幹線が一番好きな<変態鉄>、
でも、<変態ガキ鉄>時代、父の単身赴任先に遊びに行く...と称して<鉄>活動していた
中学生時代、月に1~2回乗る東海道新幹線は100系の列車を選んでいた。
とはいえ、大半の「ひかり」は100系だったので何の苦労も無く乗れたのだが...
乗ってしまうと快適。車端部に設けられたLED式の表示器も当時としてはまだ珍しく、
「次は 東京 あと15km」から始まる次の駅までのカウントダウンを楽しみにしていた。
(多摩川鉄橋付近で表示が付いた。でも、後に距離の表示は消されていった)
【2008年10月30日12時38分】 山陽新幹線・岡山駅
しかし、モーターをはじめ走行機器の技術の進歩を2階建て車両の連結や
客室の快適性向上に充てた100系、その後、「のぞみ」が登場してスピードアップの
時代を迎えると、華やかな舞台から去っていくことになる。
「こだま」用に転用され、ひっそりと引退していったのである。
思い出を語り出すと長くなる割には、やはり「当たり前の存在」だった時期が長く
ちゃんと写真を撮ったことはほとんどなかった。
東海・西日本それぞれの、0系のお別れ運転の時は(最終日ではなくても)
見に行った自分だが、100系はタイミング悪く、<葬式鉄>すらできなかった。
そう、この記事に載せた写真も、必死になってHDDの中を発掘してきたもの。
それにしても、いつもに増して酷い写真ばかり(笑)。普段から見慣れた車両も
ちゃんと撮っておかないと...と思いつつ、というのはいつも書いている通り。
でも...、いつになっても学習しない自分が居るのである。
…… ……
「三島市内の郵便局は全局に風景印を置いていますので!!」
とは対応して下さった職員の方。そうなれば、三島市内の他の局も回ってみたいが
あまりゆっくりしてもいられないのである。
引き続き、名古屋を目指すべく、三島駅に戻ったのだった。
さて、明日からは、8月13-16日の撮影記をちょっとは前に進めないと。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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1回お休みした、8月13-16日の撮影記というか旅行記。
【2015年8月13日11時35分】 東海道本線・三島駅
「青春18きっぷ」で東京から名古屋に向かう道中、途中下車したのは三島。
今日は、話が脇に逸れてしまうが、スピン・オフ的に三島駅前郵便局の風景印を
ご紹介したい。
…… ……
【2015年8月13日10時51分】 東海道本線・熱海駅
熱海から乗車した沼津ゆきを三島で途中下車したのは、風景印のため。
事前の情報によると、三島駅にほど近い三島駅前郵便局に<鉄>な風景印があるとか。
【2015年8月13日11時29分】 東海道本線・三島駅
伊豆箱根鉄道の乗り場がある南口に下車。駅前は狭い通り沿いに土産物店などが
並んでいて、意外と活気がある感じ。
街路樹に囲まれて写真が撮りづらかったが、この駅舎、トンガリ屋根は富士山と
三嶋大社をイメージしたものだとか。
【2015年8月13日11時18分】 静岡県三島市・三島駅前付近
昔ながらの低いアーケードが続く商店街を進んだ先に三島駅前郵便局があった。
さて、その風景印。
上の写真にもある三島駅舎だろうか、それとともに新幹線がデザインされている。
そう、三島は東海道新幹線の停車駅、1964年(昭和39年)開業時には車両基地と
保線関係の施設だけだったが、地元の要望もあって5年後の1969年(昭和44年)に
新幹線では初めての増設駅としてホームが設置された。熱海、三島と新幹線にしては
短距離で駅が連続している。
その新幹線電車、ちょっとビミョーな感じだが、ヘッドライトや前頭部の鋭角的な
デザインから判断するに、これは100系新幹線では無かろうか。
(パンタ位置もドア配置も、<鉄>的には何とも不思議な絵だが...)
【2008年10月30日14時44分】 山陽新幹線・岡山駅
1964年に開業した東海道新幹線、当初は0系だけだったが、高速走行と長距離運用、
新幹線電車の寿命というのは意外と短く、15~20年で置き換えとなる。
ちょうど<変態鉄>が生まれた頃(← 昭和53年)には初期車の老朽置き換えが
始まっていたが、国鉄末期のいろいろと難しい状況の中で、
「老朽化した0系を新製した0系で置き換える」という他に例を見ないパターンに。
【2008年10月30日12時38分】 山陽新幹線・岡山駅
国鉄の分割民営化の直前になって、新幹線開業以来、およそ四半世紀ぶりの
フルモデルチェンジ車として登場したのが100系新幹線。窓が大きくなり、
普通車のシートも全部、回転式リクライニングシートとなり、何と言っても最大の
特徴は編成中に2両の2階建て車両が連結されたこと。
グリーン車も個室式となり、昭和の終わりから平成の初めにかけてのバブル景気を
象徴するような豪華な仕様となった。
ちなみに、テレビCM「シンデレラエクスプレス」などの「~エクスプレス」シリーズの頃、
東海道新幹線の“エース”として君臨していたのが100系「ひかり」だった。
【1994年4月頃】 東海道新幹線・東京駅
見たり撮ったりするのなら、0系新幹線が一番好きな<変態鉄>、
でも、<変態ガキ鉄>時代、父の単身赴任先に遊びに行く...と称して<鉄>活動していた
中学生時代、月に1~2回乗る東海道新幹線は100系の列車を選んでいた。
とはいえ、大半の「ひかり」は100系だったので何の苦労も無く乗れたのだが...
乗ってしまうと快適。車端部に設けられたLED式の表示器も当時としてはまだ珍しく、
「次は 東京 あと15km」から始まる次の駅までのカウントダウンを楽しみにしていた。
(多摩川鉄橋付近で表示が付いた。でも、後に距離の表示は消されていった)
【2008年10月30日12時38分】 山陽新幹線・岡山駅
しかし、モーターをはじめ走行機器の技術の進歩を2階建て車両の連結や
客室の快適性向上に充てた100系、その後、「のぞみ」が登場してスピードアップの
時代を迎えると、華やかな舞台から去っていくことになる。
「こだま」用に転用され、ひっそりと引退していったのである。
思い出を語り出すと長くなる割には、やはり「当たり前の存在」だった時期が長く
ちゃんと写真を撮ったことはほとんどなかった。
東海・西日本それぞれの、0系のお別れ運転の時は(最終日ではなくても)
見に行った自分だが、100系はタイミング悪く、<葬式鉄>すらできなかった。
そう、この記事に載せた写真も、必死になってHDDの中を発掘してきたもの。
それにしても、いつもに増して酷い写真ばかり(笑)。普段から見慣れた車両も
ちゃんと撮っておかないと...と思いつつ、というのはいつも書いている通り。
でも...、いつになっても学習しない自分が居るのである。
…… ……
「三島市内の郵便局は全局に風景印を置いていますので!!」
とは対応して下さった職員の方。そうなれば、三島市内の他の局も回ってみたいが
あまりゆっくりしてもいられないのである。
引き続き、名古屋を目指すべく、三島駅に戻ったのだった。
さて、明日からは、8月13-16日の撮影記をちょっとは前に進めないと。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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