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北陸本線には、いつも「雷鳥」がいた(81)あの頃の富山駅 [富山で撮った]

今日の話題に入る前に。
「あぁ~っ、あんたの顔見ただけでジンマシンが出るわ!!!」と言われたことが
あったかどうかは秘密だが、でも、そんな自分が...である。

一昨日あたり、脚に何だか赤いモノがあるなぁ...と思ったら、
両足、胸、背中...、その勢力は急速に拡大。とうとう痒くて痒くて眠れないまでに。
あぁ、明日は朝から病院に行くしかない。「激しい痒みで眠れない」なんて初体験。

仕事はどうでも良いが、水曜の“出撃”ができるかどうか...
そればかりが気になっている。

さて、昨日まで2003年9月に運転された「懐かしの雷鳥」号の話題を中心に書いてきた。
結局、雨に負けて(笑)、石川県内で撮るつもりだった復路便は富山駅での駅撮り。

京都のボンネット型クハ481、その最後の晴れ舞台を当時の自分としての“会心の1枚”。
大満足の撮影行になった訳で、この夕方、金沢に移動、翌日は金沢市内中心部を
歩き回った。まぁ、それは兎も角...である。
富山駅での駅撮り、撮った当時、自分の視線の先にはボンネット型特急型電車しか
見えていなかったわけだが、いま、こうやって見直してみると、そこには

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【2009年3月4日8時45分】 高山本線・富山駅

いまではすっかり姿を変えてしまった、いまから12年前の富山駅が写っていた。
という訳で、今日は新旧織り交ぜて、富山駅で撮った写真をご紹介したい。
……  ……

まずは、この薄暗い1枚。

02_20030921_12.jpeg
【2003年9月21日】 北陸本線・富山駅

485系が居る中線を挟んで「サンダーバード」が停車中の
北陸本線ホームがある。そこに見える跨線橋も懐かしい形。
ちなみに、背後に見える大きなビルには「立山黒部アルペンルート」の文字、
地鉄ホテルである。こちらだけは、いまも変わらない。

自分がカメラを構えたのは富山港線のホームだった。
こちらは、あまりハッキリと覚えていない。乗ったのも1回だけだった。
北陸本線の架線柱が立派なトラス構造なのに、富山港線のものは簡素なつくりに見える。
北陸本線と共通運用の475系3連が往復していたはずだが、こちらは直流電化。
富山地鉄富岩線を戦時買収したのが富山港線だった。この暫く後、富山駅側の区間は
廃止となり、富山駅北からの“ポートラム”に生まれ変わった。

03_20030921_11.jpeg
【2003年9月21日】 北陸本線・富山駅

ここで“回れ右”。出発していく「懐かしの雷鳥」号を後追いで撮ったのだが、
そこには富山港線の車止めが写っている。

ということは、475系(末期にはキハ120)の送り込みは東富山側から行われていた??
当時は、そんなことを考えもしなかった。

そして、<変態鉄>が注目したのは、この写真のクハ481のテールライトの左側。
向こうのホームに停まる列車の姿がチラッとだけ写り込んでいる。
そう、白い車体に窓下にオレンジと緑の帯。東海色のキハ48形である。

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【2008年3月5日11時36分】 高山本線・猪谷駅

県境の岐阜県側で豪雨のため長期運休になるまでは、JR東海のディーゼル動車は
富山まで乗り入れ、JR西日本のキハ120形は高山まで乗り入れるのが“当然”だった。
自分もキハ120で高山まで乗ったことがある。う~ん、懐かしい。

高山本線は、呉羽側にある欠き取りホームに発着するというのは、仮ホーム化されても
地上にあった富山駅では一貫していた。ホームに番号が無く「西ホーム」と呼ばれた
時代から見てきたのだった。

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【2009年3月5日6時20分】 高山本線・富山駅

その最末期にあたる時期が、<変態鉄>が「飛越ゴハチ」を追っていた頃。
そんな「西」ホームで(当時はすでに「西ホーム」ではなかったが...)、
早朝のゴハチニハチを待ち受けるのが富山での“日課”だった。
写真左隅には、8時の名古屋ゆき「ワイドビューひだ」が待機している。
一方、右側、その「懐かしの雷鳥」が出発していったホームはすでに解体されており、
富山港線ホーム付近になるのだろうか、仮設ホームに移転していた。
こちらのホームも、まもなく移転され、あの「富山駅」は姿を消したのだった。

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【2003年9月21日】 北陸本線・富山駅

位置としては、この撮影会が催された電留線付近が北陸本線下り線になった筈。

……  ……

そんな富山駅。拙ブログ開設当時にも記事にしたことだが...
<変態ガキ鉄>が「富山駅」と聞いて思い出すシーンにはこの1枚。

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【2010年1月28日8時50分】 高山本線・富山駅

当たり前すぎて、きちんと撮ったことがなかった。
でも、この改札越しにホームが一望できる...、小さかった頃からの思い出。
すでに発車案内板はLED化されていたが、「特急」の赤文字が並んでいたのも懐かしい。

……  ……

富山駅のホームで“駅撮り”したのは中学生の頃から数知れない。
いろいろな場面が思い出されるのだが、富山駅の好きだった部分をあえて1箇所だけ
挙げるとするならば、2番のりばから撮ったこのシーン。

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【2009年3月19日10時30分】 北陸本線・富山駅

屋根が一部剥がされているが、これは新幹線工事に伴う従来の駅施設の撤去作業が
始まっていたから。そう、まさに最後の時期なのだが...

この跨線橋の見える光景。
先の改札を通って、左側にこの跨線橋があった。北陸本線に乗るために何度も渡った。
そして、その階段を上りきったところに、小さな改札口があった。
そう、この跨線橋に直接アクセスできたステーションデパート改札口。

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【2009年3月18日6時15分】 北陸本線・富山駅

さらに2番のりばを呉羽側に進むと、この場面が2010年頃まで残っていたのだ。
跨線橋が二重になっているようにも見えるが...

これ「テルハ」、鉄道荷物輸送があった当時には多くの駅にあったというが、
分割民営化前に事実上全廃された荷物輸送、でも、富山駅には長らくテルハが
そのままの姿で残っていた。
ちなみに、「テルハ」というのは港湾などにもあるが、台車に載せた荷物を
エレベータで上げて、そのまま横に移動する装置...と言えば分かるだろうか。
富山駅の「テルハ」、いつまで“現役”だったかは知らないのだが、
それでも、このシーン自体が、<変態鉄>には堪らないシーンだった。

ちなみに、「テルハ」と言えば「ターレ」と答えたくなるのが<変態鉄>。
1997年頃に米子駅ホームの階段下の物陰に置かれた「ターレ」を喜び勇んで
撮影した記憶がある。今度、その写真を探してみようか...

でも、このあたり、鉄道での荷物輸送時代を知らない<変態鉄>。
このあたりの話も、本の中で知ったことと<変態鉄>の妄想で語っている話。
新聞や小荷物を満載した台車がテルハを通って、ホームに送り込まれていくシーンを
一度でよいから、この目で見てみたかった。

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【2009年5月1日10時34分】 高山本線・富山駅

カメラを提げて、ぼーーっと、この景色を眺めていたのも、昔の話になりつつある。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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