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千年の都にトラムを追った頃 ~ 嵐電と京津線 ~ ['90sのトラムたち]

今日の話題に入る前に。
“酉の市の熊手”が、それほど高価だとは知らなかった。なんと8億円の熊手。
ウソをつくなら、もうちょっと巧いウソにして欲しい。
よしみちゃんも佐村河内氏に弟子入りしておけばよかったのに。

さて、自分の行動範囲がひろがって、
カメラを持って全国各地を動き回るようになったのは1990年台に入った頃。
中学生になった頃なのだが、最初にカメラを向けたのは各地に残る路面電車だった。

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小さい頃から親にねだっては買ってもらった本が当時の自分の情報源。
「予習」は十分だった。でも、百聞は一見にしかず、実際に見ると、乗ってみると
いろいろな発見があった。

全国のトラムを追いかけた90年台前半の時期、
写真の腕は今にも増して酷いものではあった。
でも、間違いなく、今よりも真剣に、新鮮な気持ちで被写体に向き合っていたような...
そんな写真をご紹介してしまうシリーズ。
……  ……

1991年夏、朝早く岐阜を出た<変態ガキ鉄>、青春18きっぷを片手に
新快速電車に乗り継いでやって来たのは京都。当時、都の東西に2つの路面電車があった。

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【1991年8月12日】 京阪京津線・京津三条駅付近(当時)

三条京阪前で市バスを降り、京津線に沿って三条通りを歩いてみた。
それにしても、暑かった。8月の京都の暑さを知ったのもこのとき。

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【1993年10月頃】 京阪京津線・東山三条-蹴上(当時)

途中、東山三条の付近で見つけた歩道橋。
三条通りの両側には雰囲気の良い街並み、でも、写真が93年撮影ということは...
そう、初挑戦の写真は見事なまでの撃沈だったのだ。

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【1993年10月頃】 京阪京津線・東山三条-蹴上(当時)

路面電車でありながら、県境を越えて浜大津まで走っていた京津線、
路面併用区間の駅には普通だけが停車し、浜大津まで行くのは準急電車。
準急には、緑色濃淡の京阪電車らしい塗色の600形と700形が使われていた。

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【1991年8月12日】 京阪京津線・蹴上駅(当時)

でも、当時の<変態ガキ鉄>のお気に入りは、80形という丸みのある電車。
こちらは専ら普通運用、道路上にある低いホームからの乗降対応のステップ付き、
路面電車然としたスタイル、それから丸みのある独特の車体形状、
そんなところが何とも言えなかった。

……  ……

その後、市バスとJR嵯峨野線を乗り継いでやって来たのは嵯峨駅(当時)。
確か、山陰・嵯峨野線の電車は昼間でも満員で座れなかった記憶が...
でも、JRの電車はほとんど撮っていなかった<変態ガキ鉄>。

少し迷ってたどり着いた嵯峨駅前で、初めて撮った嵐電は...

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【1991年8月12日】 京福嵐山本線・嵯峨駅前駅(当時)

「これが撮りたかった!!」
こんな電車がまだまだ現役で頑張っていたのである。

一大観光地・嵐山と京都の中心部・四条大宮を結ぶ嵐山本線と
途中、帷子の辻から分岐して北野白梅町にいたる路線からなるのが嵐電。

「竜安寺道」「蚕ノ社」「車折神社」、そして「帷子ノ辻」...
東京からやって来たガキは、そんな素敵な駅名に圧倒され、
半鋼製電車の、ちょっと薄暗くも、でも、上品な車内にコーフンしていた。

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【1991年8月12日】 京福嵐山本線・嵯峨駅前駅(当時)

こういう角張った、屋根に冷房を載せた電車も撮っていた。でも、他の写真がない...

という訳で、1993年5月に「撮り直し」。ネガの状態が悪い。ショック。

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【1993年5月】 京福嵐山本線・太秦駅付近(当時)

嵐電といえばココ。太秦の広隆寺前をゆく電車。
当時の<変態ガキ鉄>には“会心の1枚”だった。四ツ切サイズに引き延ばして
もらって、自分の部屋に貼っていた写真である。

PICT0876.JPG
【1993年5月】 京福嵐山本線・太秦駅付近(当時)

隣を走る京都バスも懐かしい感じのバスなのだが、こちらの電車も。
やはり、自分の中で嵐電といえば、この電車なのである。

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【1993年5月】 京福嵐山本線・撮影地不詳

さて、当時の嵐電は平日は単行、土休日は2両連結が基本だったと思う。
場所は変わって、三条通りの併用軌道区間。道路幅にも余裕があり、
写真は撮りやすかった。

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【1993年5月】 京福嵐山本線・撮影地不詳

そして、広隆寺前では京都バスと並んでくれた2両編成をもう一度。
でも、すぐ上の写真と見比べて欲しい。一見、同じような電車に見えるが、
こちらの写真の2両編成には集電装置(Zパンタ)が2両で1つしか見えない。
そう、実はこの202号車は増結用クハなのだった。路面電車では、何とも珍しい。

PICT0880.JPG
【1993年5月】 京福嵐山本線・山ノ内駅

ここは山之内電停だっただろうか。
それにしても狭い安全地帯なのである。ホームなのか平均台なのか!? というくらい。
そこをクルマが結構な勢いで走っていくのに驚く、<変態ガキ鉄>だった。

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【1993年5月】 京福嵐山本線・御室駅(当時)

ちなみに、当時の自分でもこの駅舎には流石にカメラを向けずには居られなかった。
この駅舎、まだ残っているのだろうか。近いうちに、行ってみたいと思っている。

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【1993年10月頃】 京福嵐山本線・西大路三条駅付近

再訪した93年秋の時点で“最新型”は、このレトロ調電車だっただろうか。
西大路三条の交差点で待って撮った1枚。

……  ……

でも、京都の路面電車といえば、日本で最初の営業路線(N電)を含む“市電”。
自分が生まれた頃に廃止されたわけだが、

PICT0004.JPG
【1991年8月13日】 広島電鉄・宇品電停付近(当時)

広島で生き残っている電車がいるほか、京都市交通局が保管していた市電たちも
今春から梅小路公園で展示されているという...

路面電車を撮る身としては、今年中に京都に行かないわけにはいかないだろうと
思っているのである。

(普段以上に、曖昧な記憶で書いた記事なので、撮影地点など
お気づきの点などありましたらコメント欄にお願いします。)

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コメント 5

Cedar

初めての撮り鉄旅のワクワクが伝わってきます。
嵐電の旧形車はやはり路面電車の傑作です、塗装もこっちが良いなあ。
by Cedar (2014-03-30 05:30) 

モボ

京福嵐山本線・太秦駅前の写真は、自動車がかぶらず、うまく撮れていますね。
その下の写真は、西大路三条〜山ノ内駅間ですね。
背後の白い建物が島津製作所で、並木道と道路の広い幅が特徴です。
写真の右奥が、西大路三条駅です。
さらにその下の写真も、西大路三条〜山ノ内駅間ですね。
この写真は、山ノ内駅に近いところで撮っておられ、写真左奥のファミレス風の建物や右側のローソン(系列店だったかも?)も、現在もあります。
山ノ内の電停も、御室駅の駅舎(映画のセットだったらしい)のも変わらずあります。

この時代に、自分も撮り鉄しておけばよかったです。
by モボ (2014-03-30 08:47) 

あるまーき

コメントありがとうございます。

☆ Cedarさん
この当時は、いまのように、出発前にネットで最新の情報をチェックしてから...というわけにいかなかったので、その分、見るもの、聞くもの全てが新鮮だった気がします。また、仰るように嵐電は、特にこの旧型車は何とも言えない味のある車両でした。自分も緑色のツートンの方が嵐電には似合っていると思います。

☆ モボさん
大変丁寧なフォローコメント、本当にありがとうございます。
太秦(広隆寺前)のカットは、当時の自分にとって「会心の1枚」でした。また撮りに行きたいと思っています(それまで、ツートンカラーの電車は残っているのか...)。
道路併用軌道区間の写真は、どうやら、西大路三条と山ノ内の駅間を歩きながらの撮影だったのですかね。記憶も曖昧になっています。
撮影地の現況に関しても、ありがとうございます。御室駅も再訪してみたいと思います。
by あるまーき (2014-03-30 09:26) 

johncomeback

スゴイ、中学生で全国巡っていたんですねヽ(*^^*)ノ
by johncomeback (2014-03-30 10:44) 

あるまーき

johncomebackさん

コメントありがとうございます。
この当時は、いまと違って、臨時快速「ムーンライト」など、青春18きっぷのシーズンとなれば、座席(自由席)の夜行快速が全国で多数運転されていましたし、周遊券も充実していました。だから、座席の夜行列車を宿代わりにすれば、学生の予算でも10日くらいの旅は可能でした。
「青春18きっぷ」の旅が楽しかったのも、この頃までだと思います。
by あるまーき (2014-03-30 22:19) 

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