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12. 忘れられた終着駅舎(本線・経田駅①) [探訪!! ちてつ百景]

滑川市に入るあたりから、北陸本線にピッタリと寄り添って走ってきた地鉄本線、
魚津を過ぎると、JR線から離れて、黒部市に向かう。
魚津市と黒部市の境界となるのが片貝川、決して大きくはないが清らかな流れ。
その片貝川に架かる鉄橋を渡る、少し手前に小さな無人駅がある。

経田(きょうでん)駅。1936年(昭和11年)に富山電気鉄道の駅として開業した、
この駅は1面1線の無人駅。つい先日まで駅員配置だったそうだが...

0Y6C3291.JPG
【2012年8月3日16時53分】 富山地鉄本線・経田駅
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 60.0 mm 露出 F10.0 1/320秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

現在の利用者の多くは、その片貝川にほど近い所にある工業高校の生徒たちか、
訪れた8月の暑い日の夕暮れ時も、元気な声が聞こえていた。
イマ風の制服を着た男の子たち、スマホを弄りながら雑談に夢中だった。
……  ……

早速だが、今日の1枚。

0Y6C3248.JPG
【2012年8月3日16時41分】 富山地鉄本線・経田駅
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 28.0 mm 露出 F13.0 1/400秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

そのプラットホームから少し下がった位置に風格ある木造駅舎が建っている。
窓口がベニヤ板で塞がれているのは、他の多くの駅と同じで、
やはり、他の駅同様、古い駅舎は、大切にされ荒れ果てた感じは受けない。

……  ……

地鉄-富山地方鉄道は、すでに書いた通り、戦時中の1943年(昭和18年)1月に
県下にあった多くの中小私鉄の統合で生まれた。
このうち、黒部市内を走る区間は黒部鉄道(大正10年設立)の手によって開業、
しかし、黒部周辺の線路と駅は、昭和初期から戦前のわずかな期間に、
かなり複雑な変遷をたどっている。

そのうち、石田港開発のため、昭和5年に開業した黒部鉄道石田線は、
富山電鉄の開業により、昭和15年に、その短い短い歴史に幕を下ろした。
その後、残った三日市[現・JR線黒部駅]と西三日市[現・電鉄黒部駅]を
結ぶ区間は、富山地鉄の1支線として1969年(昭和44年)の廃線まで走り続けた。

その黒部鉄道「石田港」駅。
いまから、およそ80年前、日本海に面した近代的な港を整備しようとしていたのか、
そのための資材、人手はこの駅まで電鉄線で運ばれてきたのだろうか。
本当に短い間、終着駅だった石田港駅、この駅舎が移築されたのが現在の経田駅舎。

……  ……

さて、そういう目で見てみると、何となく他の駅舎より風格を感じる。

0Y6C3261.JPG
【2012年8月3日16時45分】 富山地鉄本線・経田駅
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 35.0 mm 露出 F5.6 1/80秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

決して広くない、その駅舎の中を見渡してみると、
駅舎の左側、窓口の反対側の奥の方に、不自然な出っ張りがある。
そこだけ天井の高さも違う。昔は仕切られていたのだろうということが
容易に想像できた。

0Y6C3262.JPG
【2012年8月3日16時45分】 富山地鉄本線・経田駅
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 135.0 mm 露出 F5.6 1/25秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

ベンチが置かれ、待合室として利用されているが、
床の所を見てみると、やはり。

駅舎の外に回って、その出っ張りを観察してみると...

0Y6C3276.JPG
【2012年8月3日16時48分】 富山地鉄本線・経田駅
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 40.0 mm 露出 F8.0 1/125秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

内部は板を貼って目隠しされても、勝手口(?)があった証拠。
つまり、KIOSK、いや、そんな言い方はしていなかっただろう。
売店があった証拠ではないか。

新聞や飲み物、パンやお菓子などが並んでいたのだろうか。
日本海にほど近い、閑静な住宅街にある小さな駅。売店の利用者が
どれほどあったのかは不明だが、もしかしたら、石田港駅時代のもの?

おばちゃんが1人で切り盛りして、常連の定期客と挨拶を交わす...
そんな光景が目に浮かんできた。

0Y6C3284.JPG
【2012年8月3日16時51分】 富山地鉄本線・経田駅
<撮影データ>
Canon EOS 5D Mark III/EF28-300mm f/3.5-5.6L IS USM
焦点距離 28.0 mm 露出 F5.6 1/100秒 ISO400
プログラムAE AIフォーカスAF WBオート

その、おばちゃん(?)の目から見た駅舎内はこんな感じ。
電車を待つ人、この駅に帰ってきた人、多くの人を見守ってきたのだろうか。
この小さな駅舎が、いまより人々の生活の中で重要な役割を担っていた日々が
あったに違いない。

(※)この記事の現地訪問に関しては、@赤坂さんより貴重な助言を頂戴しました。
1人称で記載している部分も、一部、そのときのお話を参考にして書いております。
(※)「売店」の存在は客観的資料で特定しているものではありません。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 6

@赤坂

妙な空きスペースから、この場所に売店があっただろうという事は感づいていました。しかし、あるまーきさん目線で観察すると、こんなにも裏づけの物証がでてくるとは。 観察眼の鋭さに脱帽です。
by @赤坂 (2012-08-29 20:13) 

あるまーき

@赤坂さん

コメントありがとうございます。色々とアドバイスをいただけた、そのたまものです。慌ただしい日程にはなりそうですが、9月下旬に、また、地鉄を撮りに行くことを計画中(ダメかも...)ですので、そのときに、いろいろなネタを掘り起こしたいと思います。
by あるまーき (2012-08-29 20:32) 

tosh

貴重な写真ありがとうございます。
元住人ですがすくなくとも昭和40年以降現在にいたるまで経田駅に売店はありませんでした。昭和40年台には駅前に小さな商店がありましたのでそれで十分でした。写真を拝見すると確かに増築のあとがありますね。うーんなぞですね。
by tosh (2012-10-14 22:24) 

あるまーき

toshさん

コメントありがとうございます。比較的近年まで駅前に駄菓子屋さん(のような雑貨屋さん!?)があったみたいですね。
地鉄の、同規模の木造駅舎では売店があるところは未発見のため、「経田駅だけに売店があった」と考えるのは自然ではないのも確かです。何分にも、「石田港」という地鉄に統合される前の「富山電鉄」と「黒部鉄道」の主導権争いに翻弄された「超短命のターミナル駅」に端を発した駅舎ですので、さまざまな謎がありそうです。

それにしても、片貝川から歩いて経田駅にたどり着いたのですが、水もキレイで、ホントに良いところでした。
by あるまーき (2012-10-14 22:56) 

蜃気楼

駅前のお菓子屋さんは「関口さん」です。
60代くらいのそこの奥さんが、店番をしていました。

昭和40〜50年代前くらい、経田駅には小さな娘が
2人いる、確か越智さん?越さん?そういう名前の
家族が駅員として住み込みで数年間働いていて
おられました。
元々経田の人ではなかった様に思います。

当時子供らは地元の小学校に通っていました。
券売窓から奥が生活の場で、外では野菜か何か
洗っていたり、娘さんらが水で遊んでたり、
おぼろげににそういうシーンが記憶にあります。
一家はいつのまにかいなくなりました。

昭和40年からの記憶がありますが、駅に売店は
ありませんでした。お客さん自体が少なく、
あそこに売店と言われても全くピンと来ません。

そういえば経田駅は、魚津工業高校の男子生徒さんらが
通学に使っていました。新川女子高校の生徒さんらも
使っていたかもしれません。

それ以外の時はガランとして人がいない事が多かったです。
電車は1時間に一本だけでしたので。




by 蜃気楼 (2019-09-02 06:44) 

ferrum_queserasera

蜃気楼さん

貴重なコメントありがとうございます。
また、返信が遅れまして申し訳ありませんでした。
なるほど。住み込みの駅員さんが居たのですね。
それからだいぶ年月が経ってから、時間帯限定で地鉄OB(?)の方が
嘱託のような形で改札業務をされていた...ような趣旨の話は
聞いたことがあった気がするのですが、自分が地鉄電車の魅力に
気づいた時期には、すでにこの無人駅の姿になっていました。
経田駅に限らず、ずっと残っていて欲しい木造駅舎が多い富山地鉄、このシリーズも長く中断していますが、機会があれば
再開してみたいと思っています。
ありがとうございました。
by ferrum_queserasera (2019-09-03 00:17) 

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