夏の工業地帯で。~ 加越能鉄道・万葉線 ~ ['90sのトラムたち]
1993年、高校生だった自分は休みごとに全国を回って路面電車を撮り歩いた。
その中から、今日は高岡、当時はまだ加越能鉄道だった頃。
1993年8月4日 晴れ
この日はとても暑かった。
七夕飾りの高岡駅前-片原町間で何枚か写した後、
米島口で電車を降りて、長い橋を線路に沿って歩いて渡った。
(このときの「七夕飾りと電車」は失敗。次の年に再訪した(→ こちら))
当時の米島口電停はいまのようにバリアフリー化されておらず、
なんか街はずれと言った感じのする佇まいだった。
【1993年8月4日】 加越能鉄道・米島口電停付近
降りたところで、車庫の様子をスナップ。
7000型シリーズに囲まれて奥にチラッとデ5022の姿が見える。
当時の電車たち、オレンジ色の加越能色だが、屋根回りがスッキリしている。
そう、冷房化されていないのであった。
【1993年8月4日】 加越能鉄道・能町口電停付近
橋を渡り終えると能町口、記憶が定かでないが、
単線の線路の左右に上り下りのホーム(?)が互い違いの配置だったような...
待合室は何とも言えない佇まい。1枚スナップしたが中は駐輪場と化していた。
【1993年8月4日】 加越能鉄道・新吉久電停付近
実は、このときが“万葉線”は2度目の訪問だった。
初訪問のとき、この区間が非常に気になっていた。
路面電車の走るところは大抵は、中心部の繁華街か、住宅街というイメージ。
それを覆して(?)、大きな工場に囲まれて人通りのあまりない通り、
そう広くもない道路の真ん中を電車が走る光景は、すごく珍しく感じた。
でも、順光も逆光もあったもんじゃない...何だ? この構図。
【1993年8月4日】 加越能鉄道・新吉久電停付近
新吉久で上下電車が交換した。この様子を撮って、次の電車に乗ったような...
(最近になって冷静に見てみると、この区間は、別に
完全に工業地帯という雰囲気でも無さそうだが...当時はそう感じた)
…… ……
当時のネガを見ると、その後のコマは富山新港の渡し船と越の潟電停の様子。
確か、当時、加越能電車は1日フリーきっぷのような切符がなかったような。
貧乏高校生には途中下車して撮影というのは、大きな負担だった。
この夏休み、富山の祖母の家でしばらく過ごして東京に戻った後、
「再出撃」して、福井・岡山・北九州と撮り歩いた。
ネガのスキャンが済んだら、ご紹介したいと思う。
明日は、早起きできたら、少しだけ出かけてくることにしたい。
第一線から引くことになった「相棒」を連れて...
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
その中から、今日は高岡、当時はまだ加越能鉄道だった頃。
1993年8月4日 晴れ
この日はとても暑かった。
七夕飾りの高岡駅前-片原町間で何枚か写した後、
米島口で電車を降りて、長い橋を線路に沿って歩いて渡った。
(このときの「七夕飾りと電車」は失敗。次の年に再訪した(→ こちら))
当時の米島口電停はいまのようにバリアフリー化されておらず、
なんか街はずれと言った感じのする佇まいだった。
【1993年8月4日】 加越能鉄道・米島口電停付近
降りたところで、車庫の様子をスナップ。
7000型シリーズに囲まれて奥にチラッとデ5022の姿が見える。
当時の電車たち、オレンジ色の加越能色だが、屋根回りがスッキリしている。
そう、冷房化されていないのであった。
【1993年8月4日】 加越能鉄道・能町口電停付近
橋を渡り終えると能町口、記憶が定かでないが、
単線の線路の左右に上り下りのホーム(?)が互い違いの配置だったような...
待合室は何とも言えない佇まい。1枚スナップしたが中は駐輪場と化していた。
【1993年8月4日】 加越能鉄道・新吉久電停付近
実は、このときが“万葉線”は2度目の訪問だった。
初訪問のとき、この区間が非常に気になっていた。
路面電車の走るところは大抵は、中心部の繁華街か、住宅街というイメージ。
それを覆して(?)、大きな工場に囲まれて人通りのあまりない通り、
そう広くもない道路の真ん中を電車が走る光景は、すごく珍しく感じた。
でも、順光も逆光もあったもんじゃない...何だ? この構図。
【1993年8月4日】 加越能鉄道・新吉久電停付近
新吉久で上下電車が交換した。この様子を撮って、次の電車に乗ったような...
(最近になって冷静に見てみると、この区間は、別に
完全に工業地帯という雰囲気でも無さそうだが...当時はそう感じた)
…… ……
当時のネガを見ると、その後のコマは富山新港の渡し船と越の潟電停の様子。
確か、当時、加越能電車は1日フリーきっぷのような切符がなかったような。
貧乏高校生には途中下車して撮影というのは、大きな負担だった。
この夏休み、富山の祖母の家でしばらく過ごして東京に戻った後、
「再出撃」して、福井・岡山・北九州と撮り歩いた。
ネガのスキャンが済んだら、ご紹介したいと思う。
明日は、早起きできたら、少しだけ出かけてくることにしたい。
第一線から引くことになった「相棒」を連れて...
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
1枚目の写真、手前の空き地には現在、万葉線の事務所が建っているため大通りからスッキリとした撮影をすることはできなくなってしまいました。
そして車庫から米島口電停を挟んだ向かい側、この当時はまだ映画館が建っていましたね。現在はスーパーになっています。
能町口電停や吉久周辺はこの当時とほとんど変わっていません。「電車乗り場」看板もそのままです。
by @赤坂 (2012-03-22 21:45)
@赤坂さん
コメントありがとうございます。
この撮影をした、1993年って、ちょっと前のことかと思っていたら...
もう20年近く前なんですよね。
先日、デ5022を見に米島口に行きました。米島口電停自体も新しくなっていましたし、向かい側には確かにスーパーがありましたね。以前は、映画館だったとは当時全く気にしていませんでした。
でも、吉久の方には行きませんでしたので、あの独特の雰囲気、残っていると聞いて安心しました。
ぜひ、黄色くても7070型が元気なうちに再訪したいと思います。
by あるまーき (2012-03-22 22:45)
あるまーきさん、こんにちは。
加越能鉄道万葉線のお写真を拝見しました。
国鉄気動車標準色より赤が濃い塗装が遠目でもよく目立ってすてきですね。
今の万葉線にはこの塗装の電車が一両も見られないのが残念です。
元気な路面電車なので、復活塗装の登場を強く期待します。
by やぶお (2012-03-25 21:29)
やぶおさん
そうですね。自分も、加越能時代の、このオレンジ色の塗装の方がしっくりきますね。でも、廃線の危機を乗り越え、第3セクターとして再出発して以来、万葉線の活性化は着実に進められています。停留所も上屋が付きましたし、超低床車で日中の運用を賄えるくらいまでなっているみたいです。7000型シリーズもそろそろ更新期を迎えていると思いますし、引退前にぜひ復活塗装に期待したいですね。
最近、なかなか、やぶおさんの掲示板の方にお邪魔できずにいて、申し訳ありません。
by あるまーき (2012-03-25 22:23)