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美作にキハを追って(5)走らなくても旧客!! <前編> [保存車・廃線跡]

今日の話題に入る前に。
前の記事、「予約投稿」に設定したつもりが何かの間違いで、予定よりも早く
「公開」になっていたようで...、1時間ほどで気づいて「非公開」に直してから
昨晩、再公開しました。なかなか、この「予約投稿」というのが...

いつまで経っても慣れなくて。申し訳ありませんでした。.

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【2017年7月2日12時05分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅

さて、引き続き、7月2日に岡山県は美咲町にある棚原ふれあい鉱山公園、
吉ヶ原に残る旧同和鉱業片上鉄道の展示運転を訪れた話題。

吉ヶ原駅に残った3本の線路、その市場奥の線にはDD13ディーゼル機関車が牽く
“混合列車”が留置されていた。
……  ……

<鉄>の世界で言う“客車”というコトバ。多くの場合、自走できる動力源を持たず
機関車に牽引されて走る、そういう車両をさす。
また、そういう列車のスタイルを“動力集中式”と呼ぶ。
世界的には、これが主流なのだが、いろいろな事情で日本では“動力分散式”の
電車やディーゼル動車が、通勤列車から長距離高速列車まで、ほぼすべての
旅客列車を。“ブルートレイン”と呼ばれた特急寝台列車が事実上、無くなった
現在、SL列車などのイベント用を残せば、すでに“絶滅危惧種”。

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【2016年8月1日12時29分】 黒部峡谷鉄道本線・宇奈月-柳橋

“客車列車の最後の楽園”ともいえるのが黒部峡谷鉄道。
全列車、電気機関車が先頭に立って牽引している。

日本で客車列車が衰退したのには、いろいろな事情があった。

例えば、某鉄道会社の社長さんのブログには、客車列車衰退の理由として、
国鉄の労使問題、特に、機関車乗務員の組合への対策として、国鉄当局は
機関車牽引列車を削減する必要に迫られていた...との趣旨の記述もあった。

真相は如何に?! そのあたり、本当のところは知るよしも無いが、
趣味的には、いまや機関車(カマ)が動力を持たない客車(ハコ)を牽く列車は
わが国では、もはや“絶滅危惧種”。いまもレギュラーで“客車列車”を運行するのは、
おもにSL列車とその関連、一部のクルーズ列車に限られる。

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【2017年2月25日16時29分】 真岡鐵道線・真岡駅

<変態鉄>としても“SLもおか号”の入庫回送を兼ねたローカル列車、第6103列車に
乗りに下館を訪れた話題を、今春、ご紹介したところ。

でも、かつては...といっても1990年台くらいまで...は、ローカル私鉄や3セクでも
朝晩の通勤通学時間帯の輸送力列車を“客車列車”で運行する例は散見された。

最末期まで朝晩に客車列車が設定されていたのは、同和鉱業片上鉄道も。

もちろん、片上の客レ(通称「ブルートレイン」と呼ばれた)には間に合わなかった
<変態鉄>だが、よく似た事情で客レが残っていた岐阜県の樽見鉄道の通学列車は
かろうじて間に合ったのだった(→ こちら)。

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【2004年4月30日】 樽見鉄道・本巣駅

沿線の岐阜県本巣市の住友セメントの工場関連の貨物輸送が主な収入源だった
同線では、貨物列車牽引用にディーゼル機関車を自社保有していた。
だから、通学需要に合わせた数の、高価なディーゼル動車を導入するよりも
(動力源を持たない)客車を、しかも国鉄・JRの客車列車廃止で余剰になった
車両を譲受した方が、導入費用もランニングコストも安くて済んだ訳で。

そう、硫化鉄鉱の輸送が使命だった同和鉱業片上鉄道もDD13型ディーゼル機関車を
保有していた。もちろん、戦後、しばらくまでの時期には蒸気機関車だった。
こうした貨物用機関車の有効活用として、戦後も客車を新造し、また、後年、
国鉄からオハ35系客車を譲受し、運転したのである。

そのうち、自社発注の2000番台の形式の客車2両と3000番台に改番されたオハ35系
1両が吉ヶ原で保存されている。この日は、運転はされなかったものの車内は
開放され、特に旧国鉄オハ35系のホハフ3002号車は窓枠下のテーブルに
「センヌキ」が残っており、その“体験用”として瓶ジュースも売られていた。

でも、夏の旧客、それも動かない旧客は“灼熱地獄”でもあるわけで。
そんな中、大好きな旧型客車を前にすれば...

積極果敢にその車内に“攻め入った”<変態鉄>だったのである。

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【2017年7月2日12時22分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅

通勤通学の時間帯、輸送力列車として設定されていたのはオープンデッキの
旧型客車からなる編成。駅に停まれば、ホームの無い側からもバラストの上を
器用に歩いてきて、制服姿の高校生がデッキに足をかけて乗り込んでいく...

そんなシーンを収めた写真を見たことがある。
ということは、遅刻しそうになった高校生が、あの曲のフレーズ...

  ♪ 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った

を“実体験”しているのでは無いか...と妄想だけ膨らんでいくのである。

……  ……

2017年7月2日(日)くもり一時雨

まずは後ろ側。

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【2017年7月2日12時23分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅

片上鉄道らしい青色に白帯の姿で停まっていたのは、ホハフ2004号車である。
路面電車だって昭和初期には、オープンデッキの電車というのは...

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【2017年7月2日9時22分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅

そんな大正時代でも“希少”だったはずのオープンデッキ客車、
製造は意外と新しく、1950年(昭和25年)とされている。「ナニワ工機」製。

ただ、床下の台車を見れば、「もしかして?!」と思ってしまうのだが<変態鉄>。

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【2017年7月2日12時23分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅

「やっぱり!!」
新造車というのは書類上のことであって、実際には戦災車の台枠などを流用して
製作されたらしい。17メートル級車体も、ナハ23000系客車の特徴。
ちなみに、ナハ23000系というのは国鉄が大正時代に導入した木造客車のグループ。
ちょうど、この頃、国鉄でも木造客車も含めて17メートル級の客車を潰して、
その材料を流用して、当時標準となっていた20メートル級の鋼製客車に改造する
いわゆる“鋼体化”(→ 61系客車)が始まっていた頃。

といっても、鋼体化客車というのはほとんど見たこと無い<変態鉄>だが...

さて、デッキから車内へと入ってみれば...

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【2017年7月2日12時20分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅(ホハフ2004号車内)

板張りの床、というのも懐かしいが、天井には蛍光灯では無く電球が。
ヨコに見える箱状のスペースは、トイレでは無く車掌室である。

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【2017年7月2日12時20分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅(ホハフ2004号車内)

そして、車内は端の方がロングシートで中央に12組のボックスシート、
いわゆるセミクロスシートなのは、輸送力列車に使う客車という感じ。
国鉄でも、後年、改造でこういう車内になった客車はいたはずだが、
このあたりまでは片上ならではのオリジナルな部分。

でも、同じ時期に「木製客車の鋼体化改造」で生まれた国鉄のオハ61系客車と
似ているのでは無いかと思われる部分も。

それは座席まわり。

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【2017年7月2日9時33分】 片上鉄道保存会・吉ヶ原駅(ホハフ2004号車内)

まず、背ズリが板張りなのが“いかにも!!”といった感じ。
垂直で板張りの座席、戦後すぐの時期の製造とはいえ、できれば座りたくない。

あと窓の日除け。ロールカーテンでは無く「よろい戸」になっているのが
当時の特徴である。

と、オハ35形改めホハフ3000形の話題まで入れずに...
う~ん、引っ張る。この、話の長さこそが<変態鉄>。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 3

とし@黒猫

通学で使っていた鉄道が、EFなんとかっていう機関車が、茶色の客車を牽引するタイプでしたが、卒業間近に、電車タイプに変わってしまいました。
茶色の客車の時は、デッキをオープンで走行していたので、デッキに立ってて、よく線路に落下しなかったものだ、と思いますが、速度が、電車の半分程度しか出てなかったように記憶しています。
by とし@黒猫 (2017-07-11 10:17) 

しおつ

現役時代にこれを撮りに行ったのですが、
時間に制約があり撮るだけで終わってしまいました。
写真を拝見していると乗って中も撮れば良かったなあと思えます。
by しおつ (2017-07-11 21:47) 

あるまーき

コメントありがとうございます。

☆ とし@黒猫さん
旧型客車での通学、たぶん夏も冬も大変だったかとは思いますが、
ちょっと羨ましいです。いまなら、そんなことがあれば大問題でしょうが、いろいろな資料を見ると落下というのは時折あったみたいなことが...、そんなことを読んだような記憶があります。
でも、自分が乗ったときは走行中はデッキへの出入りができなかったので、あの時代、経験してみたかったです。

☆ しおつさん
片鉄の現役時代に訪れていらっしゃるとは、何とも羨ましい限りです。いま思えば行けない距離では無かったのかも知れないのですが、全廃になった1991年は自分はまだ中学生の頃で。あと10年早く生まれていたら、通っていたと思います。
幸い、ボランティアのスタッフの手で、毎月一度、展示運転が開かれているので、また機会があれば訪れたいと思っています。


by あるまーき (2017-07-12 00:56) 

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