続・「☆になったトラム」たち。 [アナログ写真保管庫]
本当は、千葉県市川市の「千葉県立現代産業科学館」に展示中の
銚子電鉄 “デキ3” の記事をアップするつもりでしたが...
諸般の事情により、1日延期いたします。
ということで、今日は、書き貯めしていた記事の中から。
「“続”って、何に続いているんだ!!! ウソつくな!!」と、お怒りの皆さんへ。
このタイトル、「☆になったトラムたち」という記事は2年ほど前に単発で(→ こちら)。
さて、拙ブログに、たった1つ誇れることがあるとするならば、それは「毎日更新」??
でも、会社員の自分。毎日撮影に行くわけにも行かず、体調が悪かったり
仕事が忙しかったりすると何週間も行けないこともある。
そんな“ネタ切れ”の時に苦し紛れに書いた記事が「☆になったトラムたち」。
(拙ブログでは過去記事に「nice!」、コメント歓迎キャンペーン継続中です!! よろしくっ!!)
こうしたネタ切れ時の苦し紛れ記事の方がPV数がのびるという不思議...。
という訳で、2匹目の“どぜう”狙い!?
1993年から94年にかけて、高校生だった自分は、1年ほどかけて全国20余りの都市の
路面電車を撮り歩いた。自分には非常に珍しい「有言実行」、ちょうど1年かけて
当時走っていた全都市の電車を撮り終えたのだった。
【2016年1月24日13時05分】 高石市羽衣公園・浜寺公園交通遊園
その当時、公園や車庫の片隅に廃車となった電車が静態保存されているのも
撮影対象にしていた。全廃になった路線の電車など、貴重な個体もあり、
そんな電車を眺めながら、ありし日の路線を妄想した。
でも...
…… ……
パソコンもネットも、まだまだ一部の人たちだけのものだった時代。
「静態保存車」の情報というのは根気強く探す必要があった。図書館に出向いては
鉄道雑誌のバックナンバーを探し、後ろの方のページにある読者投稿のページを
1つずつくまなく。
「※※線の※※号車は、廃車となったが沿線の☆☆☆公園で保存・展示され...」
などという一節を見つけた日には大喜び。その公園・施設名を正確に覚えて、
周辺の住宅地図を用意しては、目をサラのようにしてそれを探して...
神保町の本屋さんで鉄道友の会の会報に「保存車・廃車体リスト」というのが
掲載された号を見つけて、購入したことで『見に行きたい保存車』リストが一気に
増えたのだが...
いまなら、ネット検索で「※※公園 保存車」などと検索して、探訪した同好の氏の
ブログ記事や専門のサイトを見れば状況がわかるし、アクセスだって地図サイトで。
そんな当たり前も20年前には...
苦労してたどり着いた挙げ句、すでに解体撤去後だったり、何かの誤記か自分のミスか
見つけることができなかったり、非公開で遠~~~くの方に微かに見えるだけだったり。
何度もそんな目にもあった。
車体長10~15メートルと手頃なサイズだからか、路面電車というのは廃車後、
集会場や店舗などに転用されるケースが多かった。しかし、「動かない鉄道車両」
というのは錆びて腐食して...、すぐに朽ち果ててしまうのである。
無残な姿をさらし続けた挙げ句、解体・撤去となる個体は後を絶たないもの。
20年前に撮った保存車・廃車体の中から、すでに見られなくなったものを。
…… ……
(1)神戸・ハーバーランドの片隅に...
【1993年8月頃】 神戸市・ハーバーランド
神戸駅の南側、海に面した側にひろがっていた、ちょっとオシャレな街が
ハーバーランドだった。その一角、赤レンガ倉庫群が店舗に転用されていた付近
(だったような気がする)、その裏側にひっそり佇んでいたのが、
神戸市交通局708号車。「東洋一の市内電車」と言われていた当時の神戸市電に
1935年(昭和10年)から翌年にかけて、登場した画期的な電車だった。
車内は転換クロスシート、足回りには弾性車輪、当時としては画期的な路面電車、
2人掛けクロスシートに因んで「ロマンスカー」として知られた。
長らく王子動物園で保存されたものが、この撮影のしばらく前に移設されてきた
とのことだった。しかし、老朽化が進んだため1999年頃に解体撤去。
【2015年10月25日10時11分】 神戸市交通局西神山手線・名谷車両基地
ちなみに、僚車の705号が「ロマンスカー」に復元の上、名谷車庫で保存されている。
昨年10月、これを撮りたくて名谷車庫の公開に行ってきたのだった(→ こちら)。
(2)大阪・西九条の夕暮れ時
高校生だった<変態ガキ鉄>、1年間かけて路面電車を撮り歩いた中で、
最後まで残ってしまったのが熊本、鹿児島と四国の2都市というのは、
ある種、必然の流れだったのか?!
いまなら、「ヒコーキでサクッと日帰り!!」などと撮影プランを組みそうだが
当時は「青春18きっぷ」、波動用12系客車を連ねた臨時快速「ふるさとライナー九州」。
2日かかりで九州入りしていたのである。
【1993年12月26日頃】 大阪市此花区西九条・此花会館
その初日、夕方、ようやく関西入り。21時過ぎの博多ゆき臨時快速を待つ間に
保存車探訪。クリスマスの頃、1年で一番、陽が短い時期だった。
探しに探し回って、ようやくたどりついたのは...
【1993年12月26日頃】 大阪市此花区西九条・此花会館
「和製PCC」と言われた大阪市交通局3001型3002号車である。
ここで言う“PCC”とは、「Electric Railway Presidents' Conference Committee
(ERPCC:電気鉄道社長会議委員会)」が開発した電車をさす。
1930年代頃のアメリカでは、すでに自動車の普及で路面電車は苦境に立たされていた。
巻き返しをはかるため、流線型車体に高加速度の新機軸の電車を...。
その流れは戦後の日本の路面電車にも影響を及ぼした。
都電5501号車はその代表例。その後、それを模して日本でも各地に「和製PCC」と
呼ばれた電車が登場した。その中でも両数、また性能の両面で存在感を示して
いたとされるのが、大阪市電3001型。その2号車だから希少価値はあるのだが...
【1993年12月26日頃】 大阪市此花区西九条・此花会館
すでに木々に覆われ、車体全景を見渡すことすら困難。
というより、ストロボを焚かないと写真が撮れないほどの暗さだった。
同型車は最終番号の3050号車が市交通局で非公開保存されている。
その特別公開に偶然出くわして、見学したときの話題は以前ご紹介した(→ こちら)。
(3)車庫前の定期券販売所
【1993年12月27日頃】 熊本市交通局・交通局前電停付近(当時)
90年代当時、熊本市電の車庫は水前寺の近くにあった。その車庫の入口付近に
廃車となった1060形1062号車を使った定期券発売窓口があった。
電車の車庫は21世紀に入ってすぐ上熊本に移転、それと前後して、解体撤去されたとか。
1番違いの1063号車はいまも“最古参電車”として現役を続けているとのこと。
(4)フェンスの外から見ただけ...
【1994年2月7日】 広島県広島市西区大芝公園付近
「路面電車王国」、広島には満を持して最終盤に訪問。東京駅からの夜行高速バス
「ニューブリーズ号」で朝の広島に到着。ほとんど眠れず、体調は最悪だった。
そんな中、路面電車撮影にあたる前に紙屋町で路線バスを探して、太田川沿いの
公園へ。大芝公園というのは意外と広い公園だった。
いまなら、太田川に架かる橋を渡ればアストラムラインの駅があることが地図で
簡単に確認できるが、当時はネットも一般的ではなく、「大芝」という地名から
路線バスの最寄り停留所を調べるのに非常に苦労した。
あのとき道に迷っていた自分に親切にしてくれた散歩中のおばちゃん、元気だろうか。
交通公園は開園時間前だったようで、柵越しの1枚。
大阪市電から廃止後に広島に転入してきたグループ。一時期、広電と言えば
車体前面に黄色い菱形の警戒塗装、茶色濃淡の大阪市電色が台無し...と
思ったものだが、当時、現役の電車は警戒塗装を取りやめていた。
見ての通り、すでにボロボロ。この数年後には解体撤去されたとか。
(5)港町の路面電車
【1994年2月7日】 広島県呉市・豊栄交通公園
広島県はかつて呉市にも路面電車が。バスの部品を使った軽量車体は2001号車。
広電を撮った後、夕方、JR呉線で阿賀駅へ。地図で確認し、交通公園へ。
水色に黄色という何とも派手な出で立ちで。
【1994年2月7日】 広島県呉市・豊栄交通公園
広告枠を使って簡素な説明板が。1967年(昭和42年)廃止。
この電車、それほど状態が悪いとは思わなかったが、このしばらく後に解体撤去。
類似の車体の車両は、廃線後、瀬戸内海の向かい側、松山の伊予鉄に転入したが
21世紀に入った頃に廃車。写真の2001号車の代わりに1両が呉へと“里帰り”を
果たし、呉市電当時の姿に復元されて保存されているという。
(6)車庫の隅に...
【1994年2月8日】 伊予鉄松山市内線・古町車庫付近
最後は広島の翌日、訪れたのは松山の伊予鉄松山市内線。その古町車庫の片隅に
すでに廃車となった、旧南海和歌山軌道線から転入してきた電車の廃車体。
色褪せても、オレンジ色濃淡の伊予鉄仕様の姿になり、特徴的な2つ目玉の
ヘッドライトもオデコ1灯に交換されていたが、それでも車体形状の違いを確認。
これも、撮影からしばらく後に解体処分されたとか。
【2014年9月4日14時02分】 和歌山県海南市・室山団地付近
ちなみに、同型車は和歌山での姿のまま、地元で団地の集会場として残されている。
紀州鉄道に4輪レールバスを撮りに行ったときに訪問している(→ こちら)。
という訳で、古いネガから見つけてきた静態保存車の数々。
今日は西日本のものを中心にご紹介した。
明日こそは、銚子電鉄 “デキ3” の記事をアップしたいけれど...
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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銚子電鉄 “デキ3” の記事をアップするつもりでしたが...
諸般の事情により、1日延期いたします。
ということで、今日は、書き貯めしていた記事の中から。
「“続”って、何に続いているんだ!!! ウソつくな!!」と、お怒りの皆さんへ。
このタイトル、「☆になったトラムたち」という記事は2年ほど前に単発で(→ こちら)。
さて、拙ブログに、たった1つ誇れることがあるとするならば、それは「毎日更新」??
でも、会社員の自分。毎日撮影に行くわけにも行かず、体調が悪かったり
仕事が忙しかったりすると何週間も行けないこともある。
そんな“ネタ切れ”の時に苦し紛れに書いた記事が「☆になったトラムたち」。
(拙ブログでは過去記事に「nice!」、コメント歓迎キャンペーン継続中です!! よろしくっ!!)
こうしたネタ切れ時の苦し紛れ記事の方がPV数がのびるという不思議...。
という訳で、2匹目の“どぜう”狙い!?
1993年から94年にかけて、高校生だった自分は、1年ほどかけて全国20余りの都市の
路面電車を撮り歩いた。自分には非常に珍しい「有言実行」、ちょうど1年かけて
当時走っていた全都市の電車を撮り終えたのだった。
【2016年1月24日13時05分】 高石市羽衣公園・浜寺公園交通遊園
その当時、公園や車庫の片隅に廃車となった電車が静態保存されているのも
撮影対象にしていた。全廃になった路線の電車など、貴重な個体もあり、
そんな電車を眺めながら、ありし日の路線を妄想した。
でも...
…… ……
パソコンもネットも、まだまだ一部の人たちだけのものだった時代。
「静態保存車」の情報というのは根気強く探す必要があった。図書館に出向いては
鉄道雑誌のバックナンバーを探し、後ろの方のページにある読者投稿のページを
1つずつくまなく。
「※※線の※※号車は、廃車となったが沿線の☆☆☆公園で保存・展示され...」
などという一節を見つけた日には大喜び。その公園・施設名を正確に覚えて、
周辺の住宅地図を用意しては、目をサラのようにしてそれを探して...
神保町の本屋さんで鉄道友の会の会報に「保存車・廃車体リスト」というのが
掲載された号を見つけて、購入したことで『見に行きたい保存車』リストが一気に
増えたのだが...
いまなら、ネット検索で「※※公園 保存車」などと検索して、探訪した同好の氏の
ブログ記事や専門のサイトを見れば状況がわかるし、アクセスだって地図サイトで。
そんな当たり前も20年前には...
苦労してたどり着いた挙げ句、すでに解体撤去後だったり、何かの誤記か自分のミスか
見つけることができなかったり、非公開で遠~~~くの方に微かに見えるだけだったり。
何度もそんな目にもあった。
車体長10~15メートルと手頃なサイズだからか、路面電車というのは廃車後、
集会場や店舗などに転用されるケースが多かった。しかし、「動かない鉄道車両」
というのは錆びて腐食して...、すぐに朽ち果ててしまうのである。
無残な姿をさらし続けた挙げ句、解体・撤去となる個体は後を絶たないもの。
20年前に撮った保存車・廃車体の中から、すでに見られなくなったものを。
…… ……
(1)神戸・ハーバーランドの片隅に...
【1993年8月頃】 神戸市・ハーバーランド
神戸駅の南側、海に面した側にひろがっていた、ちょっとオシャレな街が
ハーバーランドだった。その一角、赤レンガ倉庫群が店舗に転用されていた付近
(だったような気がする)、その裏側にひっそり佇んでいたのが、
神戸市交通局708号車。「東洋一の市内電車」と言われていた当時の神戸市電に
1935年(昭和10年)から翌年にかけて、登場した画期的な電車だった。
車内は転換クロスシート、足回りには弾性車輪、当時としては画期的な路面電車、
2人掛けクロスシートに因んで「ロマンスカー」として知られた。
長らく王子動物園で保存されたものが、この撮影のしばらく前に移設されてきた
とのことだった。しかし、老朽化が進んだため1999年頃に解体撤去。
【2015年10月25日10時11分】 神戸市交通局西神山手線・名谷車両基地
ちなみに、僚車の705号が「ロマンスカー」に復元の上、名谷車庫で保存されている。
昨年10月、これを撮りたくて名谷車庫の公開に行ってきたのだった(→ こちら)。
(2)大阪・西九条の夕暮れ時
高校生だった<変態ガキ鉄>、1年間かけて路面電車を撮り歩いた中で、
最後まで残ってしまったのが熊本、鹿児島と四国の2都市というのは、
ある種、必然の流れだったのか?!
いまなら、「ヒコーキでサクッと日帰り!!」などと撮影プランを組みそうだが
当時は「青春18きっぷ」、波動用12系客車を連ねた臨時快速「ふるさとライナー九州」。
2日かかりで九州入りしていたのである。
【1993年12月26日頃】 大阪市此花区西九条・此花会館
その初日、夕方、ようやく関西入り。21時過ぎの博多ゆき臨時快速を待つ間に
保存車探訪。クリスマスの頃、1年で一番、陽が短い時期だった。
探しに探し回って、ようやくたどりついたのは...
【1993年12月26日頃】 大阪市此花区西九条・此花会館
「和製PCC」と言われた大阪市交通局3001型3002号車である。
ここで言う“PCC”とは、「Electric Railway Presidents' Conference Committee
(ERPCC:電気鉄道社長会議委員会)」が開発した電車をさす。
1930年代頃のアメリカでは、すでに自動車の普及で路面電車は苦境に立たされていた。
巻き返しをはかるため、流線型車体に高加速度の新機軸の電車を...。
その流れは戦後の日本の路面電車にも影響を及ぼした。
都電5501号車はその代表例。その後、それを模して日本でも各地に「和製PCC」と
呼ばれた電車が登場した。その中でも両数、また性能の両面で存在感を示して
いたとされるのが、大阪市電3001型。その2号車だから希少価値はあるのだが...
【1993年12月26日頃】 大阪市此花区西九条・此花会館
すでに木々に覆われ、車体全景を見渡すことすら困難。
というより、ストロボを焚かないと写真が撮れないほどの暗さだった。
同型車は最終番号の3050号車が市交通局で非公開保存されている。
その特別公開に偶然出くわして、見学したときの話題は以前ご紹介した(→ こちら)。
(3)車庫前の定期券販売所
【1993年12月27日頃】 熊本市交通局・交通局前電停付近(当時)
90年代当時、熊本市電の車庫は水前寺の近くにあった。その車庫の入口付近に
廃車となった1060形1062号車を使った定期券発売窓口があった。
電車の車庫は21世紀に入ってすぐ上熊本に移転、それと前後して、解体撤去されたとか。
1番違いの1063号車はいまも“最古参電車”として現役を続けているとのこと。
(4)フェンスの外から見ただけ...
【1994年2月7日】 広島県広島市西区大芝公園付近
「路面電車王国」、広島には満を持して最終盤に訪問。東京駅からの夜行高速バス
「ニューブリーズ号」で朝の広島に到着。ほとんど眠れず、体調は最悪だった。
そんな中、路面電車撮影にあたる前に紙屋町で路線バスを探して、太田川沿いの
公園へ。大芝公園というのは意外と広い公園だった。
いまなら、太田川に架かる橋を渡ればアストラムラインの駅があることが地図で
簡単に確認できるが、当時はネットも一般的ではなく、「大芝」という地名から
路線バスの最寄り停留所を調べるのに非常に苦労した。
あのとき道に迷っていた自分に親切にしてくれた散歩中のおばちゃん、元気だろうか。
交通公園は開園時間前だったようで、柵越しの1枚。
大阪市電から廃止後に広島に転入してきたグループ。一時期、広電と言えば
車体前面に黄色い菱形の警戒塗装、茶色濃淡の大阪市電色が台無し...と
思ったものだが、当時、現役の電車は警戒塗装を取りやめていた。
見ての通り、すでにボロボロ。この数年後には解体撤去されたとか。
(5)港町の路面電車
【1994年2月7日】 広島県呉市・豊栄交通公園
広島県はかつて呉市にも路面電車が。バスの部品を使った軽量車体は2001号車。
広電を撮った後、夕方、JR呉線で阿賀駅へ。地図で確認し、交通公園へ。
水色に黄色という何とも派手な出で立ちで。
【1994年2月7日】 広島県呉市・豊栄交通公園
広告枠を使って簡素な説明板が。1967年(昭和42年)廃止。
この電車、それほど状態が悪いとは思わなかったが、このしばらく後に解体撤去。
類似の車体の車両は、廃線後、瀬戸内海の向かい側、松山の伊予鉄に転入したが
21世紀に入った頃に廃車。写真の2001号車の代わりに1両が呉へと“里帰り”を
果たし、呉市電当時の姿に復元されて保存されているという。
(6)車庫の隅に...
【1994年2月8日】 伊予鉄松山市内線・古町車庫付近
最後は広島の翌日、訪れたのは松山の伊予鉄松山市内線。その古町車庫の片隅に
すでに廃車となった、旧南海和歌山軌道線から転入してきた電車の廃車体。
色褪せても、オレンジ色濃淡の伊予鉄仕様の姿になり、特徴的な2つ目玉の
ヘッドライトもオデコ1灯に交換されていたが、それでも車体形状の違いを確認。
これも、撮影からしばらく後に解体処分されたとか。
【2014年9月4日14時02分】 和歌山県海南市・室山団地付近
ちなみに、同型車は和歌山での姿のまま、地元で団地の集会場として残されている。
紀州鉄道に4輪レールバスを撮りに行ったときに訪問している(→ こちら)。
という訳で、古いネガから見つけてきた静態保存車の数々。
今日は西日本のものを中心にご紹介した。
明日こそは、銚子電鉄 “デキ3” の記事をアップしたいけれど...
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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