下北半島へ、憧れの「キハ22」に会いに(12)
2024年の“心残り”といえば、久々の北海道を“断念”したことだろうか。今回は札幌とか函館とか、そういうメジャーなところでは無くて...
だから、10月が終わると5月の連休明けくらいまで雪に閉ざされ見学できないのである。
「来年こそは...」と思っている。
その北海道での使用を考えて投入された、ある意味、初の北海道向け耐寒耐雪仕様のディーゼル動車が、キハ22形だった訳で。
【1994年6月】 北海道帯広市幸福町・幸福駅跡
使い勝手が良かったからか、JRにもまとまった数が承継され、函館地区では一部車輌がワンマン化の上、90年代末まで活躍した。
<変態鉄>にとっての「キハ22形」とは、北海道の廃線跡に保存されている車輌...だろうか。函館地区のものは現役時代にチラッとみた記憶はあるが、そのときはカメラを向けようとさえ思わなかった。う~ん、後悔先に立たず。
本州用の「キハ20形」は、ドアを車輌の真ん中に寄せて、デッキ無しの車内。でも、それで投入した初期の北海道用「キハ21形」が冬の北海道では通用しなくて...
運転台のすぐ後ろに客扉、デッキ付き、二重窓...と大幅に仕様変更して投入されたのが、このキハ22形だったという。
「キハ20形」は、水島臨海鉄道で何度も乗ったので見慣れている。でも、「22」は...
かつて茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)で炭礦鉄道からの譲渡の同型車には乗ったことがあるが、国鉄の“ホンモノの”キハ22形に乗ったのはコレが初めて。
発車時刻まで少し余裕があったので、まだ車内の“乗客”も少なく。車内の様子をできるだけ写真に記録しておこうと思った次第。
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だから、10月が終わると5月の連休明けくらいまで雪に閉ざされ見学できないのである。
「来年こそは...」と思っている。
その北海道での使用を考えて投入された、ある意味、初の北海道向け耐寒耐雪仕様のディーゼル動車が、キハ22形だった訳で。
【1994年6月】 北海道帯広市幸福町・幸福駅跡
使い勝手が良かったからか、JRにもまとまった数が承継され、函館地区では一部車輌がワンマン化の上、90年代末まで活躍した。
<変態鉄>にとっての「キハ22形」とは、北海道の廃線跡に保存されている車輌...だろうか。函館地区のものは現役時代にチラッとみた記憶はあるが、そのときはカメラを向けようとさえ思わなかった。う~ん、後悔先に立たず。
本州用の「キハ20形」は、ドアを車輌の真ん中に寄せて、デッキ無しの車内。でも、それで投入した初期の北海道用「キハ21形」が冬の北海道では通用しなくて...
運転台のすぐ後ろに客扉、デッキ付き、二重窓...と大幅に仕様変更して投入されたのが、このキハ22形だったという。
「キハ20形」は、水島臨海鉄道で何度も乗ったので見慣れている。でも、「22」は...
かつて茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)で炭礦鉄道からの譲渡の同型車には乗ったことがあるが、国鉄の“ホンモノの”キハ22形に乗ったのはコレが初めて。
発車時刻まで少し余裕があったので、まだ車内の“乗客”も少なく。車内の様子をできるだけ写真に記録しておこうと思った次第。
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