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2022.10 関西・九州へ(20)貝塚公園(1)

人間の「価値観」というか、モノの考え方というのの「骨格」というのは10代くらいまでにある程度固まってくるものなのかな...と思うことが。
趣味的観点からもそうだし、会社員として働いていても。「最近の若い者は...」というのは、その価値観が形成された時代の違い...だと思っている。
ピラミッド時代のエジプトでも「最近の若い者は...」みたいな落書きが見つかったとか見つからないとか。

自分が大学生の頃、就職活動は一番厳しい時代だったかもしれない。当時は “外資” “金融” “コンサル” などのワードが「勝ち組の象徴」みたいに持て囃された。でも、それから四半世紀、仕事や働き方に対する考え方も変化して...
そもそも、いま、会社の“上の方”にいる人たちの時代は「1つの会社で一生勤め上げる」時代だったと思う。そう考えれば、いまの新入社員の振る舞いが、自分たちと違う...というのも自然。「ゆとり」なのではない。「終身雇用」が崩れ行く中で、それを見て育ってきた世代が同じ価値観をもつわけがないのである。

さて、自分が<鉄>として全国を旅した時期は、まだ「国鉄型」の方が「当たり前」の存在だった。分割民営化で塗色は目まぐるしく変わったが、車両自体は国鉄のまま。「国鉄型車輌」などという言い方自体、誰もしていなかったような。まだ、「夜行列車」「寝台列車」は “当たり前” だった、その最後の世代かもしれない。

そんな自分が、かろうじて、指先でだけ触れられた...、そんな存在が「20系寝台客車」だったかも。

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【2022年10月25日10時47分】 福岡県福岡市東区箱崎・貝塚公園

関西ー九州の、繁忙期の臨時急行寝台「雲仙」「霧島」として最後の活躍をしていた時期、一度だけ乗車しただけだった。
幅53 cmの3段式寝台は当時としても...

でも、深い、丸い屋根、青15号にクリーム色1号の帯、その優雅な姿は<変態鉄>にとって、いまも「永遠の憧れ」とも言える存在なのである。
それが福岡市の公園に保存されているのは知っていて。10年ぶりの訪問である。

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