SSブログ

5月、阪堺モ161形車を撮りに(21)青空の下、モ161号車。

今日の話題に入る前に。

日本のステンレス電車黎明期を代表する形式の1つとして...
90年台まで、わが地元、京王井の頭線の主力だった3000系電車。1963年(昭和38年)に初めて投入された4両2編成だけは裾絞りの無い車体に片開き扉という、他の編成とは異なった出で立ちで登場し。

211_msi00004442.JPG
【2022年9月11日13時58分】 北陸鉄道・内灘検車場

1994年に沿線に引っ越すことになる<変態ガキ鉄>、高校への通学、日々のお出かけ...
井の頭線3000系には毎日のように乗ることになるのだが...、この「狭幅車」の存在こそ知っていたが、当時、既に富士見ヶ丘車両基地の一番奥の線路が“定位置”。運行されるのは、朝ラッシュピークの渋谷-富士見ヶ丘の折り返し運用だけだった。
高校卒業の春、新型車輌1000形の投入に合わせて廃車になって。直前、まさに<葬式鉄>、高井戸駅のホーム端でカメラを構えたのをよく覚えている。

だから、実際に、この狭幅車に乗ったことは数える程度。どうやら、高校の1限をサボって、富士見ヶ丘駅で時間を潰せば乗れる...と気づいてからだった。
でも、18メートル級車体、地方私鉄には使いやすい車両だったのか、初期車を中心に多くの地方私鉄に引き取られ。

ぬぁんと、初期の狭幅車も、金沢の北陸鉄道に転じて。製造以来、59年間、そして、金沢に転じて26年間の活躍に今日で終止符が打たれるという。
もう1編成も来年までに引退することが決まっており。両編成とも引き取り希望などは無いとのことで、廃車後は解体される予定だそうで。高校生の頃、あれほど撮りたかった、乗りたかった車両、今日は、北鉄8802編成の最後の日だったのである。
最後の最後に、井の頭線3000系時代のアイボリーの車体色が再現され。内灘検車場での撮影会で撮ることができたのが、良い思い出になった。

<変態鉄>の10代の頃の思い出も、だんだん遠くなっていくのである。

さて、5月3日の阪堺電車モ161号車撮影記。神ノ木電停で待っていると...

続きを読む 

nice!(4) 
共通テーマ:趣味・カルチャー