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秋晴れの岳南電車を訪ねたが... 20211006(7)

97年にはじめて岳南電車(当時は岳南鉄道)を訪れた時、「アカガエル」を撮ろうと吉原駅からジャトコ前まで歩いてみた。あの付近のストレート、富士山バックで撮れるポイントとして非常に有名だった筈だが、当時の自分はまだ若すぎた。当日は富士山が雲に隠れていたのか、あるいは電車の姿を撮るのに夢中で富士山なんて眼中に無かったのか...
当時の自分の“鉄道写真”、とにかく被写体たる電車がブレずにボケずに写り込んでさえいれば「成功」だった。そういうレベルだった。まぁ、いまも大して変わっていないだろうが...

その初訪問のとき、吉原駅で下りて驚いたのは街中に漂う独特の臭気だった。不快な...ということは無かったが、それでも明らかに他の街とは違った臭いがずっと。
そう、吉原周辺といえば製紙工場がたくさんあって。どちらを見ても高い煙突からモクモクと煙が上がっていて。そうした製紙工場の資材輸送などを担うのが岳南鉄道の使命だった。大口株主の製紙会社のカラーに塗られた機関車なども登場して...
JR東海道線から継承される形で線内への貨物列車が多数設定され、JR貨物の機関車と交替して個性的な電気機関車たちが長編成の貨物列車を牽いて、線内を走っていた。

かろうじてその時代を見た(筈の)<変態鉄>だが、当時はとにかく「アカガエル」を撮るだけだったから貨物列車は事実上、スルーだったのが悔やまれる限り。
転機が訪れたのは2012年のこと。沿線の工場への輸送手段がトラックに変わって、貨物列車の運行が終了することになって。そう、収益の柱を失うことになった同線、鉄道事業が「岳南電車」として分社化され。

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【2013年3月23日13時18分】 岳南電車・岳南原田駅

その機関車を改めて撮ったのは、2013年の春。貨物列車の運行が終了し、新たな集客策を模索していた時期だったのだろうか。

古典機ED50形の展示走行。1928年(昭和3年)製というのは阪堺モ161号などと“同期生”、末期は入換などが中心だったというが岳南原田駅の構内を何度も往復して。
そんな姿を見てきたまま、いつの間にか時間は過ぎて。

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