8月の富山に「ちてつ」を追って(19)エスタの上から。<後編> [雷鳥色の電車たち[富山地鉄]]
「十年一昔」とは言うものの...、本籍地が富山県富山市、国鉄の特急「白山」号で
6時間かかっていた時代から数え切れないほど富山に通った<変態鉄>だが、
富山市といっても神通川に近い...つまり、市街地西側が行動圏だった<変態鉄>に
とって、地鉄電車は“近くて遠い存在”だった。
そんな<変態鉄>が、初めて地鉄電車にカメラを向けたのは、2008年10月のこと。
このとき、<変態鉄>の興味の対象は“飛越ゴハチ”。この朝も西本郷の陸橋から
キハを撮っていたのだが...、実はEOSくんのバッテリー、充電するのを忘れていて。
ヒコーキで富山までやって来て、そしてあえなく“不戦敗”が確定して。
乾電池で動作するコンデジだけがつかえる状態。ということで、キハを諦めて
急遽、電鉄富山駅に向かったのだった。
【2008年10月28日13時04分】 富山地鉄・電鉄富山駅
右の電車は地鉄生え抜き、左の電車は京阪から来た...という程度の知識。
「岩峅寺」を何と読めば良いのか分からなくて...という恥ずかしいレベル。
それにしても「右側の電車は白地に灰色と赤帯じゃ無かったっけ!?」と。
というわけで、2008年10月の電鉄富山駅。
6時間かかっていた時代から数え切れないほど富山に通った<変態鉄>だが、
富山市といっても神通川に近い...つまり、市街地西側が行動圏だった<変態鉄>に
とって、地鉄電車は“近くて遠い存在”だった。
そんな<変態鉄>が、初めて地鉄電車にカメラを向けたのは、2008年10月のこと。
このとき、<変態鉄>の興味の対象は“飛越ゴハチ”。この朝も西本郷の陸橋から
キハを撮っていたのだが...、実はEOSくんのバッテリー、充電するのを忘れていて。
ヒコーキで富山までやって来て、そしてあえなく“不戦敗”が確定して。
乾電池で動作するコンデジだけがつかえる状態。ということで、キハを諦めて
急遽、電鉄富山駅に向かったのだった。
【2008年10月28日13時04分】 富山地鉄・電鉄富山駅
右の電車は地鉄生え抜き、左の電車は京阪から来た...という程度の知識。
「岩峅寺」を何と読めば良いのか分からなくて...という恥ずかしいレベル。
それにしても「右側の電車は白地に灰色と赤帯じゃ無かったっけ!?」と。
というわけで、2008年10月の電鉄富山駅。