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夏空の熊本・宮崎へ(15)肥後の地に眠る大阪市電の「流線」

毎日、1つずつ記事を書くというのは苦にならない方だが、それでも...
記事(本文)の作成に使っているPCの調子が思わしくなくて。この記事も、朝のうちにいったん本文を仕上げていたのだが...
そのパソコンが固まってしまい、電源を入れ直すしかなかったのだった。もっと、こまめに上書き保存しながら...と、いつも思うのだが忘れているときに限ってそういうことが起こる。
同じ記事を書き直すときほど、イヤな時間というのはないのである。

さて、熊本を訪れて。2日目は田崎橋から産交バスに乗って市電沿線をいったん離れて。
やって来たのは、白川を渡った先、南区の住宅街だった。JRの西熊本駅にほど近く、駅付近、大通り沿いには郊外型の大型店舗もあるが1本入ると、たぶん、畦道をそのまま道路にしたのだろうか、不規則に並ぶ歩細い道、周囲には昔ながらの家とイマドキの分譲住宅が入り交じり。
とはいえ、汗が滴になって垂れてくる暑さ。そんな中、わざわざ家の外に出てきている人もなく。ひっそりと静まりかえった住宅街。
「このあたりにあるはず」、事前にネットで調べていた場所のすぐ近くまで来ているのに...、アタマがクラクラしてくるような猛暑の中、その“目的地”を目前としたまま、たどりつけずに右往左往。
でも、歩き回った末、何とか1つの児童公園の入口に。

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【2024年7月22日11時33分】 熊本県熊本市南区島町・島公園

昭和初期の大阪市電、老朽した小型車の置換えが急務となりつつも、それまでの大型車ではなく新たに中型車の導入を進めることになり。
その中で、当時、世界的に流行していた流線型車体を取り入れて新製されたのが、大阪市電901形。1935年(昭和10年)から翌年にかけて50両あまりが投入され。

当時の電車としては珍しかったとされる前中扉、前面は流線形となり、車体側面も「く」の字型に折れ曲がった特徴的な車体は、ズバリ、「流線」と呼ばれたのだとか。
政令市としては早い時期、1969年(昭和44年)に全廃になった大阪市電、市交通局(→ 大阪メトロ)は主要形式を1両ずつ保存されたと言うが、この901形は保存対象にならず。
ただ、地方都市の路面電車としては、ちょうど良いサイズの中型車だったから...だろうか、熊本市電にも譲渡され。一部はワンマン化改造も行われ、ネット検索すると、いまの1063号車と同じクリーム色と紺色の細帯の姿で走る写真が見つかる。
尤も、時期的に熊本も路線の縮小が行われる時期で(一時は全廃も検討されたそうで)、戦前製の車両は早々に置換え対象になったようで、熊本で400形として活躍したのは数年間だったとされ。

大阪には残っていない流線型車体、その1両、403号車は足回りは失われているものの、車体だけが南区内の住宅街にある小さな児童遊園で地域の集会場のような形で残されており。

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