小湊観光急行 宗谷線キハ400急行気動車ヘッドマーク「天北」編(5)
「十年一昔」とも言うわけで...
40台も半ばになると1年が過ぎるのが、圧倒的に早くなっているように感じる。まるで地球の公転速度が年々速くなってきているかのように1年というのがあっという間に過ぎていくのである。
学生時代の記憶というのは「学年」という明確な“物差し”がある。だから、「あぁ、あの年にあんなことが...」と記憶が紐付けられているものだが、社会人になってからは...。毎年、仕事は忙しいは忙しいし、その中でいろいろな変化もあるのだが、その中身は覚えていても「いつ」というのが不明確になってきたような気がしてならない。
というわけで、HDDを漁ってみたのだが、10年前、2014年7月、<変態鉄>はヒコーキで富山に向かったみたい。
【2014年7月7日7時26分】 富山地方鉄道上滝不二越線・月岡駅
翌朝、翌々朝と続けて月岡駅近くの田園地帯で朝の3連運行を撮っていた。
もちろん、この時期、ブログは始めていたのでその記事を探すことはできるのだが、写真を見る限り、このとき先頭に立っていたのはクハ175号車だったようで。
正統派“日車ロマンスカー”の「湘南顔」、20形電車を撮りたかった<変態鉄>としては逆光の中、苦労して撮っていたようで。そういった中、この朝は雨が降っていて。
コロナ禍の直前、この電車のお別れ運転が行われ。いまや、この車両も残っていない。
そういえば、それ以来、富山地鉄を撮りに行く機会にも恵まれず。駅舎のリニューアル工事が進んでいることなど、情報は入ってきているし、関心もあるのだが、なかなか撮りに行く機会に恵まれないのである。
そういえば、「行きたいと思いながら行けていない」路線は、自分の中には複数あって。最近、このブログに登場しない路線というのには興味を失っている...とか、そんなことは決して無くて、あちらこちらに気になっている路線はあるわけで
もちろん、富山地鉄もその1つ。来月、富山に行く機会はあるのだが墓参りと親戚への挨拶だけで終わりそうで。同社初の20000台の形式になった西武NRA改め“キャニオンエキスプレス”も撮ってみたいものだが...
そんな中、幸い、「近い」ということもあって定期的に足を運べているのが小湊鐵道だろうか。
最後の上り「4号」を残して、いったん五井駅に戻ってきた<変態鉄>だった。
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40台も半ばになると1年が過ぎるのが、圧倒的に早くなっているように感じる。まるで地球の公転速度が年々速くなってきているかのように1年というのがあっという間に過ぎていくのである。
学生時代の記憶というのは「学年」という明確な“物差し”がある。だから、「あぁ、あの年にあんなことが...」と記憶が紐付けられているものだが、社会人になってからは...。毎年、仕事は忙しいは忙しいし、その中でいろいろな変化もあるのだが、その中身は覚えていても「いつ」というのが不明確になってきたような気がしてならない。
というわけで、HDDを漁ってみたのだが、10年前、2014年7月、<変態鉄>はヒコーキで富山に向かったみたい。
【2014年7月7日7時26分】 富山地方鉄道上滝不二越線・月岡駅
翌朝、翌々朝と続けて月岡駅近くの田園地帯で朝の3連運行を撮っていた。
もちろん、この時期、ブログは始めていたのでその記事を探すことはできるのだが、写真を見る限り、このとき先頭に立っていたのはクハ175号車だったようで。
正統派“日車ロマンスカー”の「湘南顔」、20形電車を撮りたかった<変態鉄>としては逆光の中、苦労して撮っていたようで。そういった中、この朝は雨が降っていて。
コロナ禍の直前、この電車のお別れ運転が行われ。いまや、この車両も残っていない。
そういえば、それ以来、富山地鉄を撮りに行く機会にも恵まれず。駅舎のリニューアル工事が進んでいることなど、情報は入ってきているし、関心もあるのだが、なかなか撮りに行く機会に恵まれないのである。
そういえば、「行きたいと思いながら行けていない」路線は、自分の中には複数あって。最近、このブログに登場しない路線というのには興味を失っている...とか、そんなことは決して無くて、あちらこちらに気になっている路線はあるわけで
もちろん、富山地鉄もその1つ。来月、富山に行く機会はあるのだが墓参りと親戚への挨拶だけで終わりそうで。同社初の20000台の形式になった西武NRA改め“キャニオンエキスプレス”も撮ってみたいものだが...
そんな中、幸い、「近い」ということもあって定期的に足を運べているのが小湊鐵道だろうか。
最後の上り「4号」を残して、いったん五井駅に戻ってきた<変態鉄>だった。
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