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続・1本のフィルムから(1998年3月、茨城県の<鉄>シーン) [アナログ写真保管庫]

ということで、昨日の続き。

でも、その前に...

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今日は仕事はお休み。自宅でパソコンに向かって。
撮影用のメモ(お目当ての列車の時刻表)を作っていた。

まぁ、それ自体は1時間ほどで終わる軽い作業なのだが...
こんなに気合いを入れて準備するのも、実は久しぶり。最近の“出撃先”は
何度もリピートしている場所が多かったので“出たとこ勝負”の感が強く。

そういう意味では、1から撮影地探しをしないといけない路線...ということで。
最終日の「ことでんレトロ」よりも、“付け合わせ”的に考えていた路線が...

その本来、“メイン”であるはずの「ことでんレトロ」は12日。
その日に限って「雨」予報というのも<変態鉄>らしさ...かも知れない。
とりあえず、雨脚が強まらなければ...という感じだろうか。

さて...

話は1998年の春へ。前回、山陰旅行の写真は日付まで特定できた。
それは旅行の記録を、ちゃんとまとめてファイルしてあったから。

でも...

……  ……

いまだったら、「眠い」「疲れた」と“行かない理由”を探して自宅でゴロゴロ
している日が多い<変態鉄>だが、学生の頃の自分は若かった。

大学生とは言っても、大学には全然馴染めなかったタイプで...というか、
全く興味のない学部に進んでしまったこともあって、バイトに明け暮れ
キャンパスに行くのは月に何度か...という生活だった頃。幸い、東京の大学だった
ので、自宅からの通学。だから、バイト代が意外と貯まって。

そして自由になる時間はいくらでもあったので、休みの度に...ではなく、
勝手に休みを作っては出かけていたのだった。

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【1998年3月21日】 広島電鉄本線・本川町-原爆ドーム前(後追い)

だから、98年3月の山陰旅行と同じネガということは、間違いなく、その前後の撮影。
たぶん同じ3月か、4月かと。断片的な記憶を辿れば、春の「青春18きっぷ」の
“消化試合”だったかも知れない。

何しろ20年前のこと。断片的な記憶はあっても日付までは...

実家の部屋の“発掘調査”を大々的に行えば当時のメモを発見できる可能性は
低くないが、それも...

ということで、今日の話題は「98年春頃」という以外は“日時不詳”で。

たぶん、行程は上野から常磐線を北上し、水戸から水郡線を“制覇”、
郡山に着いたら磐越東線で、いわきへと向かい、再び常磐線を南下して帰宅した
というルートにだったように思う。

ただ、往路の水戸までは1枚も撮っておらず。“ブロガー”ではなかったのも
一因だろうがフィルム写真は、文字通り、現像作業が必要で。当時、DPEと言った。
拘りのある方は、街で馴染みの「写真屋さん」でやってもらっていたが、
もちろん、ネガカラーでテキトーに撮るだけの<変態ガキ鉄>に、そんな高価な...

01_IMG_6719.JPG

大半のコンビニとかスーパーなどでも、レジでその“DPE”の取り次ぎをしてくれる
サービスがあった。

フィルムを現像して...、それがこの「ネガ」。ここまで500円程度だっただろうか。
「ネガ」とは、この段階で捕色の関係...というか色が逆になっているという意味。
これでは、何を撮ったかわからないので、これをプリントしてもらう。

基本は「L判」、そういうスーパーとかコンビニでお手軽に頼むような場合、
だいたいコレが1枚20円くらい。つまり、24枚撮りフィルムを1本撮り終えると

  500円 + 20円 × 24枚

で、約1,000円したのである。だいたい、中2~3日で戻ってきたのである。

そう、お若い皆さんはご存じないかも知れないが、いまとは違って、撮影した画像を
現場で確かめて、それをもとに露出を調整する...デジカメ時代には当たり前でも
当時は、そんなの夢だったのである。

うまく撮れていたかどうか、それが明らかになるのは1週間近く経ってから...
というのがフツーだった。旅行から帰って、写真が仕上がってくるまでの数日間、
まさに合格発表を待つ受験生のような気持ちだったのである。

ということで、興味のある被写体で無いとシャッターを切ることをしなかったのが
当時の撮影。「とりあえず、撮るだけ撮って要らなければ消せば良い」というのは
不可能なことだったのである。

……  ……

このカットでスタートしていた。

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キハ111-119という車番、水スイ(水郡線営業所)に配置されていた車輌だった。
90年台に入って、比較的早い段階で国鉄型キハが淘汰され、当時としては最新の
キハ110系に統一されていた水郡線である。

国鉄型に比べて、ずいぶん軽い感じの車輌が入ってきた...と思ったのだが、
それもいまは昔。キハE130系に置き換えられて、このキハ110系自体、いまや
水郡線では走っていない。

目を凝らすと後ろには車止めが見える。水郡線の“両端”は水戸と郡山
(正式には、安積永盛-郡山間は東北本線)だが、両駅ともこんな雰囲気では無く。
消去法で、常陸太田駅だろうか?!

というのは...

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次のカットがコレだったから。

乗ることも撮ることも叶わなかったのが、この日立電鉄。
ぬぁんと、営団2000系にパンタグラフを付けた電車が当時の主力車。
いまなら間違いなく、こちらを撮りに向かうが当時は路面電車とかキハとか...
気になる車輌を追いつつも、JR線の「全線完乗」、いわゆる“乗りつぶし”に
エネルギーを使っていた。中小私鉄には目もくれなかったのである。
(つまり、いまとは真逆だったわけで...)

24_IMG_20200106_0026.jpg

ぬぁんと、その次のカットがコレ。
急行用455系だろうか、角目の2灯式ヘッドライトに交換されているのは
当時のJR東日本で大流行した(?)、前面強化改造。

でも、列車前面に夕方の太陽が...、ちょうどエロい感じで当たっていて。
この列車に乗った記憶がある。近郊型電車と同じ4人掛けボックスシートでも
急行型の方がシートが少し大きくて座席の間隔も広くて。

急行型電車の旅を楽しんだことも断片的な記憶の中に。

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そして、最後のカットがコレ。
当時としては当たり前過ぎる存在だった、白地に青帯の415系電車である。
よ~~く、目を凝らせば「いわき」の駅名板のほか、奥のホームには
“タキシードボディ”の651系「スーパーひたち」が停車中であることが
確認できる。

……  ……

仕事をやっつけつつ、山陽電車の撮影地を検索している<変態鉄>。
気合いを入れて準備したときに限って、撮影では失敗することが多いのだが...

日付が変わって明日、金曜日の早朝、神戸に向けて旅立つのである。

~~ お知らせ ~~

このブログは、2020年1月15日をもって更新を終了します。
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こちら→ https://gohachinihachi1978.blog.ss-blog.jp/

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(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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サットン

ホント記録って大事ですよね! 私も学生時代にはコマめに行程、乗車車番、一口メモなどをノートに記していたものですが。いつの頃か「記録より記憶」という言葉にそそのかされた時期があり、その間はろくに記録がありません。記憶の方は既に忘却の彼方です。
それにしても旅の記録ファイルといい、撮影地メモといいきちんとされていますね! 一度つぶさに拝見したいものです。
by サットン (2020-01-11 17:30) 

ferrum_queserasera

サットンさん

コメントありがとうございます。
いえいえ、そんな人様にお見せできるようなものではなくて...
パソコンで整理したのは、ごく一部であとは書き殴ったメモに過ぎません。さて、「記録より記憶」。確かに記録に夢中になっていると、いま起こっている事への関心がそがれてしまったり...
難しいところですね。

自分は、デジカメになってからメモをとらなくなりました。
フィルム時代とは違って、あまり意味のない看板などもパシパシ
撮ってしまう上、その撮影時刻なども詳細に記録されているので...。ブログで、撮影記を書くときも写真のデータで行程を確認している位です。

by ferrum_queserasera (2020-01-11 20:34) 

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