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1本のフィルムから(1998年3月、広島の<鉄>シーン) [アナログ写真保管庫]

デジカメですら、スマホのカメラ機能に押されて、各カメラーメーカーが苦戦を
強いられているとされるイマの時代。

拙ブログをお読みの皆さんの中でも、若い方は「ネガとポジ」と言っても
「何、それ!?」という感じかも知れない。
フィルムカメラ...と、昔はそんな言い方しなくてもカメラにはフィルムを入れて
撮るのが当たり前だった。

ザックリ言えば、そのフィルムに2種類あって。
それが“ネガとポジ”。一般に誰もが...運動会やら卒業式やら、そういうときには
コンパクトカメラ(当時の言い方だと、バカ※※※カメラ = いまでは禁止用語!?)
を持ってきていたが、そういう、誰もがお手軽に使う、量販店に山積みになって
安く売られていたのが「ネガカラーフィルム」、一方、本格的で「カメラが趣味」と
言って恥ずかしくないレベルの人が使っていたのが「ポジ」。
雑誌などをはじめ、印刷原稿としてそのまま使えたのはコチラ。でも、高価だし
露出オーバー、アンダーもハッキリ出てしまって...素人には扱いにくく。

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(<変態鉄>の中学・高校生当時の“相棒”が EOS1000QDP という機種だった)

<変態ガキ鉄>も、一眼レフを2台と廉価版のズームレンズばかり3本ほどを携え、
いっぱしのカメラ小僧気取りだったが、使っていたのは終始ネガだった。
愛用していたのは、フジカラーの「24枚撮りISO400」という緑に紫色のラインの
箱に入ったヤツ。量販店で「24枚撮り10本パック」を買って、持ち歩いていた。

昨日の記事を書くのにあたって、当時の...1998年3月のネガをスキャナーで
取り込んだのだが...

そう、デジカメなら画像を日付ごとのフォルダで管理できるが、ネガは...
気にする人は、24枚なら24枚、撮り終えなくても巻き上げて現像所に出すだろうが
とにかくビンボー学生の<変態ガキ鉄>、1コマたりとも無駄にはできず。

残ったフォルムは、カメラの中。次の撮影分がそのまま続くことになるのだった。
米子駅と松江駅でキハを撮った写真の残りコマを見てみると...
……  ……

趣味活動においては、常に“一匹狼”の<変態鉄>、学生時代も「鉄道同好会」の
ようなサークルなどに所属したこともなく。

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【1998年3月】 山陰本線・米子駅

<鉄>な本で得た情報などで“独学”だった。それはカメラについても同じ。
初めて(笑)、大学生になったのが1996年春。それ以降、行動範囲も広がって。
すべて単独行動だったが、<鉄>の知識は急速に増えていったのだった。

地平時代の富山駅もそうだったが、大きな駅には荷物専用のエレベータが。
そう、80年台までは小荷物も新聞も郵便物まで、列車で輸送しており。
大きな駅には「テルハ」と呼ばれる荷役用の跨線橋のような...があった。
そんな小荷物を駅構内で運ぶために...

築地市場移転の時にテレビで取りあげられて、すっかり有名になった感があるが、
そう、荷物輸送につきものなのが「ターレ」、ターレットなのである。

13_IMG_20200106_0001.jpg
【1998年3月】 山陰本線・米子駅

国鉄末期に荷物輸送も郵便輸送も事実上、全廃されたので、それから10年以上
経って、なぜ米子駅のホームでターレが元気そうにして居たのかは謎なのだが、
キハを撮りつつも、ターレにカメラを向けていた<変態鉄>、ハタチの思い出
である。すでに、その頃から<変態野郎>としての素質は開花しつつあった。

このネガの続きを見ていくと...

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【1998年3月21日】 可部線・旧三段峡駅

いきなり出てくるのは、三段峡駅である。
広島から北へ、線名にもなっている途中駅の可部までは広島市のベッドタウン。
丘陵地に所狭しと並んだ戸建て住宅を見ながらの通勤路線。電化されていて
当時は115系と103系が主力車だっただろうか。

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【2017年9月2日8時50分】 可部線・あき亀山駅前

その可部以北の区間は非電化単線なのである。加計を経て、山の中の三段峡駅で
プッツリと線路は途切れており。いろいろあって、可部以北は廃線となり。
その後、廃線となった区間が“復活”という珍しい経過を辿って誕生した新駅
あき竹城...いや、「あき亀山」駅を訪れたのは2017年の真夏のこと(→ こちら)。
(拙ブログでは、引き続き、「過去記事に『nice!』、コメント歓迎キャンペーンを実施中です!!!)

島根との県境に近い山間の小さな駅。

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【1998年3月21日】 可部線・旧三段峡駅

駅前にはC11蒸気機関車が佇んでいた。
当時の<変態鉄>、太田川に沿って山間部へと入っていく非電化ローカル線について
「車窓が単調で詰まらなかった」という感想を持ったみたい。

いまなら、その“つまらない車窓”にいろいろと発見して楽しみそう...
というか、ブログを引っ張りそうな気もするが。あの頃は若かったのである。

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【1998年3月21日】 可部線・旧三段峡駅

こうしてみると、C11型も良好な状態を保っている?!

確か、廃線後、この蒸気機関車は別の場所に移設されて、現存していたはず。
いつか探しに行きたい。

と...可部線は三段峡駅を、わずか6分の折返しで単純往復しただけで。
広島まで行かずに横川で下車して。山陽本線を宮島口に向かったのである。

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【1998年3月21日】 広島電鉄宮島線・広電宮島口

当時、連接車は事実上、宮島線直通“専属”だった。直通には系統番号は無く、
「2」は広島駅-西広島(己斐)の軌道線区間だけを走る、朝夕数本の電車だけ
だったはず。

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【1998年3月21日】 広島電鉄本線・本川町-原爆ドーム前(後追い)

やはり、このとき、ココでの撮影がメインだったみたい。
かなりのコマ数をココで撮って(撃沈して)いる。

何しろクルマの往来が激しい場所で。被られずに撮るのは忍耐力勝負。
幸い、電車の運転本数が非常に多いので何とか使えるコマを確保できるが...

ちなみに、この写真の約20年後に、やはり同じ撮り方に挑戦している。

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【2017年9月1日13時48分】 広島電鉄本線・本川町-原爆ドーム前(後追い)

バックの...原爆ドーム前周辺の建物は、かなり変わっているが、<変態鉄>の
撮影技術は全くといって良いほど進化がないことがよくわかる(→ こちら)。

そして...

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【1998年3月21日】 広島電鉄・撮影地不詳

<変態鉄>が「ひろでん」で一番好きな電車が、この570形。
何しろ、古い電車なので既に1両を除いて廃車になっており、残る1両も滅多に
運用に入ることはないみたいで。
でも、この当時はそれほど珍しくない存在だった。

緑色濃淡の塗り分けこそ、神戸市交通局からの移籍車である。
ほとんど白黒写真でしか見ることのない、神戸市電、<変態鉄>が、
密かに憧れている路線なのである。もう絶対に撮ることはできないが、
港町のオシャレな電車を撮ってみたかった。

もう、20年前のこと。記憶も断片化しているわけだが、それでも、当時の写真を
見ていると、あの頃のことが甦ってきて。

そんなわけで、98年3月のネガ、米子駅のカットの“後ろ”をご紹介してみた。
“後ろ”を紹介したと言うことは、明日は...

~~ お知らせ ~~

このブログは、2020年1月15日をもって更新を終了します。
新ブログ「金失いの道ゆけば Part 2」も、よろしくお願いします。
こちら→ https://gohachinihachi1978.blog.ss-blog.jp/

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(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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