「還暦の赤い電車」を撮りに11月の讃岐(7)撮影会 <その4> [ことでん旧型たち [高松琴平電鉄]]
う~ん、ここに書くことが無いのである。会社と自宅の間を往復するだけの日々。
大相撲11月場所も大詰めを迎えており、誠に遺憾ながら、あの横綱の優勝で
終わりそうな情勢になってきて...。世代交代の予感は感じさせつつも、まだまだ...
何というか...、大きな壁というか、だいぶ離れているような感じがしてならない。
2019年は、富山出身の関取が、ぬぁんと...幕内最高優勝を果たすという快挙も
あったのだが。2020年に期待したいと思っている。
と、千秋楽の後に書くべきコメントを先に回さないとならないくらいネタ切れの
拙ブログ(の冒頭)、通算2,982個目の記事である。そう、あと18回で...
「思えば遠くにきたものだ...」という感じだろうか、そのキリ番記事も何か
書きたいのだが、なかなか思いつかなくて。(ホント!?)
【2019年11月4日11時55分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
でも、幸い、拙ブログ。本文の方は“ネタ余り”の状態で。
引き続き、11月4日の高松琴平電鉄「還暦の赤い電車」の撮影会の話題。
まだまだ引っ張るのである。
…… ……
2019年11月4日(月・祝)晴れ
2つ目のシーンは“特急そろい踏み”だった。還暦の赤い電車と1255編成には
角型の種別板が取り付けられ。
【2019年11月4日11時52分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
幸い、京急というのは<鉄>の中に、熱狂的なファンの多い路線なのである。
だから、便利になったもので、いつの時代のものであっても検索すれば
写真を見つけることができる。
この角型の、挿し込みタイプの種別板が使われていたのは、たぶん昭和40年台から
50年台が中心みたい。ちょうど、緑色の1255編成(旧京急700形)とか、
還暦の赤い電車と黄色い1087編成(旧京急1000形)の冷房化改造が進められていた
時代にマッチするみたい。
そう考えると、屋根上の冷房装置が見えないようにローアングルで狙うのが
“ツウ”の撮り方...ということになるのだろうか。
ところで、この写真。右側の運転台部分の窓に注目...である。
細かいのだが、いわゆる“スタフ”、運転士さんの携行用運転時刻表が立てかけ
られている。コレも撮影用の演出なのだが...
【2019年11月4日11時55分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
再び、今日のトップ写真。よく見るとその角の部分に「快特」と書かれたバッジの
ようなものが付いているのがわかる。
これも1000形電車の京急時代を再現したもの。いまは使われなくなっているそうだが
当時の京急では列車種別が書かれた札を付けておくことになっていた...とのこと。
寸法や字体、取り付け方などを正確に再現した“小道具”みたい。
いままで、京急を撮ったことが、ほとんどない<変態鉄>にとっては、
「へぇ~~~っ」と思うことの連続だったのである。
【2019年11月4日11時53分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
近接しての撮影タイムが終了すると、すぐに表示類の変更作業が開始され。
そう、表示が新しくなって最初の撮影は車止め付近からの引きの構図になるため
近接撮影は早々に切り上げて、車止め付近で場所を確保していた<変態鉄>
なのである。せっかくの晴れ間が勿体ない...、そんな気もするのだが。
そして、続いて出てきたのが...
<変態鉄>のイメージの中では、これぞ、「ザ・京急」といった感じだが...
【2019年11月4日12時02分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
略称での行き先表示は、あるときまでの京急の“名物”みたいなものだった。
(奥の1255編成の「浦賀」は2文字繋がりということだろうか??)
【2019年11月4日12時06分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
「還暦の赤い電車」には「普通 文庫」である。
もちろん、「文庫」というのは「金沢文庫」のこと。結構、最近までこの略称で
表示していた気もするのだが(年のせい??)、いつの間にか見かけなくなった。
【2019年11月4日12時08分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
そして、隣の1087号車には「普通 新町」である。
こちらは「神奈川新町」のこと。“文庫”も“新町”も車庫がある駅なので、
この行き先というのは見かけることが多くて。
【2019年11月4日12時07分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
ということで、略称幕2パターンの並びシーン。
そして、もう1本は...
【2019年11月4日12時08分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
こちらは「浦賀」、こちらはいまも日常的に見られる表示ではあるのだが...
一応、“普通”で2文字の行き先表示ということだろうか??
そういえば、浦賀というのは行ったことがない。江戸時代、ペリー提督が
やって来たのは歴史の教科書では浦賀だが、確か、浦賀ではなかったはず。
いやいや、<鉄>ブログでありながら、なかなか話を膨らませられないのが
辛いところ...である。
それにしても...。
このタイミングで、また太陽が隠れてしまったのである。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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大相撲11月場所も大詰めを迎えており、誠に遺憾ながら、あの横綱の優勝で
終わりそうな情勢になってきて...。世代交代の予感は感じさせつつも、まだまだ...
何というか...、大きな壁というか、だいぶ離れているような感じがしてならない。
2019年は、富山出身の関取が、ぬぁんと...幕内最高優勝を果たすという快挙も
あったのだが。2020年に期待したいと思っている。
と、千秋楽の後に書くべきコメントを先に回さないとならないくらいネタ切れの
拙ブログ(の冒頭)、通算2,982個目の記事である。そう、あと18回で...
「思えば遠くにきたものだ...」という感じだろうか、そのキリ番記事も何か
書きたいのだが、なかなか思いつかなくて。(ホント!?)
【2019年11月4日11時55分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
でも、幸い、拙ブログ。本文の方は“ネタ余り”の状態で。
引き続き、11月4日の高松琴平電鉄「還暦の赤い電車」の撮影会の話題。
まだまだ引っ張るのである。
…… ……
2019年11月4日(月・祝)晴れ
2つ目のシーンは“特急そろい踏み”だった。還暦の赤い電車と1255編成には
角型の種別板が取り付けられ。
【2019年11月4日11時52分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
幸い、京急というのは<鉄>の中に、熱狂的なファンの多い路線なのである。
だから、便利になったもので、いつの時代のものであっても検索すれば
写真を見つけることができる。
この角型の、挿し込みタイプの種別板が使われていたのは、たぶん昭和40年台から
50年台が中心みたい。ちょうど、緑色の1255編成(旧京急700形)とか、
還暦の赤い電車と黄色い1087編成(旧京急1000形)の冷房化改造が進められていた
時代にマッチするみたい。
そう考えると、屋根上の冷房装置が見えないようにローアングルで狙うのが
“ツウ”の撮り方...ということになるのだろうか。
ところで、この写真。右側の運転台部分の窓に注目...である。
細かいのだが、いわゆる“スタフ”、運転士さんの携行用運転時刻表が立てかけ
られている。コレも撮影用の演出なのだが...
【2019年11月4日11時55分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
再び、今日のトップ写真。よく見るとその角の部分に「快特」と書かれたバッジの
ようなものが付いているのがわかる。
これも1000形電車の京急時代を再現したもの。いまは使われなくなっているそうだが
当時の京急では列車種別が書かれた札を付けておくことになっていた...とのこと。
寸法や字体、取り付け方などを正確に再現した“小道具”みたい。
いままで、京急を撮ったことが、ほとんどない<変態鉄>にとっては、
「へぇ~~~っ」と思うことの連続だったのである。
【2019年11月4日11時53分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
近接しての撮影タイムが終了すると、すぐに表示類の変更作業が開始され。
そう、表示が新しくなって最初の撮影は車止め付近からの引きの構図になるため
近接撮影は早々に切り上げて、車止め付近で場所を確保していた<変態鉄>
なのである。せっかくの晴れ間が勿体ない...、そんな気もするのだが。
そして、続いて出てきたのが...
<変態鉄>のイメージの中では、これぞ、「ザ・京急」といった感じだが...
【2019年11月4日12時02分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
略称での行き先表示は、あるときまでの京急の“名物”みたいなものだった。
(奥の1255編成の「浦賀」は2文字繋がりということだろうか??)
【2019年11月4日12時06分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
「還暦の赤い電車」には「普通 文庫」である。
もちろん、「文庫」というのは「金沢文庫」のこと。結構、最近までこの略称で
表示していた気もするのだが(年のせい??)、いつの間にか見かけなくなった。
【2019年11月4日12時08分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
そして、隣の1087号車には「普通 新町」である。
こちらは「神奈川新町」のこと。“文庫”も“新町”も車庫がある駅なので、
この行き先というのは見かけることが多くて。
【2019年11月4日12時07分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
ということで、略称幕2パターンの並びシーン。
そして、もう1本は...
【2019年11月4日12時08分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
こちらは「浦賀」、こちらはいまも日常的に見られる表示ではあるのだが...
一応、“普通”で2文字の行き先表示ということだろうか??
そういえば、浦賀というのは行ったことがない。江戸時代、ペリー提督が
やって来たのは歴史の教科書では浦賀だが、確か、浦賀ではなかったはず。
いやいや、<鉄>ブログでありながら、なかなか話を膨らませられないのが
辛いところ...である。
それにしても...。
このタイミングで、また太陽が隠れてしまったのである。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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