「還暦の赤い電車」を撮りに11月の讃岐(5)撮影会 <その2> [ことでん旧型たち [高松琴平電鉄]]
何だか急に寒くなってきたような...
特に朝晩はダウンジャケットを羽織っていても寒さが身にしみるようになって。
ついこの前までは、暑い日が続いていたような気がするのだが、
思えば11月も下旬に差し掛かり、そう、師走は目前に迫っているのである。
いろいろなことがあったが、2019年も一気に年の瀬へ。
年々、時が経つのが速く感じられるような気がしている<変態鉄>である。
【2019年11月4日11時42分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
そろそろ、今年1年間の<鉄>活動の方も総括しないといけない時期になって
きているようだが、拙ブログは引き続き、11月4日の高松琴平電鉄、仏生山での
撮影会の話題を。昭和の頃、京急の電車に実際に掲出されていた種別板と
ヘッドマーク、それらも登場して、かなりディープな内容の撮影会だった。
…… ……
2019年11月4日(月・祝)晴れ
途中、何度かヘッドマークや行き先の交換作業が行われて。
その都度、車止め付近から、10メートルほどの距離をとっての「引きの撮影」と
車輌の周囲を開放してのディテール撮影の時間が各10分ほど設けられ。
<変態鉄>としては、主に、その各シーンの撮影前半「引きの撮影」タイムが
撮影の中心となっていたのだった。
【2019年11月4日11時31分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
ということで、11時半。撮影会の第1弾は昭和の頃の優等列車の再現を。
左から順に、旧700形の急行・川崎ゆき、旧1000形の特急・押上ゆき、
そして、還暦の赤い電車の特急・品川ゆきである。
【2019年11月4日11時32分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
こういう見上げる構図、フツーの<鉄>の皆さんには人気の撮り方みたいだが
<変態鉄>は正面から撮るのが好きで、こういうローアングルというのは...
でも、自分より後ろ側で撮っている人もいるので、撮ったらしゃがまないと
いけないのである。
事実上、撮影ポイントは車両所の留置線の南端、車止め周辺の数メートルの
区画に限定されており。車輌を動かしながらの撮影会...というわけでもないので
アレコレ、撮れる訳でもなく、少しでも変化を付けるために...
【2019年11月4日11時34分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
旧1000形電車の2本並びを。こう並んでいると、ビフォーアフターのような感じで。
京急時代と、ことでん譲渡後の2つの時代が...
ちなみに、ことでん1080形は旧1000形の中では比較的初期に製造された分で。
後期車も、ことでんへと譲渡されているのだが、こちらは長尾線に集中的に配置
されており、形式も1300形と分けられている。形式を問わず混用し、さまざまな
編成を組んでいる琴平線に対して、長尾線は増結を行わないため、ことでん入り後は
機器の一部が違っており。「長尾線代表」として、この撮影会にも出てきて
欲しかった気がするのだが、長尾線カラーは旧700形の1255編成なのである。
ということで、京急1000形の2本並び。
【2019年11月4日11時35分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
そして、お目当てのこの撮り方も。
昭和の頃の京急電車なのである。う~ん、堪らんっ!!
<鉄>の間では、私鉄については“東高西低”と言われている。
車輌についても運行面に関しても趣味的な面白さに乏しいと言われることの多い
関東の私鉄。その中でモ京急というのは、なかなか個性的で...
1435 mm軌間も関東私鉄では珍しい存在。先日の神奈川新町の踏切事故では
必要以上に叩かれてはいたが、住宅密集地を猛スピードでかっ飛ばしていく
その走りっぷり、あの雰囲気も含めて熱烈なファンの多い私鉄でもあって。
「9C」という運行番号も、京急に詳しい<鉄>な方にとっては、スゴさがわかる
表示なのかも知れないのだが、あいにく<変態鉄>は、そこについて語れるだけの
知識を持っていないのである。
なので、普段の記事とは違って、できるだけ、この場の雰囲気を記録できるような
写真を心がけたのである。(相変わらず、テキトーなのである...)
【2019年11月4日11時36分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
カメラの砲列、注目を一身に浴びる「還暦の赤い電車」を、工場建屋の方から
遠巻きに眺めている「レトロ電車」たち。
“還暦と卒寿”、それも令和の時代の「ことでん」なのである。
さて...
【2019年11月4日11時42分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
このとき「還暦の赤い電車」の前面に掲げられた「12」というヘッドマーク、
これはいまに続く「12両編成運転開始」の記念マークである。
それから...
【2019年11月4日11時40分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
「特急」の種別板。こちらも実際に京急で使用されていたホンモノ。
この記事を書くのにあたって調べてみたのだが、種別板を使用していた期間は
正確には分からなかった。
昭和40年台の京急では、種別板も方向板もフックに引っ掛ける方式だったみたいで
その後、このような箱形の種別板挿しが設置され、ここに挿入する方式になって。
<変態鉄>がネット上で見つけることができたのは、このタイプの種別板を
使っているのは、1000形電車の冷房化工事が始まる頃のもの。
ちょうど<変態鉄>が生まれた頃のものである。その後、この箱形の札差しも
撤去されており...、いつ頃のものなのかは結局、分からなかった。
でも、この姿で「特急」板を挿して走っている写真はいくつか見つかり。
ということで昭和50年代頃の京急ということで。
【2019年11月4日11時39分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
相変わらずのドン曇り。「還暦の赤い電車」の側から3本並びを撮ったりしている
うちに、表示類の変更を行う旨のアナウンスが... (つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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特に朝晩はダウンジャケットを羽織っていても寒さが身にしみるようになって。
ついこの前までは、暑い日が続いていたような気がするのだが、
思えば11月も下旬に差し掛かり、そう、師走は目前に迫っているのである。
いろいろなことがあったが、2019年も一気に年の瀬へ。
年々、時が経つのが速く感じられるような気がしている<変態鉄>である。
【2019年11月4日11時42分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
そろそろ、今年1年間の<鉄>活動の方も総括しないといけない時期になって
きているようだが、拙ブログは引き続き、11月4日の高松琴平電鉄、仏生山での
撮影会の話題を。昭和の頃、京急の電車に実際に掲出されていた種別板と
ヘッドマーク、それらも登場して、かなりディープな内容の撮影会だった。
…… ……
2019年11月4日(月・祝)晴れ
途中、何度かヘッドマークや行き先の交換作業が行われて。
その都度、車止め付近から、10メートルほどの距離をとっての「引きの撮影」と
車輌の周囲を開放してのディテール撮影の時間が各10分ほど設けられ。
<変態鉄>としては、主に、その各シーンの撮影前半「引きの撮影」タイムが
撮影の中心となっていたのだった。
【2019年11月4日11時31分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
ということで、11時半。撮影会の第1弾は昭和の頃の優等列車の再現を。
左から順に、旧700形の急行・川崎ゆき、旧1000形の特急・押上ゆき、
そして、還暦の赤い電車の特急・品川ゆきである。
【2019年11月4日11時32分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
こういう見上げる構図、フツーの<鉄>の皆さんには人気の撮り方みたいだが
<変態鉄>は正面から撮るのが好きで、こういうローアングルというのは...
でも、自分より後ろ側で撮っている人もいるので、撮ったらしゃがまないと
いけないのである。
事実上、撮影ポイントは車両所の留置線の南端、車止め周辺の数メートルの
区画に限定されており。車輌を動かしながらの撮影会...というわけでもないので
アレコレ、撮れる訳でもなく、少しでも変化を付けるために...
【2019年11月4日11時34分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
旧1000形電車の2本並びを。こう並んでいると、ビフォーアフターのような感じで。
京急時代と、ことでん譲渡後の2つの時代が...
ちなみに、ことでん1080形は旧1000形の中では比較的初期に製造された分で。
後期車も、ことでんへと譲渡されているのだが、こちらは長尾線に集中的に配置
されており、形式も1300形と分けられている。形式を問わず混用し、さまざまな
編成を組んでいる琴平線に対して、長尾線は増結を行わないため、ことでん入り後は
機器の一部が違っており。「長尾線代表」として、この撮影会にも出てきて
欲しかった気がするのだが、長尾線カラーは旧700形の1255編成なのである。
ということで、京急1000形の2本並び。
【2019年11月4日11時35分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
そして、お目当てのこの撮り方も。
昭和の頃の京急電車なのである。う~ん、堪らんっ!!
<鉄>の間では、私鉄については“東高西低”と言われている。
車輌についても運行面に関しても趣味的な面白さに乏しいと言われることの多い
関東の私鉄。その中でモ京急というのは、なかなか個性的で...
1435 mm軌間も関東私鉄では珍しい存在。先日の神奈川新町の踏切事故では
必要以上に叩かれてはいたが、住宅密集地を猛スピードでかっ飛ばしていく
その走りっぷり、あの雰囲気も含めて熱烈なファンの多い私鉄でもあって。
「9C」という運行番号も、京急に詳しい<鉄>な方にとっては、スゴさがわかる
表示なのかも知れないのだが、あいにく<変態鉄>は、そこについて語れるだけの
知識を持っていないのである。
なので、普段の記事とは違って、できるだけ、この場の雰囲気を記録できるような
写真を心がけたのである。(相変わらず、テキトーなのである...)
【2019年11月4日11時36分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
カメラの砲列、注目を一身に浴びる「還暦の赤い電車」を、工場建屋の方から
遠巻きに眺めている「レトロ電車」たち。
“還暦と卒寿”、それも令和の時代の「ことでん」なのである。
さて...
【2019年11月4日11時42分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
このとき「還暦の赤い電車」の前面に掲げられた「12」というヘッドマーク、
これはいまに続く「12両編成運転開始」の記念マークである。
それから...
【2019年11月4日11時40分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
「特急」の種別板。こちらも実際に京急で使用されていたホンモノ。
この記事を書くのにあたって調べてみたのだが、種別板を使用していた期間は
正確には分からなかった。
昭和40年台の京急では、種別板も方向板もフックに引っ掛ける方式だったみたいで
その後、このような箱形の種別板挿しが設置され、ここに挿入する方式になって。
<変態鉄>がネット上で見つけることができたのは、このタイプの種別板を
使っているのは、1000形電車の冷房化工事が始まる頃のもの。
ちょうど<変態鉄>が生まれた頃のものである。その後、この箱形の札差しも
撤去されており...、いつ頃のものなのかは結局、分からなかった。
でも、この姿で「特急」板を挿して走っている写真はいくつか見つかり。
ということで昭和50年代頃の京急ということで。
【2019年11月4日11時39分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所
相変わらずのドン曇り。「還暦の赤い電車」の側から3本並びを撮ったりしている
うちに、表示類の変更を行う旨のアナウンスが... (つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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