入手できましたぁ!! 懐かしのあの電車。 [東京鐵話]
昨日の記事でも書いたとおり、何とか仕事の一番キツいところを乗り越えて。
昨晩はブログを書いていた1時間余り、あと、早朝4時の「大相撲幕内全取組」を
見ていた30分以外は...
夕食をとってから、仕事を開始、とりあえずできあがったのが、朝の8時半。
休憩も取ること無く頑張ったのだった。それにしても、月曜は会社で眠かった。
自宅に帰ったら夕食をつくる元気もなくて、そのまま寝てしまったのである。
でも、そんなヘロヘロになりつつも...
【2014年5月23日10時35分】 東京メトロ千代田線・綾瀬駅
<鉄>として...
物心つく前から、一番身近な存在だったのが営団地下鉄、現在の東京メトロ。
幼稚園の頃から中学に上がる直前まで半蔵門...というか、国立劇場の近くで
暮らしていた<変態ガキ鉄>にとって「お出かけ」といえば営団地下鉄だった。
半蔵門線が永田町から半蔵門まで延伸されたのが小学校に上がる頃だっただろうか、
引っ越す頃には三越前まで延伸されていて。語り出すとどれだけでも...
…… ……
そんな<変態鉄>が先月から気になっていたのが...
1セット4,800円。「24時間券」とは平たくいえば1日フリーきっぷのような。
限定、3100セットが8日朝からネットで発売された。
営団地下鉄 → 東京メトロを走り、平成の31年間の中で引退していった8形式を
あしらった「24時間券」のセットである。
夜、会社から戻って再びサイトを見ると、すでに「キャンセル待ち」に。
実は<変態鉄>、その徹夜仕事をやっつけた直後、自宅のPCで“時報打ち”を
やっていたのである。
やはり、サーバーが混み合っていたのか、クレジットカード決済のところで
何度かエラーが出たものの、10時の販売開始に合わせて狙った結果、10時08分に
「お支払いを確認しました」
のメールが届いたのである。現物の到着は9月らしいが...
でも、「当たり前の存在」だった電車だからこそ写真が少ないのは、
いつものパターンで。どの写真も再掲になってしまい、恐縮だが、この中の
一部形式を<変態ガキ鉄>の拙い写真を中心に振り返ってみたい。
【2013年12月20日12時42分】 東京メトロ千代田線・綾瀬駅
平成の終わりとともに引退したのが千代田線の6000系。
技術面でもデザインでも日本の電車史に残る名車である。実は、中学に入ると
同時に引っ越して、しばらくの間、乃木坂駅の近くで過ごした。
千代田線は思い出の路線でもある。当時、6000系は2段窓車の冷房化改造たけなわ。
冷改に合わせて車内アコモも変更され、そんな変わりゆく姿を楽しみにしていた。
【1993年7月頃】 営団地下鉄銀座線(当時)・渋谷駅
いちばん好きだったのは、この電車。
冷房が無くて暑かったが、でも、駅に到着する直前やポイントを渡るときの
“瞬間停電”、<変態ガキ鉄>にとっては、あれが楽しみでならなかった。
<変態鉄>が高校生になって、まもなく、後継の01系に統一され、2000形が
全廃されることになって。引退のポスターは有名鉄道写真家が渋谷駅ホームから
撮った、激しい夕立の中を走る2000形電車。その構図の“パクリ”も良いところ...
尤も、単なる劣化版であるのはいうまでもないことだが。
ちなみに現在、渋谷駅付近は大規模な改良(? = 「改悪」に思えてならない)工事が
進められており。この写真で電車がいる位置あたりが渋谷駅ホームになる。
すでにカマボコ状の屋根ができあがっており、この写真を撮ること自体、
できなくなった。この当時、そんなこと全く予想もしていなかったのである。
…… ……
そんな大好きだった2000形を追いやる存在...として、<変態ガキ鉄>が憎んで
いたのが、01系電車。ドア上に矢印などが点滅して電車の走行位置を示す
表示板が付いたのが画期的だった。「キライな電車」だったので、撮ろうと思う
ことも無かったが、年に一度だけ丸の内線内で客扱いする臨時電車があって。
隅田川花火大会に合わせて新宿駅発で運転されたのが「花火ライナー」。
丸の内線内は途中駅通過で運転され、赤坂見附駅南側の渡り線で銀座線に転線、
そのまま浅草まで運転された。
となれば...
【撮影日時不詳】 営団地下鉄丸ノ内線(当時)・四ッ谷駅
カメラを持って四ツ谷駅に駆けつけた<変態ガキ鉄>だったのである。
確か3本くらい設定されていたのだが、専ら、01系の後期車...新製冷房車が
充当されており。いまも、中野富士見町工場で定期検査を受けるため、
銀座線電車は定期的に丸ノ内線内を走っているが、ホームドアが設置されてからは
車体の寸法の違う銀座線用の車両の客扱いは無理。
いまでは見られなくなった「夏の風物詩」だった。
【撮影日時不詳】 営団地下鉄丸ノ内線(当時)・四ッ谷駅
区間内の地上駅が四ッ谷しかないのだが...
これが01系が丸ノ内線内を走っている...という“証拠”になるカットも撮っていた。
四ツ谷駅で500系とすれ違う「花火ライナー」である。
…… ……
新しい「令和」の時代が始まって。最初に淘汰されるのは...
【1994年8月頃】 営団地下鉄日比谷線(当時)・南千住駅
この形式になるのだろうか。まさか日比谷線が20メートル車になるとは...
さすがに地下鉄の<葬式鉄>をしにいく元気はないが、でも、機会があれば
撮りに行ってみたいと思う<変態鉄>なのである。
さぁ、9月に届くのが楽しみで...
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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昨晩はブログを書いていた1時間余り、あと、早朝4時の「大相撲幕内全取組」を
見ていた30分以外は...
夕食をとってから、仕事を開始、とりあえずできあがったのが、朝の8時半。
休憩も取ること無く頑張ったのだった。それにしても、月曜は会社で眠かった。
自宅に帰ったら夕食をつくる元気もなくて、そのまま寝てしまったのである。
でも、そんなヘロヘロになりつつも...
【2014年5月23日10時35分】 東京メトロ千代田線・綾瀬駅
<鉄>として...
物心つく前から、一番身近な存在だったのが営団地下鉄、現在の東京メトロ。
幼稚園の頃から中学に上がる直前まで半蔵門...というか、国立劇場の近くで
暮らしていた<変態ガキ鉄>にとって「お出かけ」といえば営団地下鉄だった。
半蔵門線が永田町から半蔵門まで延伸されたのが小学校に上がる頃だっただろうか、
引っ越す頃には三越前まで延伸されていて。語り出すとどれだけでも...
…… ……
そんな<変態鉄>が先月から気になっていたのが...
1セット4,800円。「24時間券」とは平たくいえば1日フリーきっぷのような。
限定、3100セットが8日朝からネットで発売された。
営団地下鉄 → 東京メトロを走り、平成の31年間の中で引退していった8形式を
あしらった「24時間券」のセットである。
夜、会社から戻って再びサイトを見ると、すでに「キャンセル待ち」に。
実は<変態鉄>、その徹夜仕事をやっつけた直後、自宅のPCで“時報打ち”を
やっていたのである。
やはり、サーバーが混み合っていたのか、クレジットカード決済のところで
何度かエラーが出たものの、10時の販売開始に合わせて狙った結果、10時08分に
「お支払いを確認しました」
のメールが届いたのである。現物の到着は9月らしいが...
でも、「当たり前の存在」だった電車だからこそ写真が少ないのは、
いつものパターンで。どの写真も再掲になってしまい、恐縮だが、この中の
一部形式を<変態ガキ鉄>の拙い写真を中心に振り返ってみたい。
【2013年12月20日12時42分】 東京メトロ千代田線・綾瀬駅
平成の終わりとともに引退したのが千代田線の6000系。
技術面でもデザインでも日本の電車史に残る名車である。実は、中学に入ると
同時に引っ越して、しばらくの間、乃木坂駅の近くで過ごした。
千代田線は思い出の路線でもある。当時、6000系は2段窓車の冷房化改造たけなわ。
冷改に合わせて車内アコモも変更され、そんな変わりゆく姿を楽しみにしていた。
【1993年7月頃】 営団地下鉄銀座線(当時)・渋谷駅
いちばん好きだったのは、この電車。
冷房が無くて暑かったが、でも、駅に到着する直前やポイントを渡るときの
“瞬間停電”、<変態ガキ鉄>にとっては、あれが楽しみでならなかった。
<変態鉄>が高校生になって、まもなく、後継の01系に統一され、2000形が
全廃されることになって。引退のポスターは有名鉄道写真家が渋谷駅ホームから
撮った、激しい夕立の中を走る2000形電車。その構図の“パクリ”も良いところ...
尤も、単なる劣化版であるのはいうまでもないことだが。
ちなみに現在、渋谷駅付近は大規模な改良(? = 「改悪」に思えてならない)工事が
進められており。この写真で電車がいる位置あたりが渋谷駅ホームになる。
すでにカマボコ状の屋根ができあがっており、この写真を撮ること自体、
できなくなった。この当時、そんなこと全く予想もしていなかったのである。
…… ……
そんな大好きだった2000形を追いやる存在...として、<変態ガキ鉄>が憎んで
いたのが、01系電車。ドア上に矢印などが点滅して電車の走行位置を示す
表示板が付いたのが画期的だった。「キライな電車」だったので、撮ろうと思う
ことも無かったが、年に一度だけ丸の内線内で客扱いする臨時電車があって。
隅田川花火大会に合わせて新宿駅発で運転されたのが「花火ライナー」。
丸の内線内は途中駅通過で運転され、赤坂見附駅南側の渡り線で銀座線に転線、
そのまま浅草まで運転された。
となれば...
【撮影日時不詳】 営団地下鉄丸ノ内線(当時)・四ッ谷駅
カメラを持って四ツ谷駅に駆けつけた<変態ガキ鉄>だったのである。
確か3本くらい設定されていたのだが、専ら、01系の後期車...新製冷房車が
充当されており。いまも、中野富士見町工場で定期検査を受けるため、
銀座線電車は定期的に丸ノ内線内を走っているが、ホームドアが設置されてからは
車体の寸法の違う銀座線用の車両の客扱いは無理。
いまでは見られなくなった「夏の風物詩」だった。
【撮影日時不詳】 営団地下鉄丸ノ内線(当時)・四ッ谷駅
区間内の地上駅が四ッ谷しかないのだが...
これが01系が丸ノ内線内を走っている...という“証拠”になるカットも撮っていた。
四ツ谷駅で500系とすれ違う「花火ライナー」である。
…… ……
新しい「令和」の時代が始まって。最初に淘汰されるのは...
【1994年8月頃】 営団地下鉄日比谷線(当時)・南千住駅
この形式になるのだろうか。まさか日比谷線が20メートル車になるとは...
さすがに地下鉄の<葬式鉄>をしにいく元気はないが、でも、機会があれば
撮りに行ってみたいと思う<変態鉄>なのである。
さぁ、9月に届くのが楽しみで...
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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