あの頃の...、ちょっと寂しい終着駅のこと。(名鉄美濃町線・関駅) [スカーレットのトラムたち[名鉄岐阜線]]
仕事の方は、忙しさのピークを過ぎて。どうにか、こうにか、まとまりつつある
段階になってきて。でも、ホッと一息...とはいかない。年始の業務で必要になる
ものだって、早めに準備をしないといけない。
そんないま、木曜日は休みにすることができて。水曜日は会社で仕事をしながらも
「いまから、朝一番の伊丹ゆきを予約すれば...」
【2018年4月5日8時54分】 阪堺電軌上町線・阿倍野-松虫
そう、阪堺電車を撮りに行こうかと、仕事をしながら、アレコレ考えていた。
でも、いろいろ考えた挙げ句、断念した...というか、せざるを得なかったのである。
木曜日は<非鉄>なことを中心に、ちょっと出かけた後は、自宅で過ごす予定である。
ということで、拙ブログ。いま、ひとりのブロガーとして危機的な状況に立たされて
いるのである。それは...
…… ……
そう、「ネタ切れ」である。
仕事が忙しくなると<鉄>活動に使える時間がなくなるわけで。
次の公休日は...、今シーズン、まだ「ちん電」に会えていないのである。
さて、ネタ切れ中ということで、ちょっと短めの記事で。
HDDを漁って掘り起こしてきた写真は、2004年の大型連休、山陰本線を走った
臨時急行列車を撮りに行く(→ こちら)、その途中で立ち寄った岐阜の街である。
2004年4月30日(金)晴れ
朝、大垣と本巣を結ぶ樽見鉄道の客車列車の姿を記録して...(→ こちら)
その足で向かったのは、名鉄美濃町線だった。
何度もこのブログで触れてきたように、<変態鉄>が中学生の頃、生まれて初めて
駅頭でのスナップでは無く、「ここで電車を撮りたい!!」と明確な意図を持って
カメラを構えたのは、名鉄岐阜市内線だった。
岐阜の街をゴロゴロと走っていた路面電車こそ、<変態鉄>の趣味活動の原点。
その“名鉄岐阜600V線”は、2005年春に全廃となる。
すでにこの時期は、廃止となることが伝えられていた時期でもあり、できるだけ...
機会を見つければ岐阜に通った頃だった。
でも、それほどまでに思い入れの強かった名鉄岐阜線の中で、このときの訪問が
最初で最後となってしまった終着駅があった。
それが...
【2004年4月30日】 名鉄美濃町線(当時)・関駅
この「関駅」だった。これほどまでに大好きだった路線なのに、行ったことが
無かったというのは...
刀鍛冶の街としてよく知られる岐阜県関市は、岐阜の中心部からクルマで30分ほど
の距離だろうか、その岐阜市中心部と関を結ぶ国道に沿ってガタゴトと走っていた
路面電車が名鉄美濃町線。関市の中心部に乗り入れ、そのターミナル駅が「新関」
だった。新関駅の付近で電車は東から北へと進路を変え、終点の「美濃市」に
至っていた。
【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時)
新岐阜駅(当時)からやって来た電車はほとんどが新関止まり。ここから美濃までは
別の電車に乗り換えて...という形だった。確か、新岐阜-新関間が15分間隔で
新関-美濃間が60分間隔。当時、電車の方向板にも「美濃接続・新関」という
行き先表示があったような...
この沿線風景、堪らなく好きだった。
【2010年6月25日11時02分】 長良川鉄道・美濃市駅
その関と美濃へ乗り入れる鉄道がもう1本。高山本線の美濃太田駅から分岐して
関、美濃を経て郡上八幡などを経由、本当は福井まで繋がる予定だった
国鉄越美南線、現在の長良川鉄道である。
両者の線路が関-美濃間では並行する形になっていたため、一足早く...
長良川鉄道に駅を増設し、その代わりに名鉄美濃町線は美濃-新関間を廃止したのが
全廃のちょうど6年前、1999年4月1日付け。
新関駅から線路を少しだけ(約300 m)延伸して、長良川鉄道の関駅に隣接する
場所に「名鉄美濃町線・関駅」を作ったのである。
その当時、美濃町線の全廃を考えていたかどうかは定かでは無いが、それにしても
あまりにも簡素な終着駅だった。
【2004年4月30日】 名鉄美濃町線(当時)・関駅
確か、ほとんどの電車は新関止まり。最後の300メートルに乗り入れてくる電車は
わずかだったような気がする。当時としては異例の「路面電車の新線」だったが、
あまり注目されることも無かった。(書類上は、新関駅付近の線路を“移設”して
そこに関駅を増設した扱いのため、新規開業区間という扱いではない)
後ろに、フェンスの向こうに線路が見えているのが長良川鉄道である。ダイヤ上、
両線の接続が考慮されていた...ということも無かったように思うし、何より、
このときも新関駅が事実上の終着駅で、関駅までの300メートルほどは、
何だか引き込み線のような...、そんな雰囲気だった。
あまり写欲をそそられるような雰囲気の駅でも無く。
さっさと引き上げたように思う。
美濃まで走っていた頃、その末端区間をになっていたのがモ590形。戦後、まもない
時期に岐阜市内線の車両として導入され、いつの頃からか美濃町線に転じていた。
【2004年4月30日】 名鉄美濃町線(当時)・徹明町電停
新型連接車が主体だった美濃町線で、美濃までの区間が部分廃止になったときに
モ590形も運命をともにするのだろう...と思っていたら、何と何と...
冷房化改造まで受けて、美濃町線の岐阜市内区間に“転勤”。繁華街の柳ヶ瀬に
ほど近い、徹明町に毎日、顔を見せるようになった。
ちなみにこのモ590形、強運の持ち主なのか、あるいは運用しやすい電車なの
だろうか、最後まで活躍した仲間の1両は、美濃駅跡で静態保存、
残りは高知の、とさでん交通に引き取られ、いまも名鉄スカーレットの
塗色のまま、南国土佐を走っている。
名鉄岐阜線のことを語り出すと止まらなくなりそう。
知識も情報も、何よりカメラの腕前も、今よりも遙かに酷いものだったが、
でも、いまより間違いなく、もっと真剣にシャッターボタンを押していた...
そんな時代の記録写真をご紹介した。
というわけで、ネタ切れの苦し紛れ記事だったのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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段階になってきて。でも、ホッと一息...とはいかない。年始の業務で必要になる
ものだって、早めに準備をしないといけない。
そんないま、木曜日は休みにすることができて。水曜日は会社で仕事をしながらも
「いまから、朝一番の伊丹ゆきを予約すれば...」
【2018年4月5日8時54分】 阪堺電軌上町線・阿倍野-松虫
そう、阪堺電車を撮りに行こうかと、仕事をしながら、アレコレ考えていた。
でも、いろいろ考えた挙げ句、断念した...というか、せざるを得なかったのである。
木曜日は<非鉄>なことを中心に、ちょっと出かけた後は、自宅で過ごす予定である。
ということで、拙ブログ。いま、ひとりのブロガーとして危機的な状況に立たされて
いるのである。それは...
…… ……
そう、「ネタ切れ」である。
仕事が忙しくなると<鉄>活動に使える時間がなくなるわけで。
次の公休日は...、今シーズン、まだ「ちん電」に会えていないのである。
さて、ネタ切れ中ということで、ちょっと短めの記事で。
HDDを漁って掘り起こしてきた写真は、2004年の大型連休、山陰本線を走った
臨時急行列車を撮りに行く(→ こちら)、その途中で立ち寄った岐阜の街である。
2004年4月30日(金)晴れ
朝、大垣と本巣を結ぶ樽見鉄道の客車列車の姿を記録して...(→ こちら)
その足で向かったのは、名鉄美濃町線だった。
何度もこのブログで触れてきたように、<変態鉄>が中学生の頃、生まれて初めて
駅頭でのスナップでは無く、「ここで電車を撮りたい!!」と明確な意図を持って
カメラを構えたのは、名鉄岐阜市内線だった。
岐阜の街をゴロゴロと走っていた路面電車こそ、<変態鉄>の趣味活動の原点。
その“名鉄岐阜600V線”は、2005年春に全廃となる。
すでにこの時期は、廃止となることが伝えられていた時期でもあり、できるだけ...
機会を見つければ岐阜に通った頃だった。
でも、それほどまでに思い入れの強かった名鉄岐阜線の中で、このときの訪問が
最初で最後となってしまった終着駅があった。
それが...
【2004年4月30日】 名鉄美濃町線(当時)・関駅
この「関駅」だった。これほどまでに大好きだった路線なのに、行ったことが
無かったというのは...
刀鍛冶の街としてよく知られる岐阜県関市は、岐阜の中心部からクルマで30分ほど
の距離だろうか、その岐阜市中心部と関を結ぶ国道に沿ってガタゴトと走っていた
路面電車が名鉄美濃町線。関市の中心部に乗り入れ、そのターミナル駅が「新関」
だった。新関駅の付近で電車は東から北へと進路を変え、終点の「美濃市」に
至っていた。
【1999年頃】 名鉄美濃町線・下有知駅付近(当時)
新岐阜駅(当時)からやって来た電車はほとんどが新関止まり。ここから美濃までは
別の電車に乗り換えて...という形だった。確か、新岐阜-新関間が15分間隔で
新関-美濃間が60分間隔。当時、電車の方向板にも「美濃接続・新関」という
行き先表示があったような...
この沿線風景、堪らなく好きだった。
【2010年6月25日11時02分】 長良川鉄道・美濃市駅
その関と美濃へ乗り入れる鉄道がもう1本。高山本線の美濃太田駅から分岐して
関、美濃を経て郡上八幡などを経由、本当は福井まで繋がる予定だった
国鉄越美南線、現在の長良川鉄道である。
両者の線路が関-美濃間では並行する形になっていたため、一足早く...
長良川鉄道に駅を増設し、その代わりに名鉄美濃町線は美濃-新関間を廃止したのが
全廃のちょうど6年前、1999年4月1日付け。
新関駅から線路を少しだけ(約300 m)延伸して、長良川鉄道の関駅に隣接する
場所に「名鉄美濃町線・関駅」を作ったのである。
その当時、美濃町線の全廃を考えていたかどうかは定かでは無いが、それにしても
あまりにも簡素な終着駅だった。
【2004年4月30日】 名鉄美濃町線(当時)・関駅
確か、ほとんどの電車は新関止まり。最後の300メートルに乗り入れてくる電車は
わずかだったような気がする。当時としては異例の「路面電車の新線」だったが、
あまり注目されることも無かった。(書類上は、新関駅付近の線路を“移設”して
そこに関駅を増設した扱いのため、新規開業区間という扱いではない)
後ろに、フェンスの向こうに線路が見えているのが長良川鉄道である。ダイヤ上、
両線の接続が考慮されていた...ということも無かったように思うし、何より、
このときも新関駅が事実上の終着駅で、関駅までの300メートルほどは、
何だか引き込み線のような...、そんな雰囲気だった。
あまり写欲をそそられるような雰囲気の駅でも無く。
さっさと引き上げたように思う。
美濃まで走っていた頃、その末端区間をになっていたのがモ590形。戦後、まもない
時期に岐阜市内線の車両として導入され、いつの頃からか美濃町線に転じていた。
【2004年4月30日】 名鉄美濃町線(当時)・徹明町電停
新型連接車が主体だった美濃町線で、美濃までの区間が部分廃止になったときに
モ590形も運命をともにするのだろう...と思っていたら、何と何と...
冷房化改造まで受けて、美濃町線の岐阜市内区間に“転勤”。繁華街の柳ヶ瀬に
ほど近い、徹明町に毎日、顔を見せるようになった。
ちなみにこのモ590形、強運の持ち主なのか、あるいは運用しやすい電車なの
だろうか、最後まで活躍した仲間の1両は、美濃駅跡で静態保存、
残りは高知の、とさでん交通に引き取られ、いまも名鉄スカーレットの
塗色のまま、南国土佐を走っている。
名鉄岐阜線のことを語り出すと止まらなくなりそう。
知識も情報も、何よりカメラの腕前も、今よりも遙かに酷いものだったが、
でも、いまより間違いなく、もっと真剣にシャッターボタンを押していた...
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というわけで、ネタ切れの苦し紛れ記事だったのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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