秋深まる会津路へ(12)保存車紹介 福島交通1116号車 [保存車・廃線跡]
いま、栃木県宇都宮市で次世代型路面電車、LRTの敷設工事が進められている
のだとか。あるいは、岡山市の路面電車も駅前広場を整備して、JRの駅の玄関に
近い位置まで延伸することが検討されていて。
そうそう、もちろん富山も。駅の南北に分かれているポートラム(富山港線)と
富山地鉄市内軌道線の“南北接続工事”も第2期工事が、まもなく。
地方都市を中心に中量公共交通機関としての“次世代型路面電車”に注目が集まる
時代が来るとは、何だかちょっと信じられないような。
昭和30年代以降の高度成長期に、全国各地の電車が廃止されていったわけで。
福島交通の軌道線(飯坂東線)も残っていたら、岐阜の美濃町線などと並んで
<変態鉄>には堪らない魅力的な路線になっていたに違いないと思うのだが。
いまでは、わずかな痕跡と残された電車(現存しているのは3両とされる)しか、
往時を偲ぶものはないのだが...
【2018年10月30日13時26分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
それでは、福島交通モハ1116号車の話題。
…… ……
2018年10月30日(火)曇り一時雨
保原バスセンターの向かい側では「駅前食堂」が盛業中。でも、<変態鉄>は近くの
コンビニでコーヒーを買っただけで...
【2018年10月30日13時45分】 福島県伊達市保原町付近
近くの交差点の先、「陣屋通り」と書かれて道幅が広くなったところへと進めば、
すぐ先にあるのが旧町役場。隣の体育館では何かの催し物が行われているようで
大型観光バスが何台も停車しており...
【2018年10月30日13時34分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
現在では「福島県伊達市」、でも、かつて...、電車が走っていた頃は「保原町」
だったわけで。町役場の正門だろうか、門柱だけが保存されており。
(たぶん、役場の跡地は現在、駐車場になっているわけで。)
かつては、この裏側で荒廃するに任せていた、モハ1116号車。
いまから10年ほど前だろうか、偶然、ネット上で「保存会」のウェブサイトを
見つけて。当時はボランティアが中心になって窓ガラスが破れ、屋根に穴が開き、
木部を中心に荒廃していた車両を、何とかしようと地道な活動が...
「へぇ~、キレイになったら良いのに...」程度で見ていた<変態鉄>。
あの震災以降(当たり前だが)「保存会」のウェブサイトも更新が止まってしまい。
さすがに、「無理か...」と思っていたのだが。
【2018年10月30日13時29分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
しばらく前に、地元企業の協力も得て、修復作業が完了。
見違えるような姿になって展示が再開されたとの情報を知って。
震災を契機に作業の主体が地元ロータリークラブに移ったみたいで、その50周年と
震災からの復興を願って、かつての保原の町を走った電車を修復したとのことで。
【2018年10月30日13時30分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
「荒らされないだろうか!?」
特に施錠されるような感じではなく、駐車場の一角、芝生の上に電車の分だけの
線路を敷いて、その上に保存されている。
修復作業が完了したのは2015年春だったとのこと。すでに3年半が経過しているが
状態は極めて良好である。
屋根上にはパンタグラフが載っているが、集電装置などは途中で更新されたはず。
たぶんトロリーポールを装備して落成しているものと思われる。
正面床下を見れば、救助網が付いていたり、1949年(昭和24年)に新製された
という割には新旧の姿が混在したスタイルである。
【2018年10月30日13時30分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
福島交通の路面電車、軌間は1067 mm、でも、車体幅は、1 m 60~2 m程度と他に
比べて際立って狭いというのが特徴。
ちなみに、同じ軌間でも富山のデ7000形は 2 m 40 と1.5倍以上。
富山地鉄デ7000形が“デブ”なのではない。むしろ、それがフツーのサイズ。
福島交通の路面電車は、ナロー(軌間762 mm)で開業していることに端を発する。
そう、線路を改軌しても橋梁などの施設を全部更新するのは...
写真を見れば、あり得ない位の急カーブもあったりして、あまり、車体幅を
ひろげることはできなかった...ということかと。
ナローに由来する名残だろうか、イタズラ防止か(?)、板で塞がれているが
救助網の上にはアサガオ型カプラーが見られる。この連結器を介して小型の貨車を
牽引する運用もあって。う~ん、想像しただけでも堪らん。
【2018年10月30日13時26分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
裏側(?)に回れば、車内は非公開だが(年に何度か車内公開も行われている模様)、
覗き台のようなものが設置されており。
【2018年10月30日13時27分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
ガラスの映り込みが激しいのがちょっと残念だが、シンプルな運転台は、この時代の
路面電車には標準的なスタイル。黒光りするマスコンが印象的。
【2018年10月30日13時27分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
車内には広告枠に当時の資料などが掲示されているらしいが...
無理にカメラを向けて見れば、シートの上にはサボや続行票などが並べられ。
尤も、「福島 ←→ 保原」の表示、半世紀前の当時、ゴシック体のサボを使って
いたかどうかは少々謎だが。黄色い「続行あり」の標識などは何とも言えない。
ちなみに、名鉄美濃町線では2005年の廃線まで日常的に続行運転があったが
名鉄の続行標識は黄色い丸だけだった。「続行あり」の文字は入っていなかった
ように記憶している。
でも、この写真、ちょっと不自然な感じに映るのが...
ロングシートが車体の中央付近で途絶えているのである。
ネットで当時の資料を調べてみれば、やはり車体幅の狭さゆえ...とのこと。
通路の確保などのため、ロングシートを千鳥状に配置している。
【2018年10月30日13時31分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
真横から見れば、戦後すぐの時代に製造された半鋼製電車らしい感じがする。
柵もフェンスもないのに、部品の破損・欠損も見られず、完璧な状態を保っている
非常に貴重な保存車だったのである。
【2018年10月30日13時25分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
傍らには非常に簡潔にまとめられた説明看板。
昨日の記事に載せた、往時の保原駅の写真もこの説明看板から引用したのだった。
保原のロータリークラブ、50周年は路面電車の修復だったが、40周年はすぐ近くに。
【2018年10月30日13時35分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
この街、戦時中、江戸川乱歩が疎開していたのだそうで...
その記念碑に40周年という記載があった。
…… ……
さぁ、これでこの旅の目的は一通り全て達成。もちろん只見線が心残りだが、
それでも、約20年ぶりの福島県で一定の成果はあったわけで。
あとは福島駅に戻って、新宿ゆきの高速バスに乗るだけ。
まずは保原の駅へと急ぐのだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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のだとか。あるいは、岡山市の路面電車も駅前広場を整備して、JRの駅の玄関に
近い位置まで延伸することが検討されていて。
そうそう、もちろん富山も。駅の南北に分かれているポートラム(富山港線)と
富山地鉄市内軌道線の“南北接続工事”も第2期工事が、まもなく。
地方都市を中心に中量公共交通機関としての“次世代型路面電車”に注目が集まる
時代が来るとは、何だかちょっと信じられないような。
昭和30年代以降の高度成長期に、全国各地の電車が廃止されていったわけで。
福島交通の軌道線(飯坂東線)も残っていたら、岐阜の美濃町線などと並んで
<変態鉄>には堪らない魅力的な路線になっていたに違いないと思うのだが。
いまでは、わずかな痕跡と残された電車(現存しているのは3両とされる)しか、
往時を偲ぶものはないのだが...
【2018年10月30日13時26分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
それでは、福島交通モハ1116号車の話題。
…… ……
2018年10月30日(火)曇り一時雨
保原バスセンターの向かい側では「駅前食堂」が盛業中。でも、<変態鉄>は近くの
コンビニでコーヒーを買っただけで...
【2018年10月30日13時45分】 福島県伊達市保原町付近
近くの交差点の先、「陣屋通り」と書かれて道幅が広くなったところへと進めば、
すぐ先にあるのが旧町役場。隣の体育館では何かの催し物が行われているようで
大型観光バスが何台も停車しており...
【2018年10月30日13時34分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
現在では「福島県伊達市」、でも、かつて...、電車が走っていた頃は「保原町」
だったわけで。町役場の正門だろうか、門柱だけが保存されており。
(たぶん、役場の跡地は現在、駐車場になっているわけで。)
かつては、この裏側で荒廃するに任せていた、モハ1116号車。
いまから10年ほど前だろうか、偶然、ネット上で「保存会」のウェブサイトを
見つけて。当時はボランティアが中心になって窓ガラスが破れ、屋根に穴が開き、
木部を中心に荒廃していた車両を、何とかしようと地道な活動が...
「へぇ~、キレイになったら良いのに...」程度で見ていた<変態鉄>。
あの震災以降(当たり前だが)「保存会」のウェブサイトも更新が止まってしまい。
さすがに、「無理か...」と思っていたのだが。
【2018年10月30日13時29分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
しばらく前に、地元企業の協力も得て、修復作業が完了。
見違えるような姿になって展示が再開されたとの情報を知って。
震災を契機に作業の主体が地元ロータリークラブに移ったみたいで、その50周年と
震災からの復興を願って、かつての保原の町を走った電車を修復したとのことで。
【2018年10月30日13時30分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
「荒らされないだろうか!?」
特に施錠されるような感じではなく、駐車場の一角、芝生の上に電車の分だけの
線路を敷いて、その上に保存されている。
修復作業が完了したのは2015年春だったとのこと。すでに3年半が経過しているが
状態は極めて良好である。
屋根上にはパンタグラフが載っているが、集電装置などは途中で更新されたはず。
たぶんトロリーポールを装備して落成しているものと思われる。
正面床下を見れば、救助網が付いていたり、1949年(昭和24年)に新製された
という割には新旧の姿が混在したスタイルである。
【2018年10月30日13時30分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
福島交通の路面電車、軌間は1067 mm、でも、車体幅は、1 m 60~2 m程度と他に
比べて際立って狭いというのが特徴。
ちなみに、同じ軌間でも富山のデ7000形は 2 m 40 と1.5倍以上。
富山地鉄デ7000形が“デブ”なのではない。むしろ、それがフツーのサイズ。
福島交通の路面電車は、ナロー(軌間762 mm)で開業していることに端を発する。
そう、線路を改軌しても橋梁などの施設を全部更新するのは...
写真を見れば、あり得ない位の急カーブもあったりして、あまり、車体幅を
ひろげることはできなかった...ということかと。
ナローに由来する名残だろうか、イタズラ防止か(?)、板で塞がれているが
救助網の上にはアサガオ型カプラーが見られる。この連結器を介して小型の貨車を
牽引する運用もあって。う~ん、想像しただけでも堪らん。
【2018年10月30日13時26分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
裏側(?)に回れば、車内は非公開だが(年に何度か車内公開も行われている模様)、
覗き台のようなものが設置されており。
【2018年10月30日13時27分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
ガラスの映り込みが激しいのがちょっと残念だが、シンプルな運転台は、この時代の
路面電車には標準的なスタイル。黒光りするマスコンが印象的。
【2018年10月30日13時27分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
車内には広告枠に当時の資料などが掲示されているらしいが...
無理にカメラを向けて見れば、シートの上にはサボや続行票などが並べられ。
尤も、「福島 ←→ 保原」の表示、半世紀前の当時、ゴシック体のサボを使って
いたかどうかは少々謎だが。黄色い「続行あり」の標識などは何とも言えない。
ちなみに、名鉄美濃町線では2005年の廃線まで日常的に続行運転があったが
名鉄の続行標識は黄色い丸だけだった。「続行あり」の文字は入っていなかった
ように記憶している。
でも、この写真、ちょっと不自然な感じに映るのが...
ロングシートが車体の中央付近で途絶えているのである。
ネットで当時の資料を調べてみれば、やはり車体幅の狭さゆえ...とのこと。
通路の確保などのため、ロングシートを千鳥状に配置している。
【2018年10月30日13時31分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
真横から見れば、戦後すぐの時代に製造された半鋼製電車らしい感じがする。
柵もフェンスもないのに、部品の破損・欠損も見られず、完璧な状態を保っている
非常に貴重な保存車だったのである。
【2018年10月30日13時25分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
傍らには非常に簡潔にまとめられた説明看板。
昨日の記事に載せた、往時の保原駅の写真もこの説明看板から引用したのだった。
保原のロータリークラブ、50周年は路面電車の修復だったが、40周年はすぐ近くに。
【2018年10月30日13時35分】 福島県伊達市保原町字宮下付近
この街、戦時中、江戸川乱歩が疎開していたのだそうで...
その記念碑に40周年という記載があった。
…… ……
さぁ、これでこの旅の目的は一通り全て達成。もちろん只見線が心残りだが、
それでも、約20年ぶりの福島県で一定の成果はあったわけで。
あとは福島駅に戻って、新宿ゆきの高速バスに乗るだけ。
まずは保原の駅へと急ぐのだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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江戸川乱歩が福島に疎開していた話・・・どこで読んだか?
検索しても、それらしいHPが見当たらない。なんだか気になります。
検索したら、蔵書が貨車2両分あったという逸話を発見しました。
by hanamura (2018-11-20 10:15)
hanamuraさん
コメントありがとうございます。返事が遅くなり申し訳ありません。改めて確認してみたところ、昭和20年になってから、東京都豊島区から疎開したとのことでした。
もしかしたら、それほど長い期間ではなかったのかも知れません。
「蔵書が貨車2両」、スゴいですね。
でも、その貨車がワムなのかトラなのか...、それが気になってしまうのが<変態鉄>です。
by ferrum_queserasera (2018-11-20 23:47)
救助網ですが、廃止時までフェンダーとともに装備されてましたね。
朝顔カプラーも1メーター位ある連結棒で繋げていて、普通の軽便のものとは違う雰囲気でした。
by Cedar (2018-11-21 14:00)
Cedarさん
コメントありがとうございます。
救助網は、確かに現役時代の写真でも確認できますね。
貨車併結も、長岡分岐の急カーブなど...
「連結器」というよりは、工場入場とかの際の連結棒に近い
印象ですね。
千鳥配置のロングシートなども含めて、非常に個性的で
興味深い電車でした。
福島交通軌道線に興味を持ったのも、Cedarさんのブログで
拝見したお写真による部分が大きいような気がします。
本当にありがとうございます。
by ferrum_queserasera (2018-11-21 21:16)