何もかもが新鮮だった、あの日。(26年前の“E電”たち) [アナログ写真保管庫]
いすみ鉄道の“出撃記”が一段落して。その中でも触れたが、いすみ鉄道も2月に
大規模なダイヤ改正が実施されるみたい。
(なぜか公式発表が無いまま、時刻表だけコッソリ公式サイトに掲載されて...)
わが地元、京王も話題の...
【2017年10月24日6時50分】 京王電鉄京王線・京王線新宿駅
それにしても愛称は「京王ライナー」、何ともヒネリの無い...、う~ん。
東武鉄道くらいの思いっきりの良さが欲しかったが...
特急「アーバンパークライナー」(リバティで運転)
くらいの周囲を驚かせる名称を考えよう、などという動きは無かったのだろうか。
ちなみに、新宿-府中、京王永山間無停車での運転なので、<変態鉄>にとっては
縁のない列車になりそう。夕ラッシュ時間帯の下りからスタートして、今後、
調子に乗って(?)、休日日中なども検討するとかしないとか。
いっそ、府中競馬正門前発の臨時急行を座席指定で運転してみれば...
と、思うのだが。
ちなみに、井の頭線も渋くダイヤが変わる。夜遅い仕事をしている自分には
こちらは関係しそうで。
…… ……
深夜帯に「吉祥寺発明大前ゆき」というのが新設されるのが新鮮で。
【2017年12月2日10時20分】 京王井の頭線・明大前駅
こちらがいよいよ定期ダイヤで毎日使用されることになる(のだと思う)。
ただ、リリースを見てみても、この列車の折返しのスジについては書かれておらず。
この渡り線を使って、富士見ヶ丘まで回送になりそうな気がするが...
暖かくなったら、深夜の明大前駅に“偵察”に行こうかと画策中。
さて、なぜこんなに冒頭の話を引っ張っているのか!?
それは...
何を隠そう...
ネタ切れ
である。
「撮影記」が無い時期でも“あぁ、あの話を書いてみよう...”と思うものが
1つや2つはあって、その中で記事が書けそうな位、資料が集まったものから
アップするのだが、金曜は何も思いつかず。
ということで、HDDを漁ってみた結果、1992年から93年にかけて。
ちょうど中学を卒業して高校生になる頃の自分の<鉄>活動の中から。
でも、中学生や高校生の<鉄>活動で最大の問題点は、予算不足。
東京近郊であっても、なかなか“予算不足”で出かけられず。
でも、今と違って、いったん出かけると「この目で初めて見るもの」だらけ。
カメラの腕は拙くても、撮っているときのドキドキ感は今とは比べものにならず。
酷い写真ばかりで恐縮だが、3つくらいご紹介したい。
以前、ご紹介したことのある写真が重複する部分もあるが...
(1)1992年夏の八王子駅
都心部で生まれ育った<変態ガキ鉄>にとって、特急列車よりも「見てみたかった」
列車がキハ。ディーゼル動車だった。
「キハ」と言っても35系だが、八王子駅に行けば、いつでも見ることができた。
【1992年7月頃】 中央本線・八王子駅
もちろん、そこまでの“足”は中央線快速、当然のように201系が。
まだスカートの取り付けも行われておらず、電照式特快マークも取り付け前。
写真の左隅には、ワムやタキの姿もあり、八高線で貨物列車が運転されていた
ことがわかる。
分割民営化から数年、いま思えば「国鉄時代」がまだ残っていたのである。
もちろん、<変態ガキ鉄>がそんなことに気づくはずも無く。
【1992年7月頃】 八高線・八王子駅
中央線ホームの端に立って、北西方向にカメラを向ければ、常に数両のキハたちが
留置されていた。
右側、作業員さんが乗り込もうとしているのが、八高線オリジナルのキハ38形。
久留里線を経て、1両が水島臨海鉄道に転じて健在である。
左はキハ35形、黄色に紺色のラインは「相模線色」。相模線電化で余剰となった
キハが八高線に転入してきた時期。タラコ色との“混色編成”が当たり前だった。
ステンレス電車が往復している現在とは隔世の感がある。
【1992年7月頃】 八高線・八王子駅
八高線は全線でキハ35系での運転だったが、意外と運転本数は多かったような。
両運転台のキハ30形、片運転台トイレ付きのキハ35形、相模線色とタラコ色、
全面強化改造車とオリジナル車。さらに白地に赤帯のキハ38形が混ざって。
バラエティに富んだ編成だった。
こんな身近に国鉄型キハが居たのに、乗ったことは一度しか無かったのが心残り。
(2)1993年早春の奥多摩駅
当時、東京近郊エリアを中心に「小さな旅」というリーフレットが置かれており、
ちょっとした企画乗車券が発売され。小遣いをやりくりすれば、何とか<ガキ鉄>
にも手が届く料金設定。青梅鉄道公園を訪れた後、“乗りつぶし”に奥多摩まで。
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅
思いっきりカーブしたホームは何となく覚えている。
よく見るとホームに降りさえもせず、車内から撮っている何ともけしからん
手抜き撮影。たぶん、駅名板を撮りたかったのだろうが、そのバックは...
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅
いまなら、多くの<鉄>が集結しそうなシーンが当たり前のように展開されていた。
石灰石輸送の貨物列車が健在、ロクヨン、電気機関車EF64 1000番台が長編成の
赤茶色のホッパー車を牽引して運転されていた。
でも、そんな貨車にはカメラを向けようともしないのが<変態ガキ鉄>の未熟さ。
そして、このとき、奥多摩駅まで往復に乗った電車が...
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅
オレンジ色の103系だった。当たり前すぎて、何も思わなかったのだが...
(3)1993年年末の成田駅
おカネのない<変態ガキ鉄>、休日に何度か「120円きっぷの旅」を実行に移した。
【1993年12月頃】 成田線・成田駅
この日も巡り巡って夕方の成田駅へ。「千葉県内 = スカ色の113系」というのは、
当時、空気の如く当たり前の存在だった。
しかも、総武快速・横須賀線とは違って、R付き窓の初期車が多く、JR化後に
簡易な工法で冷改された車両などもあって。当時、国鉄バージョンの駅名板も
まだまだ多くの駅に残されていた。写真に写り込んだ113系もR付き窓車である。
【1993年12月頃】 成田線・成田駅
現在の209系では行き先表示もLED化されたので、経由線名と行き先を交互表示に
しているが、113系当時、千葉オリジナルの路線毎の色分け方向幕。
例えば、千葉-銚子という運転系統の電車にも「総武本線経由」「成田線経由」、
千葉-安房鴨川というのも「内房線経由」「外房線経由」で区別せねばならず。
緑色の幕は成田線経由の意味だっただろうか?!
【1993年12月頃】 成田線・成田駅
向かいのホームに停車中の113系は「快速 エアポート成田」。この愛称も今度の
ダイヤ改正で無くなるそうだが...
グリーン車組込の15両編成は変わらないものの、113系のグリーン車は個性派揃い。
前後の電車と、あまりにも車体形状が違っているのは、国鉄末期に余剰になっていた
特急型電車を近郊型のグリーン車に転用したから。
そういえば、湘南色の東海道線113系のグリーン車も負けず劣らず個性派揃いだった。
当時はそんなデコボコ編成を「かっこ悪いなぁ~」と思いながら見送るだけ。
写真に撮ったのも、このときだけだった。自分の中では貴重な記録である。
そして乗ったのは...
【1993年12月頃】 成田線・成田駅
エメラルドグリーンの103系。成田線は不思議な線形をしており。
我孫子-成田の系統は常磐線の支線的な位置づけで。てっきり、113系の
クロスシートで...と期待していたら、103系でガッカリだった。
駅に停まる度に車内に吹き込む冷たい風、寒くて苦労したのだけは鮮明な記憶が。
それにしても、ブタ鼻ヘッドライト、低運転台の103系。
もっとちゃんと撮っておけば良かった...というのは四半世紀が経過した今だからこそ
思えることなのかも知れない。
「のりば Track No 6」という表示板も懐かしい。
当時、そんなことには全く気づいていなかったが、よく見ればホームには
水飲み場も残っている。蒸気機関車時代からの名残。まだ大きな手洗いが
ホーム上にある駅も多かったように、かすかに覚えている。
当時、気にも留めなかったような日常的な鉄道情景、こんな拙い写真であっても
見ていると、いろいろなことが思い出されてくるのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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大規模なダイヤ改正が実施されるみたい。
(なぜか公式発表が無いまま、時刻表だけコッソリ公式サイトに掲載されて...)
わが地元、京王も話題の...
【2017年10月24日6時50分】 京王電鉄京王線・京王線新宿駅
それにしても愛称は「京王ライナー」、何ともヒネリの無い...、う~ん。
東武鉄道くらいの思いっきりの良さが欲しかったが...
特急「アーバンパークライナー」(リバティで運転)
くらいの周囲を驚かせる名称を考えよう、などという動きは無かったのだろうか。
ちなみに、新宿-府中、京王永山間無停車での運転なので、<変態鉄>にとっては
縁のない列車になりそう。夕ラッシュ時間帯の下りからスタートして、今後、
調子に乗って(?)、休日日中なども検討するとかしないとか。
いっそ、府中競馬正門前発の臨時急行を座席指定で運転してみれば...
と、思うのだが。
ちなみに、井の頭線も渋くダイヤが変わる。夜遅い仕事をしている自分には
こちらは関係しそうで。
…… ……
深夜帯に「吉祥寺発明大前ゆき」というのが新設されるのが新鮮で。
【2017年12月2日10時20分】 京王井の頭線・明大前駅
こちらがいよいよ定期ダイヤで毎日使用されることになる(のだと思う)。
ただ、リリースを見てみても、この列車の折返しのスジについては書かれておらず。
この渡り線を使って、富士見ヶ丘まで回送になりそうな気がするが...
暖かくなったら、深夜の明大前駅に“偵察”に行こうかと画策中。
さて、なぜこんなに冒頭の話を引っ張っているのか!?
それは...
何を隠そう...
ネタ切れ
である。
「撮影記」が無い時期でも“あぁ、あの話を書いてみよう...”と思うものが
1つや2つはあって、その中で記事が書けそうな位、資料が集まったものから
アップするのだが、金曜は何も思いつかず。
ということで、HDDを漁ってみた結果、1992年から93年にかけて。
ちょうど中学を卒業して高校生になる頃の自分の<鉄>活動の中から。
でも、中学生や高校生の<鉄>活動で最大の問題点は、予算不足。
東京近郊であっても、なかなか“予算不足”で出かけられず。
でも、今と違って、いったん出かけると「この目で初めて見るもの」だらけ。
カメラの腕は拙くても、撮っているときのドキドキ感は今とは比べものにならず。
酷い写真ばかりで恐縮だが、3つくらいご紹介したい。
以前、ご紹介したことのある写真が重複する部分もあるが...
(1)1992年夏の八王子駅
都心部で生まれ育った<変態ガキ鉄>にとって、特急列車よりも「見てみたかった」
列車がキハ。ディーゼル動車だった。
「キハ」と言っても35系だが、八王子駅に行けば、いつでも見ることができた。
【1992年7月頃】 中央本線・八王子駅
もちろん、そこまでの“足”は中央線快速、当然のように201系が。
まだスカートの取り付けも行われておらず、電照式特快マークも取り付け前。
写真の左隅には、ワムやタキの姿もあり、八高線で貨物列車が運転されていた
ことがわかる。
分割民営化から数年、いま思えば「国鉄時代」がまだ残っていたのである。
もちろん、<変態ガキ鉄>がそんなことに気づくはずも無く。
【1992年7月頃】 八高線・八王子駅
中央線ホームの端に立って、北西方向にカメラを向ければ、常に数両のキハたちが
留置されていた。
右側、作業員さんが乗り込もうとしているのが、八高線オリジナルのキハ38形。
久留里線を経て、1両が水島臨海鉄道に転じて健在である。
左はキハ35形、黄色に紺色のラインは「相模線色」。相模線電化で余剰となった
キハが八高線に転入してきた時期。タラコ色との“混色編成”が当たり前だった。
ステンレス電車が往復している現在とは隔世の感がある。
【1992年7月頃】 八高線・八王子駅
八高線は全線でキハ35系での運転だったが、意外と運転本数は多かったような。
両運転台のキハ30形、片運転台トイレ付きのキハ35形、相模線色とタラコ色、
全面強化改造車とオリジナル車。さらに白地に赤帯のキハ38形が混ざって。
バラエティに富んだ編成だった。
こんな身近に国鉄型キハが居たのに、乗ったことは一度しか無かったのが心残り。
(2)1993年早春の奥多摩駅
当時、東京近郊エリアを中心に「小さな旅」というリーフレットが置かれており、
ちょっとした企画乗車券が発売され。小遣いをやりくりすれば、何とか<ガキ鉄>
にも手が届く料金設定。青梅鉄道公園を訪れた後、“乗りつぶし”に奥多摩まで。
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅
思いっきりカーブしたホームは何となく覚えている。
よく見るとホームに降りさえもせず、車内から撮っている何ともけしからん
手抜き撮影。たぶん、駅名板を撮りたかったのだろうが、そのバックは...
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅
いまなら、多くの<鉄>が集結しそうなシーンが当たり前のように展開されていた。
石灰石輸送の貨物列車が健在、ロクヨン、電気機関車EF64 1000番台が長編成の
赤茶色のホッパー車を牽引して運転されていた。
でも、そんな貨車にはカメラを向けようともしないのが<変態ガキ鉄>の未熟さ。
そして、このとき、奥多摩駅まで往復に乗った電車が...
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅
オレンジ色の103系だった。当たり前すぎて、何も思わなかったのだが...
(3)1993年年末の成田駅
おカネのない<変態ガキ鉄>、休日に何度か「120円きっぷの旅」を実行に移した。
【1993年12月頃】 成田線・成田駅
この日も巡り巡って夕方の成田駅へ。「千葉県内 = スカ色の113系」というのは、
当時、空気の如く当たり前の存在だった。
しかも、総武快速・横須賀線とは違って、R付き窓の初期車が多く、JR化後に
簡易な工法で冷改された車両などもあって。当時、国鉄バージョンの駅名板も
まだまだ多くの駅に残されていた。写真に写り込んだ113系もR付き窓車である。
【1993年12月頃】 成田線・成田駅
現在の209系では行き先表示もLED化されたので、経由線名と行き先を交互表示に
しているが、113系当時、千葉オリジナルの路線毎の色分け方向幕。
例えば、千葉-銚子という運転系統の電車にも「総武本線経由」「成田線経由」、
千葉-安房鴨川というのも「内房線経由」「外房線経由」で区別せねばならず。
緑色の幕は成田線経由の意味だっただろうか?!
【1993年12月頃】 成田線・成田駅
向かいのホームに停車中の113系は「快速 エアポート成田」。この愛称も今度の
ダイヤ改正で無くなるそうだが...
グリーン車組込の15両編成は変わらないものの、113系のグリーン車は個性派揃い。
前後の電車と、あまりにも車体形状が違っているのは、国鉄末期に余剰になっていた
特急型電車を近郊型のグリーン車に転用したから。
そういえば、湘南色の東海道線113系のグリーン車も負けず劣らず個性派揃いだった。
当時はそんなデコボコ編成を「かっこ悪いなぁ~」と思いながら見送るだけ。
写真に撮ったのも、このときだけだった。自分の中では貴重な記録である。
そして乗ったのは...
【1993年12月頃】 成田線・成田駅
エメラルドグリーンの103系。成田線は不思議な線形をしており。
我孫子-成田の系統は常磐線の支線的な位置づけで。てっきり、113系の
クロスシートで...と期待していたら、103系でガッカリだった。
駅に停まる度に車内に吹き込む冷たい風、寒くて苦労したのだけは鮮明な記憶が。
それにしても、ブタ鼻ヘッドライト、低運転台の103系。
もっとちゃんと撮っておけば良かった...というのは四半世紀が経過した今だからこそ
思えることなのかも知れない。
「のりば Track No 6」という表示板も懐かしい。
当時、そんなことには全く気づいていなかったが、よく見ればホームには
水飲み場も残っている。蒸気機関車時代からの名残。まだ大きな手洗いが
ホーム上にある駅も多かったように、かすかに覚えている。
当時、気にも留めなかったような日常的な鉄道情景、こんな拙い写真であっても
見ていると、いろいろなことが思い出されてくるのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
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東武も東上線はTJライナーでひねり無いですね(^^)
by ma2ma2 (2018-01-27 08:55)
103系も113系も、今となってはなつかしいですね。
2枚目の写真も東京山手急行の遺構でなつかしい、
ってその計画があった頃のことはまったく知りませんけれど。
by skekhtehuacso (2018-01-27 22:58)
ma2ma2さん
コメントありがとうございます。
そうですね。「東に上がる」で “East Up ライナー” くらいの
謎な命名にして欲しかったのですが...
意外と、守りの命名で。西武新宿・拝島線でも「拝島ライナー」が
登場する予定だそうです。
by あるまーき (2018-01-27 23:57)
skekhtehuacso さん
コメントありがとうございます。
「東京山手急行」とは、何とも懐かしい(というか自分は名前くらいしか知らないのですが...)、確かに明大前駅付近の堀割区間は、そういう遺構だと言われていますね。「たら・れば」にはなりますが、この環状鉄道の構想が実現していたら...、そう想像(妄想??)するだけでも楽しいです。
毎日、利用する身としては、あの明大前駅の混雑をどうにかして欲しいと切に願っております。
by あるまーき (2018-01-28 00:04)