SSブログ

2004年早春の山陰本線 <前編> [アナログ写真保管庫]

本当は、1月13日の、いすみ鉄道撮影記...というか、キハ52単行のリベンジの記録を
アップしようと思っていたのだが...。

そう、それは13日、自宅に戻ってからだった。
いつも帰りの高速バスの車内でEOSくんに挿したCFカードの画像データを再生しながら
試し撮りとか失敗カットのコマを削除し、PCへと取り込むデータを整理する。
そのときは、ちゃんとあったのである。

でも...

自宅でPCに挿した瞬間、CFカード内のデータが忽然と消えたのである。
これが二度目。前回(→ こちら)、お世話になった
福岡市内の業者に復元を依頼し、すでにCFを発送。その“帰り”を待っている段階である。
前回ほどでは無くても、諭吉さんの“大口団体”が飛び去ってしまって。
う~ん、日帰りで大阪あたりまで往復できそうな...

それはさておき。昨日の記事でキハ120形について書くためにネガを探していて。
自分の趣味活動の1つの“転換点”を迎えようとしている...そんな時期の撮影分が
見つかったので、ちょっと今日はそれをご紹介。

11_IMG_20180119_0035.jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

2004年2月24日の朝、<変態鉄>は下関市内のホテルを早朝、タクシーで出発。
向かったのは...
……  ……

2004年2月24日(火)晴れ

いまもあるのだろうか、全国のJR線の普通列車について、どの形式の何両編成で
走っているのか、を一覧できるようにしただけの書籍があった。
毎年、ダイヤ改正の度に新しいものが出版されるのだが...

例えば、「861D 40①58②」というのは、そのときのデータの1つ。
これは山陰本線のページにあった。第861D列車というのが、
キハ40形+キハ58・キハ28という3両編成で走っているという意味である。

0Y6C9970.JPG
【2012年6月3日14時38分】 広島県安芸太田町・旧加計駅構内

そう、この「58②」こそ、<変態鉄>が大好きなゴハチニハチである。
菜の花色の「広島ローカル色」だろうか。

いくら国鉄型が多く残っていた西日本といえど、すでに、ゴハチニハチは風前の灯火。
だから比較的運転本数の多い、山陰本線下関口を往復しながら、録って撮って...
そう考えたのだった。

だが、世の中それほど甘くなかった。

せっかく調べて、早朝、まだ真っ暗。5時の下関駅でキハの入線を待っていたら...
目の前に現れたのは、キハ47形の2連。

「話が違うっ!!」
と、憤っても仕方ない。車掌さんに聞いてみたら、
「あぁ、前はそうだったけど...、最近は使ってないね~」
やっぱり。ちょっとショックだったが、キハ47形で車内録音を敢行した後、小串から
折返し、やって来たのは、梅ヶ峠(うめがとう)駅だった。

無人駅、冬の朝7時前。まだ周囲は暗くて写真が撮れる状況にも無く。
駅のベンチで時間を潰したのだが、そのとき、あまりにも寒かったのを覚えている。
隣の黒井村駅に向かって歩いて行く途中に撮影地があるとのことで...

12_IMG_20180119_0023.jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

「そろそろ、明るくなってきたかなぁ...」
日中は1両ワンマンも珍しくない山陰本線の普通列車、それでも朝の通勤通学時間帯には
長編成も来る訳で...

キハ47形広島色の4両編成。2両目と4両目は連結面の屋根上に大きなタンクが見える。
つまり、この2両がトイレ付きの0番台車だろうか、1両目と3両目はトイレ無しの
1000番台車だったと思われる。

ただ、両端の2両と中間の2両では見た目がだいぶ異なる。これは当時、JR西日本管内の
キハ40系に進行中だった延命工事。窓枠の交換、戸袋窓の廃止、屋根上の通風器
(ベンチレータ)の撤去などが外観で目立つところ。この窓枠が嫌いでJR西のキハ40系は
あまり撮らないことにしている。

13_IMG_20180119_0024.jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

当時の<変態鉄>、車内録音が趣味活動の中心で写真は乗った列車をホームで
スナップする程度だった。三脚は持ってはいたが、クローゼットの肥やし状態。
この日も手持ちでテキトーに撮っていたような...

と、どうせいつものことで、撮影メモもろくに残しておらず。
やってくるのは、キハ40系列ばかりで...。

後は写真の羅列、順不同でご紹介したい。

「同じじゃねぇーかっ!!」ということなかれ。続けて広島色の3両編成。

14_IMG_20180119_0002.jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

キハ40系というのは、<変態鉄>が生まれた頃、昭和50年台の前半に、当時すでに
経年劣化が著しかった10系・20系ディーゼル動車の置換えのために投入された
ディーゼル動車のこと。合計888両が北海道から鹿児島まで全国に投入された。

さきほどのキハ47形は両開きドアを車体中央に寄せた「気動車らしい」外観。
同じ塗色でも、こちらは、両運転台のキハ40形を先頭に後ろ2両は“レア・キャラ”。
寒冷地中心の配置で、西日本地区にはほとんど配属されなかったキハ48形。
片運転台で車端部にドアを寄せた配置が特徴。このあと、七尾線の観光特急の
改造タネ車になったのだったか!? (← 相変わらず、テキトー)

15_IMG_20180119_0002 (2).jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

「これぞ、国鉄型キハ!!」と言いたくなるような統一感のない3両編成。
本来、“固定編成”という概念は無く、1両単位で運用できるのがディーゼル動車の
メリット。(そのために、ほぼ全車に運転台がついている)

前から順に「キハ40広島色」「キハ47岡山色(延命工事未了)」「キハ47広島色」
という組成である。JR西はこの頃まで、支社毎にディーゼル動車の塗色を変えていた。
しかも、正直、一貫性も無く。定期検査で工場に入場する車両から徐々に塗り変わるが
それが一巡りする前に「新色」が登場することなどもあって。

しかも、増発や減便、新車の投入などでの支社間の車両の転属も頻繁で。
いつ、どこへ行っても混色編成が見られたのだった。

16_IMG_20180119_0004.jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

岡山色+広島色の2両編成もやって来た。こちらは、キハ47形どうし。
それにしても、2004年の前後に、岡山でディーゼル動車に余剰ができる理由というのが
あまり見つからないのだが...。当時、キハ40系より経年の深いキハ58系なども
ローカル用として残存していた支社もあり、なぜ、広島支社管内に岡山色が
まとまった数いたのか、その理由は分からない。

17_IMG_20180119_0006.jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

そうこうしているうちに、先ほどの“レアキャラ”、キハ48形編成が戻ってきた
みたい。(こんどはキハ48形が先頭)

当時から“レアキャラ”だったはずの48形、いまなら大喜びしそうなところだが、
この日の<変態鉄>、期待していたニハチゴハチに会えないと分かったからだろうか、
テンションも下がっていたようで。全く記憶に無い。

18_IMG_20180119_0028.jpg
【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

さて、さきほどのインカーブの地点に飽きたのだろうか、少しだけ足場を変えたみたい。
それにしても、あと1歩、右に寄って(線路から離れて)カメラを構えれば、
左隅の電話機の箱が目立たなかった気がするのだが...

いま以上にテキトーに撮っていたことがよく分かるカットである。

それにしても、お目当てのキハ58系に“会えない”と分かったのに、寒い中、
この撮影地でずっと待ち続けたのは... (つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

nice!(26)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 26

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。