2006年夏、尾張の朝(1)スタートは尾張一宮 [アナログ写真保管庫]
今日は大変な日々が終わった、自分にとってちょっと大きな1日だった。
と言っても松居さんと船越さん...ではない。あくまで仕事が一段落。自分の中では
驚異の頑張りだったのである。月曜の時点では影も形も無かったものを...
金曜の晩、発注の準備を終えて...、普段以上に大変な日々だったが、これで漸く。
2017年、自分の業務も大きな節目を迎えた金曜日だったのである。
【2006年8月4日】 名鉄名古屋本線・妙興寺-島氏永
ということで(?)、今日は「節目」繋がり。
自分にとって“人生の節目”になった2006年夏、いろいろあって28歳で新社会人に
なった<変態鉄>、入社日が8月16日と決まり、フリーター生活にピリオド。
それを前に夏休み前半はまるまる空けていた訳で...
新しい生活が始まることへの不安ばかりが強かったが、それから逃れるかのように
岐阜 → 糸魚川!! → 富山 → 高岡...と。<変態鉄>にとってなじみ深い土地を
巡ったのだった。それから丸1年、2007年夏のボーナスで初代EOS 5Dを購入。
<変態鉄>にとって、このときの出撃はフィルムカメラでの<撮り鉄>最末期の
撮影である。それにしても基本的な技術が全然身についていない酷い写真。
でも、ちょっと懐かしい列車も居て...
さぁ、11年前の尾張で撮った鉄道写真を一挙、ご紹介。
…… ……
2006年8月4日(金)晴れ
あの深紅の路面電車が廃止となって、寂しくなった岐阜の街を後に、
まず、やって来たのは尾張一宮駅。
以前から度々書いているように、1991年、父の単身赴任の関係で岐阜の街に行って。
そこから本格的な<鉄>活動が始まった訳だが、岐阜に行くなら新幹線は名古屋乗換。
岐阜羽島駅は選択肢にすら上がらない...のを知ったのもそのとき。
【1992年3月23日】 東海道本線・名古屋駅
「ひかり」号を名古屋駅で降りて、東海道本線のホームへ。
当時は30分のサイクルダイヤ。113系の普通電車は岐阜の2つ手前、尾張一宮駅で
117系快速か311系新快速電車を待避するダイヤになっていた。
固いボックスシートより、転換クロスシート。
オレンジ色の帯を巻いた快速電車で20分ほどだった。
でも...
名鉄岐阜市内線以外、ほとんど写真に撮ることは無く...
ちょうど、高架に切り替えられた直後の尾張一宮駅と高架化工事が始まろうとしていた
地平ホームの岐阜駅...、それを撮ろうとすら思わなかった。
あのとき、撮ることができなかったオレンジ色の快速電車から...
ということで、朝ラッシュの尾張一宮駅で駅撮り開始。
ただ、11年前の不鮮明な記憶。当時、ブログなど考えようはずも無く。
メモも何も残しておらず。テキトーに写真の羅列で。どの列車をどう撮ったのかも
まったく記録が無いので、列車の順番も順不同と言うことで。
まずは...
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
当時、増備が進みつつあった313系4連の新快速電車。
俊足は健在だったが、いつの間にかダイヤのパターンは変わっており、
快速と普通の緩急接続は岐阜駅に変更になっていて。
そして、すでに117系は限定運用のような感じになっていた気がする。
その走っている姿を見かけることもなくなり...、1991年当時、117系の独壇場だった
米原-浜松間の快速電車も313系が主流になりつつあって。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
目を凝らせば、遠~~くに117系らしい電車が写っているが、ネガには1コマも。
「上り電車を撮る」と決めたら、下りに何が来ようとシャッターを切らない...
そんな<変態鉄>だったみたい。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
思いっきり、被られてしまったのが311系。
分割民営化直後、カード式車内公衆電話、LED車内案内装置...当時としては最高級の
快速電車として豊橋-名古屋-大垣間を走っていた311系も、岐阜発着のローカルが
中心の運用になっており。世代交代が進んでいることに、時間の経過を感じた
<変態鉄>だったのである。
ちなみに、被っているのは683系「しらさぎ」号である。北陸本線経由富山ゆきという
列車が無くなる日が来るとは、考えることができなかった当時である。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
意外と長時間、粘っていたのだろうか、被られていない311系の写真も残っていた。
先ほどのコマよりも、車体側面に光が回っているような...
貨物列車に疎いのは、いまも昔も<変態鉄>の変わらぬところで。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
すでに新型に押されて、多くの<鉄>の皆さんが頑張って追いかけているEF66型も、
当時は「よく見る機関車」だった。分割民営化後に国鉄の形式を引き継いで
機関車を増備したJR貨物に、ちょっと驚いていた<変態ガキ鉄>だったっけ?!
1991年頃も岐阜駅のホームには昼夜を問わず、長編成の貨物列車が走っていて。
トラックをそのまま貨車に積み込む“ピギーバック”方式というのが多かった時期。
でも、そんなシーンも撮ることは無かった。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
あまり待たなくても、貨物列車も旅客列車に引けをとらず、どんどんやってくる。
EF66 100番台が、113 114と連番で撮れていたみたい。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
それだけでは無い。
いま、こんなのが走れば、沿線には<鉄>が集結して大騒ぎになるのでは!?
美濃赤坂からの石灰石輸送だろうか、国鉄特急色のEF65 1001号機、
トップナンバー機がホキ車を連ねて。
そんな、東海道本線の朝を満喫した後、<変態鉄>が向かったのは...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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と言っても松居さんと船越さん...ではない。あくまで仕事が一段落。自分の中では
驚異の頑張りだったのである。月曜の時点では影も形も無かったものを...
金曜の晩、発注の準備を終えて...、普段以上に大変な日々だったが、これで漸く。
2017年、自分の業務も大きな節目を迎えた金曜日だったのである。
【2006年8月4日】 名鉄名古屋本線・妙興寺-島氏永
ということで(?)、今日は「節目」繋がり。
自分にとって“人生の節目”になった2006年夏、いろいろあって28歳で新社会人に
なった<変態鉄>、入社日が8月16日と決まり、フリーター生活にピリオド。
それを前に夏休み前半はまるまる空けていた訳で...
新しい生活が始まることへの不安ばかりが強かったが、それから逃れるかのように
岐阜 → 糸魚川!! → 富山 → 高岡...と。<変態鉄>にとってなじみ深い土地を
巡ったのだった。それから丸1年、2007年夏のボーナスで初代EOS 5Dを購入。
<変態鉄>にとって、このときの出撃はフィルムカメラでの<撮り鉄>最末期の
撮影である。それにしても基本的な技術が全然身についていない酷い写真。
でも、ちょっと懐かしい列車も居て...
さぁ、11年前の尾張で撮った鉄道写真を一挙、ご紹介。
…… ……
2006年8月4日(金)晴れ
あの深紅の路面電車が廃止となって、寂しくなった岐阜の街を後に、
まず、やって来たのは尾張一宮駅。
以前から度々書いているように、1991年、父の単身赴任の関係で岐阜の街に行って。
そこから本格的な<鉄>活動が始まった訳だが、岐阜に行くなら新幹線は名古屋乗換。
岐阜羽島駅は選択肢にすら上がらない...のを知ったのもそのとき。
【1992年3月23日】 東海道本線・名古屋駅
「ひかり」号を名古屋駅で降りて、東海道本線のホームへ。
当時は30分のサイクルダイヤ。113系の普通電車は岐阜の2つ手前、尾張一宮駅で
117系快速か311系新快速電車を待避するダイヤになっていた。
固いボックスシートより、転換クロスシート。
オレンジ色の帯を巻いた快速電車で20分ほどだった。
でも...
名鉄岐阜市内線以外、ほとんど写真に撮ることは無く...
ちょうど、高架に切り替えられた直後の尾張一宮駅と高架化工事が始まろうとしていた
地平ホームの岐阜駅...、それを撮ろうとすら思わなかった。
あのとき、撮ることができなかったオレンジ色の快速電車から...
ということで、朝ラッシュの尾張一宮駅で駅撮り開始。
ただ、11年前の不鮮明な記憶。当時、ブログなど考えようはずも無く。
メモも何も残しておらず。テキトーに写真の羅列で。どの列車をどう撮ったのかも
まったく記録が無いので、列車の順番も順不同と言うことで。
まずは...
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
当時、増備が進みつつあった313系4連の新快速電車。
俊足は健在だったが、いつの間にかダイヤのパターンは変わっており、
快速と普通の緩急接続は岐阜駅に変更になっていて。
そして、すでに117系は限定運用のような感じになっていた気がする。
その走っている姿を見かけることもなくなり...、1991年当時、117系の独壇場だった
米原-浜松間の快速電車も313系が主流になりつつあって。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
目を凝らせば、遠~~くに117系らしい電車が写っているが、ネガには1コマも。
「上り電車を撮る」と決めたら、下りに何が来ようとシャッターを切らない...
そんな<変態鉄>だったみたい。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
思いっきり、被られてしまったのが311系。
分割民営化直後、カード式車内公衆電話、LED車内案内装置...当時としては最高級の
快速電車として豊橋-名古屋-大垣間を走っていた311系も、岐阜発着のローカルが
中心の運用になっており。世代交代が進んでいることに、時間の経過を感じた
<変態鉄>だったのである。
ちなみに、被っているのは683系「しらさぎ」号である。北陸本線経由富山ゆきという
列車が無くなる日が来るとは、考えることができなかった当時である。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
意外と長時間、粘っていたのだろうか、被られていない311系の写真も残っていた。
先ほどのコマよりも、車体側面に光が回っているような...
貨物列車に疎いのは、いまも昔も<変態鉄>の変わらぬところで。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
すでに新型に押されて、多くの<鉄>の皆さんが頑張って追いかけているEF66型も、
当時は「よく見る機関車」だった。分割民営化後に国鉄の形式を引き継いで
機関車を増備したJR貨物に、ちょっと驚いていた<変態ガキ鉄>だったっけ?!
1991年頃も岐阜駅のホームには昼夜を問わず、長編成の貨物列車が走っていて。
トラックをそのまま貨車に積み込む“ピギーバック”方式というのが多かった時期。
でも、そんなシーンも撮ることは無かった。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
あまり待たなくても、貨物列車も旅客列車に引けをとらず、どんどんやってくる。
EF66 100番台が、113 114と連番で撮れていたみたい。
【2006年8月4日】 東海道本線・尾張一宮駅
それだけでは無い。
いま、こんなのが走れば、沿線には<鉄>が集結して大騒ぎになるのでは!?
美濃赤坂からの石灰石輸送だろうか、国鉄特急色のEF65 1001号機、
トップナンバー機がホキ車を連ねて。
そんな、東海道本線の朝を満喫した後、<変態鉄>が向かったのは...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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