62.大混乱の最終列車 [飛越ゴハチを追った日々]
つい先日、8日なのだが<速報版>は書かなかったものの、午前中、某所に
“出撃”していたのだった。
駅前を歩いていて「危ないっ!!」と思ったものの、カラダは言うことを聞かず、
気づいたときにはアスファルトの道路上に横倒しになっていた<変態鉄>。
背負うタイプ、リュックサックタイプのカメラバッグに切り替えたのが幸いして
EOSくんは無事だったのだが...
その倒れる瞬間、何か小さなものが“ピューッ”と飛び出すのが見えたような...
あとで点検してみると三脚が...
2段目のロックが折損してなくなっていた。こうなると、三脚として用をなさない。
ロックが効かないので三脚を上向きにしておかないと脚が飛び出して...
ちなみに、この朝、撮影地に向かう電車はダイヤが乱れ、
撮りたかったものは撮れず、その帰り、駅に戻ってきたところでコレである。
<変態鉄>が38歳児として迎えた最後の朝は、まさに踏んだり蹴ったり。
だから、その後、新宿に直行してヨドバシで修理依頼。
でも、三脚自体、修理期間が長くなるらしく、3月中には終わらない可能性が
高いそうで...、う~ん。三脚を買い換えるとなると。嗚呼。
【2011年3月11日20時45分】 高山本線・富山駅
さて、3話に渡ったこの話題。“飛越ゴハチ”最後の1往復は“夜運用”。
富山駅を19時過ぎに出発、折返し20時半に越中八尾から帰ってくる第893D列車が
正真正銘の“最後の飛越ゴハチ”、それに合わせてお別れイベントも開催
されると告知されていたのだが...
…… ……
2011年3月11日(金)曇り一時雪
“飛越ゴハチ”の定宿としていたのは駅北のホテル。14時にチェックイン、
寝付けなかった夜行バスと朝からの撮影、その疲れでベッドでウトウトしていた。
尋常では無い大きな揺れ...
【2016年7月30日10時44分】 富山ライトレール線・富山駅北-インテック前
枕元の内線電話が鳴る。フロントから、宿泊者の無事を確認するための連絡。
そんなことを経験するのも初めてだった。
15時過ぎ、慌てて飛び出したのは運行情報の確認のため。
この時点では<鉄>として、“最後の飛越ゴハチ”の運転に影響が出ないか
どうかが関心事だった。
【2015年2月25日11時01分】 北陸本線・富山駅
やはり、富山駅は混乱していた。もちろん、運転見合わせ、このあと、
「サンダーバード」も「はくたか」も到着・出発が大幅に遅れそうな...
というより、津波警報・注意報の発令に伴って、いつまで運転見合わせに
なるのかもわからない状況で。
とりあえず、まもなく高山本線の列車の運転は再開された。
でも、富山駅構内にはすでに“夜運用”の飛越ゴハチ目当ての<鉄>が並び
始めていて。列から動かないように言われて、薄手の上着、コンデジだけの
“軽装”できてしまった<変態鉄>には辛かったが...。
この日、最後のゴハチニハチの“出発式”が行われることが告知されていた。
【2010年9月2日6時24分】 高山本線・越中八尾駅(車内より撮影)
そのメインは、やはり、越中八尾といえば「おわら風の盆」、
富山駅のホームで、“見送りおわら”というか、おわら踊りが披露される
ことになっていた。ちなみに、風の盆期間(特に最終の9月3日)の晩、
夜通し踊りを見学した見学者のために、4日朝の始発列車発車に合わせて
越中八尾駅ホームでおわら踊りが披露される。それが通称・見送りおわら。
<変態鉄>は、ゴハチの車内からそれを見たことがあった。
16時頃、JR職員の手でいったんマイクが準備され、ホーム上にステージが
設置され...、でも、「やっぱり!!」
まもなく、お別れイベントは中止されることが発表された。
でも、ゴハチニハチは予定通りの運行。
寒さに震えながら待つこと3時間、いよいよそのときがやって来た。
【2011年3月11日18時53分】 高山本線・富山駅
2両編成のキハ、一般の乗客と<鉄>は別々に誘導されて乗車。
もちろん車内は超満員だった。<変態鉄>はゴハチのロングシートを確保。
【2011年3月11日18時53分】 高山本線・富山駅
富山駅発車は19:11、すでに周囲は真っ暗、車窓は流れていく家々の明かりが
見えるだけ。西富山、婦中鵜坂、速星、千里...、乗ってしまえばあっという間。
車内は大半が<鉄>、途中で下車する人も少なく。超満員のまま越中八尾。
【2011年3月11日19時57分】 高山本線・越中八尾駅
もちろん、越中八尾駅も大混乱。ホームには無数の脚立と三脚...
いつの間にか雪が降ってきていた。
【2011年3月11日19時58分】 高山本線・越中八尾駅
キハ28・58形の最後の越中八尾駅。ほとんど乗客の顔ぶれは変わらず、
また、最終列車目当てに合流したファンも含めて、なお一層の混雑で
最後の、第893D列車は富山駅に向けて発車した。
【2011年3月11日20時01分】 高山本線・キハ58 477車内
それにしても、ネットって便利。ちょっと検索したらこんな動画を発見。
最後の停車駅、西富山駅から富山駅到着までの車窓が動画サイトに上がっていた。
車内放送も明瞭に聞き取れて...
https://youtu.be/7hbWqmCppj4
「キハ ニハチゴハチ形はこれが最終運転となりました」
呉羽山の近く、右へカーブし北陸本線と合流する手前で“アルプスの牧場”の
オルゴールが演奏されて最後の車内放送。普段はワンマン運転だったので、
車掌さんによる放送だけでも珍しいのだが、簡潔ではあっても最終運転の
挨拶まで...、あの日の、あのときのことを懐かしく思いだしたのだった。
富山駅のホームはいたるところに規制のための黄色いテープが貼られ、
多くの職員が警戒にあたる“厳戒態勢”。
もちろん、多数の撮影者が殺到しており、パニック状態。
【2011年3月11日20時43分】 高山本線・富山駅
あまり撮る気にもならず、喧噪を横目にさっさと富山駅を後にしたのだった。
富山運転センターに引き上げる回送まで撮影時間は十分にあったはずだが、
撮る気がしなかったのは、手元にコンデジしかなかったから...だけでは、
決してない。
【2011年3月11日20時45分】 高山本線・富山駅
駅近くで夕食をとってさっさとホテルに引き上げたのだった。
…… ……
幸い、羽田空港の滑走路は12日には通常通りの離着陸ができる状態。
落ち着かない中、朝の空港バスで富山空港、到着した羽田空港はターミナル
ビルの照明が一部消灯されて...
京急線でどうにか品川までは到着できたのに、山手線は運転の目途が立たず。
大混乱の東京に戻ってからは...
仕事の対応も大変だったし、それよりも生活が。
コンビニからはパンもおにぎりも消えて、幸い、自分の住んでいるエリアは
大丈夫だったが「計画停電」、電車の運転本数も削られて会社に行くのも...
毎日のようにTVからは「緊急地震速報」を知らせるあのアラーム音が...
もう、趣味活動どころでは無い、そんな日々が続くのだった。
…… ……
2008年3月、この日も時折、吹雪になって、この最終日と同じような天気。
【2008年3月4日8時35分】 高山本線・千里-速星
千里のカーブで撮ったのが、<変態鉄>にとっての“飛越ゴハチ”との出会い。
ちなみに、この編成は最終日と同じ、キハ58 477+キハ28 2360編成。
この数ヶ月後に国鉄急行色に変更されることになる。
それ以来、50回以上、富山でカメラを構えた。
それが、この日で終わってしまったわけで...
でも、その翌月には...
【2011年4月8日9時36分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜駅構内
「まさか!!」だった。前夜、慌てて、「大多喜町」というのがどこなのか調べ
京成高速バスで駆けつけたのだった。
まさか、大糸線を走ったキハ52 125と再会できるとは...
でも、その“まさか”は続いたのである。
飛越ゴハチの一員、でも、一番目立たない存在だったキハ28 2346号車、
松任(石川県)での保管の後、必要な検査を施工、整備の上、大多喜入り。
【2013年5月3日8時39分】 いすみ鉄道・新田野-上総東
2013年の春から、再び走り出したのだった(→ こちら)。
その車内は...
【2012年10月14日10時14分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜駅
座席は「レストラン・キハ」としてテーブルが設置されているが、
でも、細部にはこういうものも、そのまま残されていて。
いまも、毎週、飛越ゴハチは房総を走り続けているのである。
まもなく菜の花シーズン、近々、大多喜に行きたいと思っている。(おわり)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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駅前を歩いていて「危ないっ!!」と思ったものの、カラダは言うことを聞かず、
気づいたときにはアスファルトの道路上に横倒しになっていた<変態鉄>。
背負うタイプ、リュックサックタイプのカメラバッグに切り替えたのが幸いして
EOSくんは無事だったのだが...
その倒れる瞬間、何か小さなものが“ピューッ”と飛び出すのが見えたような...
あとで点検してみると三脚が...
2段目のロックが折損してなくなっていた。こうなると、三脚として用をなさない。
ロックが効かないので三脚を上向きにしておかないと脚が飛び出して...
ちなみに、この朝、撮影地に向かう電車はダイヤが乱れ、
撮りたかったものは撮れず、その帰り、駅に戻ってきたところでコレである。
<変態鉄>が38歳児として迎えた最後の朝は、まさに踏んだり蹴ったり。
だから、その後、新宿に直行してヨドバシで修理依頼。
でも、三脚自体、修理期間が長くなるらしく、3月中には終わらない可能性が
高いそうで...、う~ん。三脚を買い換えるとなると。嗚呼。
【2011年3月11日20時45分】 高山本線・富山駅
さて、3話に渡ったこの話題。“飛越ゴハチ”最後の1往復は“夜運用”。
富山駅を19時過ぎに出発、折返し20時半に越中八尾から帰ってくる第893D列車が
正真正銘の“最後の飛越ゴハチ”、それに合わせてお別れイベントも開催
されると告知されていたのだが...
…… ……
2011年3月11日(金)曇り一時雪
“飛越ゴハチ”の定宿としていたのは駅北のホテル。14時にチェックイン、
寝付けなかった夜行バスと朝からの撮影、その疲れでベッドでウトウトしていた。
尋常では無い大きな揺れ...
【2016年7月30日10時44分】 富山ライトレール線・富山駅北-インテック前
枕元の内線電話が鳴る。フロントから、宿泊者の無事を確認するための連絡。
そんなことを経験するのも初めてだった。
15時過ぎ、慌てて飛び出したのは運行情報の確認のため。
この時点では<鉄>として、“最後の飛越ゴハチ”の運転に影響が出ないか
どうかが関心事だった。
【2015年2月25日11時01分】 北陸本線・富山駅
やはり、富山駅は混乱していた。もちろん、運転見合わせ、このあと、
「サンダーバード」も「はくたか」も到着・出発が大幅に遅れそうな...
というより、津波警報・注意報の発令に伴って、いつまで運転見合わせに
なるのかもわからない状況で。
とりあえず、まもなく高山本線の列車の運転は再開された。
でも、富山駅構内にはすでに“夜運用”の飛越ゴハチ目当ての<鉄>が並び
始めていて。列から動かないように言われて、薄手の上着、コンデジだけの
“軽装”できてしまった<変態鉄>には辛かったが...。
この日、最後のゴハチニハチの“出発式”が行われることが告知されていた。
【2010年9月2日6時24分】 高山本線・越中八尾駅(車内より撮影)
そのメインは、やはり、越中八尾といえば「おわら風の盆」、
富山駅のホームで、“見送りおわら”というか、おわら踊りが披露される
ことになっていた。ちなみに、風の盆期間(特に最終の9月3日)の晩、
夜通し踊りを見学した見学者のために、4日朝の始発列車発車に合わせて
越中八尾駅ホームでおわら踊りが披露される。それが通称・見送りおわら。
<変態鉄>は、ゴハチの車内からそれを見たことがあった。
16時頃、JR職員の手でいったんマイクが準備され、ホーム上にステージが
設置され...、でも、「やっぱり!!」
まもなく、お別れイベントは中止されることが発表された。
でも、ゴハチニハチは予定通りの運行。
寒さに震えながら待つこと3時間、いよいよそのときがやって来た。
【2011年3月11日18時53分】 高山本線・富山駅
2両編成のキハ、一般の乗客と<鉄>は別々に誘導されて乗車。
もちろん車内は超満員だった。<変態鉄>はゴハチのロングシートを確保。
【2011年3月11日18時53分】 高山本線・富山駅
富山駅発車は19:11、すでに周囲は真っ暗、車窓は流れていく家々の明かりが
見えるだけ。西富山、婦中鵜坂、速星、千里...、乗ってしまえばあっという間。
車内は大半が<鉄>、途中で下車する人も少なく。超満員のまま越中八尾。
【2011年3月11日19時57分】 高山本線・越中八尾駅
もちろん、越中八尾駅も大混乱。ホームには無数の脚立と三脚...
いつの間にか雪が降ってきていた。
【2011年3月11日19時58分】 高山本線・越中八尾駅
キハ28・58形の最後の越中八尾駅。ほとんど乗客の顔ぶれは変わらず、
また、最終列車目当てに合流したファンも含めて、なお一層の混雑で
最後の、第893D列車は富山駅に向けて発車した。
【2011年3月11日20時01分】 高山本線・キハ58 477車内
それにしても、ネットって便利。ちょっと検索したらこんな動画を発見。
最後の停車駅、西富山駅から富山駅到着までの車窓が動画サイトに上がっていた。
車内放送も明瞭に聞き取れて...
https://youtu.be/7hbWqmCppj4
「キハ ニハチゴハチ形はこれが最終運転となりました」
呉羽山の近く、右へカーブし北陸本線と合流する手前で“アルプスの牧場”の
オルゴールが演奏されて最後の車内放送。普段はワンマン運転だったので、
車掌さんによる放送だけでも珍しいのだが、簡潔ではあっても最終運転の
挨拶まで...、あの日の、あのときのことを懐かしく思いだしたのだった。
富山駅のホームはいたるところに規制のための黄色いテープが貼られ、
多くの職員が警戒にあたる“厳戒態勢”。
もちろん、多数の撮影者が殺到しており、パニック状態。
【2011年3月11日20時43分】 高山本線・富山駅
あまり撮る気にもならず、喧噪を横目にさっさと富山駅を後にしたのだった。
富山運転センターに引き上げる回送まで撮影時間は十分にあったはずだが、
撮る気がしなかったのは、手元にコンデジしかなかったから...だけでは、
決してない。
【2011年3月11日20時45分】 高山本線・富山駅
駅近くで夕食をとってさっさとホテルに引き上げたのだった。
…… ……
幸い、羽田空港の滑走路は12日には通常通りの離着陸ができる状態。
落ち着かない中、朝の空港バスで富山空港、到着した羽田空港はターミナル
ビルの照明が一部消灯されて...
京急線でどうにか品川までは到着できたのに、山手線は運転の目途が立たず。
大混乱の東京に戻ってからは...
仕事の対応も大変だったし、それよりも生活が。
コンビニからはパンもおにぎりも消えて、幸い、自分の住んでいるエリアは
大丈夫だったが「計画停電」、電車の運転本数も削られて会社に行くのも...
毎日のようにTVからは「緊急地震速報」を知らせるあのアラーム音が...
もう、趣味活動どころでは無い、そんな日々が続くのだった。
…… ……
2008年3月、この日も時折、吹雪になって、この最終日と同じような天気。
【2008年3月4日8時35分】 高山本線・千里-速星
千里のカーブで撮ったのが、<変態鉄>にとっての“飛越ゴハチ”との出会い。
ちなみに、この編成は最終日と同じ、キハ58 477+キハ28 2360編成。
この数ヶ月後に国鉄急行色に変更されることになる。
それ以来、50回以上、富山でカメラを構えた。
それが、この日で終わってしまったわけで...
でも、その翌月には...
【2011年4月8日9時36分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜駅構内
「まさか!!」だった。前夜、慌てて、「大多喜町」というのがどこなのか調べ
京成高速バスで駆けつけたのだった。
まさか、大糸線を走ったキハ52 125と再会できるとは...
でも、その“まさか”は続いたのである。
飛越ゴハチの一員、でも、一番目立たない存在だったキハ28 2346号車、
松任(石川県)での保管の後、必要な検査を施工、整備の上、大多喜入り。
【2013年5月3日8時39分】 いすみ鉄道・新田野-上総東
2013年の春から、再び走り出したのだった(→ こちら)。
その車内は...
【2012年10月14日10時14分】 いすみ鉄道・デンタルサポート大多喜駅
座席は「レストラン・キハ」としてテーブルが設置されているが、
でも、細部にはこういうものも、そのまま残されていて。
いまも、毎週、飛越ゴハチは房総を走り続けているのである。
まもなく菜の花シーズン、近々、大多喜に行きたいと思っている。(おわり)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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