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1999/09/06 急行「だいせん」号・大阪駅始発放送 [車内放送]

本当は出かける予定もあったのだが、疲れがたまって体調がすぐれないのと
休みの日になると天気が崩れるのと...、しばらくの間、撮りに行っていない。

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【2016年1月17日12時02分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

という訳で9月17日の阪堺電軌の撮影記を書き終えて、しばし、ネタ切れ。
今週末、水島臨海鉄道に“出撃”するまでの間、拙ブログは日替わりの小ネタで。

今日は久々に<鉄>の中でも超マイナーな分野、<車内放送マニア>として
<変態鉄>のコレクションから1つご紹介したい。



1999年9月6日の夜、大阪発、福知山線・山陰本線まわりの急行「だいせん」号。
米子車掌区のベテラン車掌さんによる伝統列車に相応しい好放送である。
……  ……

誰にとっても、昔の記憶ほど美化されていくという。
確かに学生の頃だって、イヤなことや辛いことは多かったものの、
いま、思い出してみると楽しかったときのことの方が印象に残っている。

これは趣味活動についても同じだと思う。
高校生になると同時に、<変態ガキ鉄>も外泊を伴う一人旅について親から
(小言を言われつつも...)許可が下りるようになった。
昼食代を浮かせて、小遣いを前借りして、ちょっとだけアルバイトして...

ネットなどまだ一般的でない時代、<鉄>だけではなく、<変態ガキ鉄>には
本の中だけで、写真でしか見たことなかった事物がホントに自分の目の前にある...、
もう驚きと感動の連続だった。

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【1991年頃】 東海道本線・東京駅

とはいえ、高校生にとって可能なのは超が付くほどのビンボー旅行。
そんなときに重宝したのが、臨時列車を含めて全国に残っていた座席(自由席)の
夜行列車。周遊券がまだまだ健在だった時代、“大垣夜行”を筆頭に
「夜行列車の自由席」こそが<変態ガキ鉄>のホテルだった。

……  ……

「夜行列車で旅をした世代です!!」と、今なら、自分より若い<鉄>な皆さんに
自慢してしまうが、当時は「なんで好んでこんなことしているんだろう」と。

いすみ鉄道で「キハの夜行列車」などという企画があって参加したこともある。
でも、当時は夜行列車というのはどちらかと言えば辛い思い出。

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【2014年11月24日1時21分】 いすみ鉄道・キハ28 2346車内

硬いイスで殆ど眠れず...、空腹と疲れと...
薄暗く減光された車内、真っ暗闇の中に時折見える家々の明かり...
大袈裟ではなく、絶望的な気分になるときもあった。駅弁もコンビニも
見つけられず、絶望的なまでの空腹に悩まされたり。それより辛かったのは、
1週間近くも夜行列車で連泊を続けると、そう、風呂にも入れず着替えもできず。
全身、垢まみれ。お店で他の客から“隔離”されそうになったり、辛い経験もした。
そんな者のために(?)「駅前銭湯情報」などという本まで出版されていたっけ。

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【2013年4月28日13時00分】 しなの鉄道・西上田駅

さて、当時、まだ急行列車というのが全国にいくつか残っていた。
自分が旅するようになった時期には、すでに分割民営化でJRが発足後。
こげ茶色や紺色の旧型客車を連ねた夜行急行に乗車することはなかったが、
12系・14系といった青い客車を連ねた急行列車の自由席には何度となく。

と、前置きが長くなっているが、当時、まだ数多く残っていた夜行列車の中で
「夜行急行」だけは違っていた。

それは、自由席、指定席、グリーン車、B寝台、A寝台と連結していた「きたぐに」を
筆頭に、座席車と寝台車の併結編成が多かったこと。大抵はB寝台車数両+座席車。
ビンボー学生が周遊券で乗れるのは自由席車。
慣れれば「自分にあった姿勢」を見つけられるとはいえ、
でも、硬いイスでヘンな姿勢で寝るので、毎晩、辛いこと辛いこと。

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でも、その隣にはブルートレイン、特急寝台列車からのお下がりのB寝台車。
1,260円の急行料金に加えて6,300円のB寝台料金。
「いつか、自分で寝台券を買って旅がしたい」と思いつつ、
混雑する自由席で...

そんな中、自分が大学生になって、講義にも出ないでバイトに明け暮れ、
超贅沢学生になっていた頃、座席車から始まって、念願の寝台車へ。
何度も乗ったのが大阪と出雲市を結ぶ急行「だいせん」号だった。

その急行「だいせん」号も、ディーゼル化されて寝台車の連結を取りやめ。
直前に、まさに<葬式鉄>として出かけたのがこのとき。

1999年9月6日 晴れ

新幹線で新大阪。南海汐見橋線などを訪問した後...

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【1999年9月6日】 東海道本線・大阪駅

22時半、なぜかこの日は重連、朱色のDD51型ディーゼル機関車に牽かれた
客車急行「だいせん」号が入線。

大学生の頃の一時期、<変態ガキ鉄>はメモ帳を携行し、旅行先で見た、乗った...
<鉄>も<非鉄>も詳細すぎるほどの詳細なメモを作成し、帰宅した後、
それを覚え立てのパソコンで整理する...という、いまでは考えられないような
マメな行動をしていた。

そのファイルを紐解けば、この日の編成は...

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客車の受け持ちは宮原(大阪)、対して機関車の受け持ちは後藤(米子)だった。
関西地区での臨時運用や工臨に使うディーゼル機関車の送り込み、返却を兼ねていた
当時の「だいせん」号、客車5両の軽い荷を重連牽引はそのためだろうか!?

1-3号車、前側3両が14系15型B寝台車、4号車は指定席、5号車だけが自由席。
福知山線方面の終電を兼ねていた「だいせん」号、通勤客を中心に5号車には長蛇の列。
ちなみに、座席車は12系客車だが発生品のリクライニングシートに交換した
3000番台車での運用となっていた。

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座席車のところの長蛇の列を横目に、<変態鉄>が乗り込んだのは1号車。
B寝台車(喫煙)である。タバコを吸わない<変態鉄>が喫煙車にしたのは
過去の経験から。当時、すでに寝台で山陰に向かう人は少数派。
よほどのことがない限り、寝台車は1両あたり数名の乗客しか居なかった。

特に1号車は基本的に無人であることが多く、<車内放送マニア>としては
他の乗客に気兼ねなくマイクをセットできると言うことで。この晩も期待通り...

その車内放送を担当するのは1号車の車掌室に乗務していたベテランの車掌さん。
発車前に録音の許可をとって、MDレコーダのマイクレベルを調整して...

定刻22:55、ドアが閉まる音が聞こえるとDD51ディーゼル機関車の力強いエンジン音。
大阪駅構内のポイントを通過するのと同時に“ハイケンスのセレナーデ”のチャイム。
電子チャイム版ではなくオルゴールのものが使われていた。

「福知山線、山陰線を通ります、急行“だいせん”号の出雲市ゆきです」
で始まるアナウンス、列車編成の案内に続いて各駅の到着時刻が読み上げられる。
1時に福知山、その後も2時、3時台も但馬から山陰にかけての小さな駅を小まめに
拾っていく。

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「倉吉から終点まで快速列車になります」
分割民営化の直前まで山陰本線には夜行普通列車「山陰」というのがあった。
その廃止に伴い影響を受ける、鳥取県~島根県にかけての朝早い通勤・通学客の
便宜を図るため、急行「だいせん」号の倉吉-出雲市間は快速列車として
運転されていた。

当時、アルバイトで使っていたパソコンソフト「一太郎」でいろいろと工夫して
できるだけリアルな時刻表をつくるのに凝っていた<変態鉄>。
このときの「だいせん」号の時刻表も自作していたわけである。

突如、後ろの方で「バタンッ!!」と大きな音。
「ぎゃっ!! 録音N.G.か??」と焦ってしまったが、これは座席車にいたオジサンが
寝台に乗車変更したいとやって来たため。通路のイスを下ろした音だった。
でも、それも寝台車らしいサウンド。通路にある折りたたみ式のイスを下ろして
車窓を眺めるのも寝台車の楽しみだった。

……  ……

最初の停車駅・尼崎駅までの様子を録音して眠りに就くはずが...
なぜかコーフンして1時過ぎの福知山まで覚えている。
長時間停車の福知山駅、いまなら間違いなく三脚とカメラを持ちだして
「バルブ敢行っ!!!!」だが、この当時の<変態鉄>は録音が中心。
(フィルム時代の)EOSくんは帯同していたが、駅ホームでスナップする程度。

その福知山駅を発車した後、眠りについたみたい。

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【1999年9月7日】 山陰本線・米子駅

メモには「伯耆大山駅停車中に客車の屋根を叩く雨の音で目が覚めた」。
雨の降り続く、米子駅で機関車の付け替え作業。
後藤所(米子)のDD51どうしの機関車交換である。
9月初め、6時前なら明るいはずが、この朝は雨。ホームの水たまりに
DD51ディーゼル機関車の朱色が映り込んでいる。
ストロボを焚いて撮っているのは、本当は良くないのだが...。

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【1999年9月7日】 山陰本線・出雲市駅

朝7時に終点・出雲市駅に到着。わずかな乗客を降ろせば、客車は西出雲の車庫へと
回送されていったのだった。

……  ……

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【2002年8月】 東海道本線・大阪駅

この録音の直後、1999年10月2日のダイヤ改正で急行「だいせん」号は
国鉄時代からの寝台+座席客車のスタイルから、特急「エーデル」で使われていた
キハ65形ディーゼル動車2両の座席だけの急行となり、その後、まもなく、
山陰本線の夜行列車自体が終焉を迎える。

北海道新幹線の開業を前にして、青森-札幌間を結んでいた急行「はまなす」が
姿を消した。これは「急行列車」とともに長らく続いてきた、自由席+B寝台という
“正しい夜行列車”の消滅でもあった。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 4

Cedar

正しい夜行列車!なつかしいです。
たまーに寝台に乗ると優越感感じてました、誰にだったんだろうか?
豪華クルーズトレインは営業列車じゃないので、当時乗ると夜行列車とは別物ですね。
by Cedar (2016-10-12 08:27) 

あるまーき

Cedarさん

コメントありがとうございます。
本文にも書いた通り、乗っていたときは辛い記憶も多々あるのですが、なくなってみると懐かしくなります。寝台車の優越感...まさに。
クルーズ列車というのは、自分には縁が無さそうですし、また、撮りに行こうとも思えないです。夜行高速バスは、いまだ根強い人気がありますし、夜行での移動需要を考えれば...、新幹線延伸と引きかえに日本の鉄道が失ったものは大きいような気がします。

by あるまーき (2016-10-12 08:45) 

skekhtehuacso

急行だいせん、なつかしいです!
私もかつて、1984年に乗りました。
当時は20系客車でした。
by skekhtehuacso (2016-10-13 23:07) 

あるまーき

skekhtehuacsoさん

コメントありがとうございます。
20系当時の「だいせん」ですと、ナロネ格下げのナハ21を連結した編成でしょうか? 羨ましい限り。20系寝台車は永遠の憧れなんです。

by あるまーき (2016-10-14 02:47) 

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