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初めての“旧客”乗車記 ~ くしろ湿原ノロッコ号 ~(1996.9.16)<後編> [ローカル客レに魅せられて]

今日の話題に入る前に。
昨日でしたが、いつの間にか、総閲覧数(PV)が1,500,000を突破していました。

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管理画面のこの数字を見て、はじめて超えていたことに気づいたところ。
普段なら、少し前から気になるものなのですが...
今回は、それに気づかないほど、ドタバタしております。

いつも、拙ブログにお越しいただき、本当にありがとうございます。

さて、急遽、出撃したため、中断を挟んでしまったこの話題の後編である。
朝、網走を発って釧網本線を塘路駅へ。釧路湿原の玄関駅であり、運がよいと
駅からそう遠くない所でもでもタンチョウの姿を目にすることができるとか...

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【1996年9月16日】 釧網本線・塘路駅

でも、この日の<変態ガキ鉄>のテンションが上がっていた理由は、
タンチョウではない。念願の旧型客車に乗車できることにあった。


……  ……

1996年9月16日 晴れ

釧路から到着した「ノロッコ」号、多くの観光客が降り立ってきた。
半分くらいの人が、塘路駅から釧路湿原の散策に行く感じだろうか、
残り半数くらいの人は、そのまま折り返しの「ノロッコ」号で釧路に戻る感じ。

早速、<変態ガキ鉄>は、お目当てのスハフ42 2245の車内へ。
当時の印象は、「座席まわりは165系やキハ58系と同じような...」だった。
憧れの“旧型客車”だが、片側(釧路湿原が見渡せる“山側”の座席)は、
撤去されてお座敷のような感じになり、“海側”にはよく見る4人掛けボックスシート。

そのお座敷部分に荷物を置いて、まずは車内写真。

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【1996年9月16日】 釧網本線・スハフ42 2245車内

座席まわりは見慣れた急行型車両のそれと違いはなかったし、壁もペンキ塗りだったが、
でも、窓枠は木のまま、何より天井には蛍光灯ではなく2列に並んだ白熱電球が
ぼんやりと車内を照らしていた。座席が撤去された部分にも灰皿だけは残っているのが、
いまとの違いだろうか。
確認していないが、たぶん、間違いなく「JNR」マークの入った灰皿だと思われる。

でも、<鉄>として気づかねばならない、ツッコミ所があったのだ。
そう、この車両の形式。「スハフ42」は戦後に製造された急行型客車「スハ43系」の
1つ。緩急車、つまり車掌室の付いた客車としては代表形式である。
しかし、スハフ42は本州向け車両。旧型客車の当時、北海道向けの車両だけは
寒冷地対策が強化されており、台車に付けられた車軸発電機が本州のベルト駆動に
対して、北海道版は歯車駆動、客窓も二重窓となり別形式となっていた。
本州の「スハフ42」の北海道仕様は「スハフ44」だったはず。

尤も、国鉄当時は北海道内の列車も厳冬期を除いて、本州の各区所から
予備車を借り入れて運転されることもあったというから、北海道にオハフ42というのも
決しておかしな話ではないのだが...

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【1996年9月16日】 釧網本線・塘路駅

この車両、国鉄末期から別のイベント用車両として使われた後、JR北海道になって
「ノロッコ」号に充当されるようになったらしい。

でも、編成の中間に入ったスハフ42形、せっかくの機会だったのに、車両写真を撮っていない。

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【1996年9月16日】 釧網本線・塘路駅

代わりに、釧路側に連結されていたオハフ51形を。
焦げ茶色の旧型客車の老朽化が進んだために、その置き換えに製造された客車が「オハ50系」。
真っ赤な車体塗色は特急寝台「ブルートレイン」に対抗して(?)、
「レッドトレイン」の愛称で、昭和50年代前半、ちょうど<変態鉄>が生まれた頃に
全国で投入が始まったが、国鉄末期から分割民営化への合理化の流れの中で
あまり活躍できる期間は長くなかった。ローカル線の通勤通学時間帯の輸送力列車に
充当され、平成に入ると、引退するものが多くなっていった。

こちらの車内は、昭和50年代らしい、ちょうど国鉄の合理化が推進されていた当時の
ありきたりの内装である。

……  ……

列車が塘路駅に着くとすぐに車掌さんが線路に降りたって、駅構内外れのポイントの方に
向かっていった。そう、「機回し」である。

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【1996年9月16日】 釧網本線・塘路駅

客車列車の場合は、折返し駅では列車の進行方向に合わせて、機関車を付け替えないと
いけない。大きな駅だと担当の職員がいるものだが、無人駅での折り返しの場合は、
ポイントを切り替えて、機関車を反対サイドへ誘導するのは車掌さんの仕事。

それをスハフ42の開け放たれた窓から撮影したのである。
一連の入れ替え作業が終われば、釧路に向けて発車である。

6_199609_sapporo_kushiro_11.jpeg
【1996年9月16日】 釧網本線・スハフ42 2245車内

「雄大な釧路湿原の眺望が...」と書きたいところ、このとき、
<変態ガキ鉄>に撮ることができた“釧路湿原の風景”はコレだから、
もう笑っちゃうしかない。

「トロッコ」ではなく「ノロッコ」というのは、JR北海道のトロッコ列車の名称で、
“ゆっくり走る”という意味が込められているとか...

車内はかなり余裕があるくらいの乗車率...といっても、
皆さん、2軸貨車改造のトロッコ車に乗っており、わざわざスハフ42形を選んで
乗ったのは、<変態ガキ鉄>くらいなもの。

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それでも、車内では乗車記念の栞をもらうことができた。

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【1996年9月16日】 釧網本線・スハフ42 2245車内

まもなく列車は釧路の市街地に入ってきて、12時半に釧路駅到着。
約1時間の客車列車の旅だったのである。(おわり)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 4

johncomeback

150万PV突破おめでとうございます゚・:*【祝】*:・゚
by johncomeback (2015-07-21 12:29) 

あるまーき

johncomebackさん

コメントありがとうございます。
200万PVを目指して、引き続き頑張って参りたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
by あるまーき (2015-07-21 22:05) 

旅一郎

この客車(スハフ422245)は、昭和60年に最後一年を残して北海道から旧客が消える直前、全検切れまじかのスハフ44系列の検査日を延長させるため、東北本線で6月まで使っていた全検の残っている旧客を貸し出した時のものです。
このスハフ422245だけ茶色ニス塗りだったので、その夏、乗りに行ったのですが、青い40系客車ばかりで、見当たらないと思っていたところ、函館駅で停車中のイベント列車「くるくる駒ケ岳」に改造されているのを発見。「なんてことしてくれたんだ!と、憤慨していました。

その後座席も50系のものに交換され、ノロッコ号になりました。
by 旅一郎 (2017-02-22 19:32) 

あるまーき

旅一郎さん

はじめまして。コメントありがとうございます。
なるほど東北本線で使われていた車輌だったのですね。また、当時から違和感を感じていたシートは50系の発生品だったのですね。茶色ニス塗りのままで残ってくれていれば...本当に勿体ないと思います。原型のまま残して欲しかった。
旧型客車は、運行上の制約も厳しくなっているように聞きますが、また、いつか乗ってみたいと思っています。



by あるまーき (2017-02-23 01:09) 

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