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初めての“旧客”乗車記 ~ くしろ湿原ノロッコ号 ~(1996.9.16)<前編> [ローカル客レに魅せられて]

ネガをスキャンした...ということは、ネタ切れ警報が発令されているという意味。
今日は、大学に入って最初の秋、「北海道ニューワイド周遊券」を片手に
1週間かけて道内を巡った記録の中から、ワンシーンをご紹介したい。

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【1996年9月16日】 釧網本線・塘路駅

<変態鉄>にとって、生まれて初めて乗車した“旧型客車”は、
釧クシ--釧路運輸車両所所属のスハフ42 2245号車だった。
……  ……

車両の分類上、俗に「旧型客車」と称されるグループがある。
尤も、客車(機関車が牽引するスタイルの動力を持たない旅客車)自体の製造が
事実上、途絶えてもう数十年が経ったので、昨日の記事の「トワイライト」の
24系寝台客車だって、もう十分“オッサン世代”。“旧型”といえる部類。

「固定編成客車」と呼ばれた20系寝台客車以降の客車を「新型」とするのが通例。
編成端に“電源車”を連結し、ここに大型発電機を置いて冷房用など編成の客車全体の
電源をまかなうシステムを採用したのが特徴だった。

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客車の床下に4~6両に給電可能な発電機を備えることで、“電源車”を不要とするシステムの
青い客車(12・14系)が登場したのが、ちょうど「大阪万博」の前後。
これらを中心に“新型客車”のグループが形成されていった。

だから、<鉄>の用語としての「旧型客車」というのは、大雑把に言うと、
戦後、昭和30年代頃までに製造された、焦げ茶色の車体、車内は木でできていて
ニス塗りの車内、重厚なボックスシートがずらりと並んだグループを指す。
冷房のなかった当時、電源は、1両ずつ車軸発電機で走行中に発電した電力を
床下に付けられた蓄電池箱のバッテリーに蓄え、それで車内照明を賄っていた。

1両ずつに完結するシステムなので連結相手を選ばず、機関車にも特別な構造は不要、
雑多な客車が連結され、形式も車体塗装もマチマチな編成で全国各地のローカル列車に
充当されていた。

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でも、客扉が手動式で場合によっては編成最後部もチェーンを巻いただけ...が普通だった

ちなみに、ちあきなおみさんの名曲「喝采」に出てくる「動き出した汽車に...」というのは
そういう手動ドアの旧型客車時代ならではの詞。今では危険防止のため、イベントに使われる
旧型客車については各デッキに車掌が立って、走行中の出入りを制限するか、
JR東のように、ドアロック機構を改造で追設するかなので、あの歌詞をマネするのは不可能。

でも、いま、50台以上の世代の方で、地方で“汽車通学”を経験された方の中には、
もしかしたら、「動き出した汽車」のデッキにつかまって乗ったり、停車前にドアを開けて
飛び降りたりした経験をお持ちの方がいらっしゃるのかも。

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旧型客車列車、分割民営化を前にして、わずかに残っていたローカル線の客車列車も
50系や急行型12系のローカル転用車に置き換えられ、イベント用に残された数両以外は
営業運転を終えたのだった。<変態鉄>がカメラを持って全国を回り始める数年前のこと。

焦げ茶色の紺色の、ちょっとくたびれた客車を機関車が牽引するローカル列車...
<変態鉄>にとっては、模型で再現するくらいしかできなかった“憧れの存在”に、
わずかな区間ながら乗車する機会を得たのは、「大学生と称するフリーター」1年生の秋。

勉強嫌いで有名だった<変態ガキ鉄>、理工系志望でありながら「浪人=<鉄>活動1年延期」
だけは是が非でも回避しないと...、妥協に妥協を重ねて行き着いた先は、某大学の商学部。
もちろん、入学してしまえば大学の講義は全然興味がわかない話題ばかり、アルバイトして
貯めたおカネで全国を飛び回ったのだった。

大学1年生の秋、1週間かけて北海道を一周した。当時は<撮り鉄>に夢中になる前。
一眼レフは持っては居たが、列車の写真は駅撮り程度。このときは早朝の稚内で、
あのドームの下を歩いたり、博物館・網走監獄を訪れて、映画化されて有名になった
脱獄犯の収監されていた房などを時間をかけて見学したのだった。
いまからすれば、そんなことしないで、線路際に立っていれば...と後悔しているが。

1996年9月16日 晴れ

その網走を出る早朝の列車、釧網本線の釧路ゆきはキハ54形の単行だった。

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【1996年9月16日】 釧網本線・網走駅

北浜、原生花園、知床斜里、摩周...、「北海道」のイメージ通りの雄大な車窓。

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【1996年9月16日】 釧網本線車内

でも、こんな写真しか残していないのが、当時からの<変態鉄>のダメっぷり。
運転免許を持たない<変態鉄>ではあるが、いつか知床半島は訪れてみたいな...と。
森繁さんというか、ヘンなオバサンが歌っている「知床旅情」というのも好きな曲。

おっと、話がそれすぎている。

そのキハ54の普通列車を塘路駅で下車。駅前には小さな雑貨店が1つだけあっただろうか。
すでに記憶も曖昧なのだが、その店頭に1日か2日遅れの朝刊が売られていたことに、
北海道の広さを実感した、というか、東京で育った者として、カルチャーショックのような
そんな感覚をおぼえたような気がする。

駅前の広~~い空間に「北海道らしさ」を感じつつ、駅でしばし待っていると...

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【1996年9月16日】 釧網本線・塘路駅

客車とお揃えの白地に緑のラインの塗色、DE15型ディーゼル機関車を先頭に、
「くしろ湿原ノロッコ号」が到着した。

機関車に続いて「トロッコ車」、2軸貨車改造車が2両、その後ろ、カーブにかかって
見えにくい位置だが、いよいよ、スハフ42形客車に乗り込むのである。(つづく)

……  ……

と、本文に入る前に終わってしまう今日の拙ブログ。
ネタ切れ警報が発令されている状況なので、続きは明日の記事までお待ちください。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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