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紅白の思い出、いま、逢いに行きたい。 [スカーレットのトラムたち[名鉄岐阜線]]

拙ブログの初期に、こんな記事を書いていた。

http://gohachinihachi0309.blog.so-net.ne.jp/2011-12-02

自分が、はじめて意識して、線路端に立って走っている列車にカメラを向けたのは
岐阜の街中だった。

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【1991年7月25日】 名鉄岐阜市内線(当時)・西野町-早田

これが、初めて撮った「鉄道写真」。
真紅の電車が行き交うのに、何度となくカメラを構えたのだった。

でも、この日から約15年、2005年春に名鉄岐阜線は全廃。
<変態鉄>の“原点”は失われてしまったのである。

その廃止からも10年、その間、何度か岐阜の街を訪れる機会はあったのだが...
……  ……

岐阜市内を訪れれば、必ず立ち寄る場所がある。
訪問の度に立ち寄って、全く同じ写真を撮っている。相変わらずの<変態野郎>。

それが、金(こがね)公園。岐阜駅から真正面に伸びるのが金華橋通り。
それとかつての電車通りの交差点が金神社前。その神社に隣接する金公園の片隅に...

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【2010年6月25日14時57分】 岐阜県岐阜市・金公園

紅白の電車が保存されている。丸窓電車510形である。
丸い前面は、大正から昭和初期につくられた私鉄電車に多く見られた特徴。
戸袋窓が楕円形なので丸窓電車と言われた。

岐阜市内線は、郊外の黒野・本揖斐・谷汲方面の揖斐線と直通運転をしており、
その直通急行に充当されていたのが、この丸窓電車だった。
でも、平成になった時点で車齢は60年あまり、すでに予備車的な位置づけで、
会えるか会えないかは、まさに“時の運”だった。

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【1992年1月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・西野町電停

でも、頻繁に岐阜を訪れていれば、結構な確率で遭遇することができた。
とはいえ、いまより遥かに拙い撮影技術、停車中の姿写真ですらなかなか撮れず、
当時は、これくらいしか撮れなかったのだ。

……  ……

「510形をちゃんと撮っておきたい!!」
そうは思っていたものの、なかなか岐阜を訪れる機会に恵まれず...
何とか撮ることができたのは、岐阜線全廃が発表され、多くの“同業者さん”が
訪れるようになってから。まさに<葬式鉄>だった。廃止秒読み段階での撮影。

各方面から情報を収集すると、どうやら510形が団体貸切列車として走行するらしい...

2005年早春、前夜から岐阜のホテルに泊まって、撮影に訪れた。

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【2005年2月頃】 名鉄美濃町線・上芥見電停付近

「西北の杜」号というのは、どこかの大学鉄研の貸切列車の名称だそうだが、
この日は、黒野から岐阜の市街地を通り抜け、美濃町線に入り、そのまま美濃まで
往復することになっていた。徒歩、電車、そしてタクシーを駆使して岐阜の街を
西へ東へかけずり回って、何度も撮った。

徹明町交差点では、普段、通らない美濃町線と岐阜市内線の連絡線を通るシーン、
市内随一の繁華街、その交差点、車道まで埋め尽くす<鉄>たちで大混乱だったのを
いまも良く覚えている。クラクションと注意を促す笛の音...、そんな中、
<変態鉄>も、夢中でシャッターを押し続けたのだった。

そんな徹明町電停のすぐヨコにタクシーの営業所があるのを知っていた<変態鉄>。
混乱気味の徹明町で撮った直後、タクシーに飛び乗って駆けつけたのは、
冒頭の写真を撮った、忠節橋南交差点だった。

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【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線・早田-西野町

市内線を1~2往復するダイヤになっていたように記憶している。
喧噪を余所に思い出のポイントで、最後の1カットを撮ったのだった。

……  ……

忠節橋を渡った先で、線路は道路から離れ、西に進路を変える。
自社系スーパー併設のちょっとしたターミナル駅だった忠節駅からは名鉄揖斐線と
名前を変え、黒野に向かうのだった。

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【1991年12月30日】 名鉄揖斐線・旦ノ島-尻毛

そして、自分が路面電車以外で、初めて走行シーンを撮影しようとして駅間の撮影地を
訪れたのも、この名鉄揖斐線だった。尻毛(しっけ)駅の近くにあった伊自良川鉄橋。

750形という、これまた、渋い電車が行き来していた当時である。

その車庫があったのは、後に末端区間廃止で終着駅になった黒野である。

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【2005年2月頃】 名鉄揖斐線・黒野駅

いかにも「私鉄電車のターミナル」という雰囲気が残っていた...と書きつつ、
そういう写真は一切撮っていない。車両ばかりにしか目が行かなかった当時の
<変態鉄>、あと10年早く生まれていたら、いまの地鉄電車のように、揖斐線沿線の
駅や情景を撮りに通い詰めていたような...。

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【2005年2月頃】 名鉄揖斐線・黒野駅

このときの“お目当て”は市内で走行シーンが撮れなかった510形の姿を探すため。
駅に隣接した車庫でお昼寝中だった。

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【2005年2月頃】 名鉄揖斐線・黒野駅

そして、この駅の様子を撮った数少ない1枚、とはいえ、非常に中途半端な写真だが。
この右隅に渋い駅舎が写っている。

……  ……

最近まで知らなかったのだが、この駅舎は廃線後も解体されずに地元自治体が
「鉄道公園」のように整備したとのこと。駅舎はパン屋さんになったとか。

ホームの一部も残されたらしく...

この一画に「1年間限定」で丸窓電車510形が「里帰り」しているとか。
ちなみに、廃線まで残った丸窓電車は3両、金公園の他、美濃駅と谷汲駅に
保存されている。このうち、美濃駅にいる個体を借り受けたらしい。

黒野駅に里帰りした丸窓電車を撮りに行きたいと、模索を続けている。
その気になれば日帰りもできそうだが、でも、行くとなれば...

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【1991年10月頃】 近鉄北勢線(当時)・西桑名駅

一度だけ、そして1枚だけしか記録していなかった、この路線。
近鉄からは切り離され、車両の塗色も変更されたが、この“特殊狭軌線”も。
ここもあそこも行ってみたいと、プランつくりが進まないのである。

あぁ、早く行ってみたい。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 2

sarusan

懐かしい我が町の電車です、廃線に成り電車も美濃、谷汲、金公園に配備され展示ですね。
この市内電車には何度も乗車でした。
by sarusan (2015-06-24 14:23) 

あるまーき

sarusanさん

コメントありがとうございます。
自分にとっても岐阜は思い出の街なのです。お城も登りましたし、鵜飼も行きました。その当時、カメラを触りはじめた頃で、ちゃんとした写真をほとんど残していないのが悔やまれます。
2005年の廃止直前の岐阜市街の写真はまだまだ眠っていますので、機会があれば紹介していきたいと思います。
by あるまーき (2015-06-24 20:10) 

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