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「ちんでん」を撮りたくて...(82)22年前の沿線風景。 ['90sのトラムたち]

ちょっといろいろとあって、記事の更新が普段より遅れました。
24日の富山での話題は、もうしばらくお待ち下さい。

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・住吉電停付近

ということで、今日も大阪ミナミと堺市は浜寺を結ぶ、阪堺電車-ちんでんの話題。
こんな拙い写真でも、いまでは見られなくなった車両も写っている。
さらに、20年前の街の様子がわかったり、<変態ガキ鉄>が<変態鉄>になる間の
撮影技術の変化がわかったり...と、何かのお役に立てれば。

と、エラソーに書いておいて、記憶が曖昧な上に資料も見つからず、
写真の羅列でお茶を濁してしまう、何とも、テキトーな記事である。

……  ……

(1)やっぱり、住吉にて。

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・住吉電停付近

「住吉公園」ゆきを表示して住吉の“十字路”を直進するのはモ701号車。
この当時としては、特に珍しくなかったのは一昨日の記事にも書いた通り。
このモ701形は、1987年から製造が始まった当時としては“新型車両”、
昭和一ケタ生まれの半鋼製電車が中心の同線では、当時、数少ない冷房車だった。

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・住吉電停付近

それにしても、余程、このポジションに長時間滞在していたのか!?
「天王寺駅前」ゆきとなって、住吉電停に到着する姿も撮っていた。
でも、こちらは道路上を走る阪堺線。つまり、我孫子道からの天王寺駅前ゆき。
つまり、このモ701が1往復する間、ずっと居たと言うことか!? 恐るべし、<変態ガキ鉄>。

もちろん、旧型車もたくさん撮っている。

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・住吉電停付近

阪堺線を直進して北上していくのはモ165号車だろうか。
それから、22年後、この電車は“南海色”を纏って走っていたのだった。

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【2011年10月24日8時25分】 阪堺電軌阪堺線・住吉電停付近

これは前記事に載せた写真。広告主が変わって落ち着いた配色になった。

さらに、もう1両。

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・住吉電停付近

モ121型127号車である。こちらは、いまでは過去帳入りした形式。
と言っても、当時の<ガキ鉄>には上の写真のモ161型と区別がつかなかった。
簡単に見分けがつくのは、車体の裾部とドアは配置。
車体裾、台車部分の切れ込みがモ121の方がモ161より深くなっており、
あと、モ161型は前・中・後ろの3扉が(外観上)残っていた。
一方のこちらは、前・中扉だけ。
ちなみに、こちらのモ121型は大阪市交通局1601型の譲受車である。

(2)お酢はタマ※イ!?

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・大和川検車区付近

住吉から、浜寺方面に4つ目の電停が「我孫子道」。なぜか電車の方向幕は平仮名表記。
ここの電停に隣接して車庫がある。これがまた、なかなかの規模なのである。
この構内には「デト」というヌシのような凄い存在がいるのだが、そんなことには
まったく興味無しだった<変態ガキ鉄>、この手前に居る電車を発見して大喜び。

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・大和川検車区付近

こちらも、阪堺ではすでに過去帳入りした電車だが、京都市交通局1800型を譲り受け、
モ251型として運転していた。
“お酢はタマ※イ”というのは関西ではよく知られた広告とか!?
でも、広告塗装を纏っていても、当時でも「ほとんど稼動していないらしい」と。
後にイベントで“京都市電色”に塗色変更されたり、そういったことは鉄道雑誌で
見ただけ。行くこともできないまま、乗ることもできずに全車廃車になってしまった。
どうやら、1両だけいまも車庫内に保管してあるとか、ないとか。

(3)大和川鉄橋

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・我孫子道-大和川

これぞ、<変態ガキ鉄>の無知、何とももったいないことをしていたのである。
「ここは凄い」と本の中で読んでいて、そして訪問したわけだが...
こういうプレートガーター橋というのは、電車の足回りが隠れてスッキリとした
車両写真が撮れないわけで...、テキトーに撮った1枚だけ。
鋼管でできた橋脚を見て「結構、ショボい鉄橋だなぁ~」と思ってしまった次第。

ちなみに、この橋梁。1911年(明治44年)に架けられた横河橋梁製作所
(現・横河ブリッジ)で製造されたとされるプレートガーター橋なのである。
これを撮った時点でも80年、いまでは100年が経過しているのである。
橋台部分は赤レンガ造りとか...、もっと観察しておくべきだった。
その価値を全く理解しなかった、当時の<変態ガキ鉄>だったのである。

この大和川を境にして、大阪市から堺市に入る。

(4)センターリザベーション

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・撮影地不詳

堺市に入ると、綾ノ町電停付近から御陵電停付近まで、電車は紀州街道の中央を走る。
ちなみに、御陵電停を降りてまっすぐ進めば、仁徳天皇陵の近くまで歩けるはず。
尤も、仁徳陵の最寄り駅は阪和線の三国ヶ丘の筈だか。

話は逸れるが、<変態ガキ鉄>は小学校5~6年生で初めて日本史というのを勉強して
興味を持ったのは戦国時代でも幕末でもなかった。なぜか、一番惹かれたのが
古墳時代だったという、そんなヘンなガキだったのだ。いまから1500年以上も前に、
あれほどの大きな墳墓をつくるという凄さに勝手に感動して、古墳の形式や大きさ、
埋葬品など、本を読み漁っては、妙な知識ばかり増やしていたのだった。
でも、残念ながら「前方後円墳」だって、近くで見れば小高い丘に過ぎないわけで...
航空写真のようにはいかない。とはいっても、山陽電車の舞子公園駅近くに、
往時の姿に復元された古墳(五色塚古墳)があると聞いて、
中学1年生の夏休みに、家族旅行で連れて行ってもらったという...変態っぷり。
なぜか、何をしても、周りの人たちとはちょっと違った方向に興味をもつのが、
<変態鉄>の昔からの特徴でもある。

さて、話を阪堺電車に戻すと...

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・撮影地不詳

この区間、道路の中央に位置しながら、道路とは植込みで完全に仕切られ、
道路中央の専用軌道を走っているのである。狭い道をクルマに阻まれながら進む、
そういう路面電車に惹かれる<変態鉄>としては、不本意ながら、
でも、こういう構造を「センターリザベーション」と呼ぶという、そんな知識を
本で読んでしまえば、訪れずには居られなかった。

とはいえ、そんなことを言わなくても、都電荒川線などもこれに似た構造だが...

それにしても、その区間のどこかで撮ったこの写真、軌道中央に立って撮っている。
「よい子は絶対にマネしてはいけない」撮り方である。若気の至りでお許し願いたい。

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【1993年8月1日】 阪堺電軌阪堺線・撮影地不詳

でも、やっぱり車両写真の撮りにくい地点は、<変態鉄>には不満だった。

と、余計な話ばかり書いているうちに、長くなってしまった。続きは明日へ。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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