20年前の豊鉄東田本線 <後編> ['90sのトラムたち]
本当に、90年台中盤まで中学・高校時代は、トラムばかり撮っていた。
中学時代に全国に出かけるようになって、少しずつ、撮り貯めると、
やはり「全部撮りたい!!」という気持ちが高まり、高校1年生だった1993年、
一大決心、全国20余りの都市を1年間かけて撮り歩いたのだった。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・新川-駅前
それにしても、酷い写真ばかりなのだが、20年経ってから見てみると、
走っている車両の世代交代、沿線風景の変化、さらには京都(京阪京津線)や
岐阜(名鉄岐阜線)などのように路線自体が過去帳入りしていたり...
こんなロクでもない写真であっても、貴重な1枚となっているような...
そんな中から、1993年5月に訪れた豊橋のトラムの姿を。
広告塗装を纏った電車たちが行き交う姿を必死で撮ったのだった。
駅前大通で撮った写真の背景には、建て替え前の豊橋駅舎も写り込み、
そんなことも貴重な記録となった。
…… ……
このときも「大垣夜行」で早朝、現地入りしたような。
相当、眠かったはずだが、それでも朝早くから撮り続けていたのは、若かった証!?
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・新川-駅前
では、1993年の駅前大通りから。
現在、この写真手前に写る横断歩道に隣接して「駅前大通」電停が設置されている。
逆にこれを撮った歩道橋は撤去され、現存しない。
写真をもう一度見てみると、まず、市電の線路、すぐ後ろの交差点のところで
電停のホームが見える。ここが、旧駅前電停。昨日の記事の写真を撮った地点。
そのバックに見える白い建物、これが豊橋駅の旧駅舎。駅前広場に覆い被さるように
ペデストリアンデッキが設置された現在と違い、青空が見える豊橋駅前。
これが、いわゆる「民衆駅」と呼ばれたタイプの駅舎、その第1号。
戦後の復興期に全国に造られた駅舎、地元資本の出資により商業施設を伴って、
建設された駅舎、後にこれを「駅ビル」と呼ぶようになった。
「ステーションデパート」と呼ばれたのは、基本的にこのタイプの駅舎である。
これも、イマドキの橋上駅舎に建て替えられ(1996年)、その姿を見ることはできない。
【2013年10月28日7時24分】 豊鉄東田本線・駅前-駅前大通
その駅舎建て替え後、駅前電停が本当に駅のすぐ前に移転。
JR線を降りて、横断歩道を渡ることなく市電に乗り換え可能になった。
さて、そんな20年前の豊橋駅前、その写真に写っている電車。
どこかで見覚えがあるような...
【2014年10月5日10時13分】 都電荒川線・荒川電車営業所
そう、こちら。都電荒川線の7000型。
冷房化率向上などを目的に、この直前に東京都交通局から豊橋鉄道に移籍。
と、書けば、アッサリなのだが...
軌間の変更(1,372 mm → 1,067 mm)、ドア下ステップの取り付け、それに伴う
客扉の移設などなど。都電7000型のうちで冷房化改造の対象から外れた車両を
2両ずつ2回に分けて、4両を譲り受けたもの。その2両目。
都電7000型冷改車に準じた塗装で登場したが、まもなく広告塗装を施す
予定があったため、濃淡の緑帯を一部省略した簡略塗装での登場だった。
でも、わずかな期間しか見られなかった都電風塗装の豊鉄3500型。貴重なシーン。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・新川-札木
新川の交差点で電車は90度進路を変える。
そのカーブですれ違う2両はともに3100型、名古屋市電1400型を同線廃止時に譲受したもの。
昨日の記事では日通の広告塗装の車両を貼ったが、
奥の3101(?)号車は非冷房車。「豊橋丸栄」の広告車だが、同デパートも現在は
「ほの国百貨店」に改称、いまでは見ることができない。
手前の3106号車は屋根上に冷房装置が見える。こちらは、大手コンビニチェーンの
広告塗装、でも、同チェーンのロゴも変わり、いまでは貴重な1枚??
…… ……
この日の撮影地は、おもに東田坂上電停だった。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・東田坂上電停(?)
市街地の外れという感じか、高い建物もなく道路幅もそう広くない。
一部に石畳軌道が残っているほか、線路付近の舗装が荒れているなど、少し前の
路面電車らしい光景。それにしてもネガの痛みが...
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・東田坂上電停
さて、そんな東田坂上電停、“坂上”の名称が示す通り、隣の前畑電停から
急勾配を上りきった先にある。200 mmレンズに交換して「急勾配」の感じを
表現したくて悪戦苦闘。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・東田坂上電停
電停ホームから後追いで駅前ゆきの3502号車。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・東田坂上電停
しばらく待つと、電車の上半分しか見えなくなる...。
と、これで急勾配の感じが伝わったのだろうか??
当時の自分にはこれが限界、いや、いまの自分にもこれが限界。
表現力の無さは全く変わっていないのである。
ちなみに、2013年の同一地点。
【2013年10月28日9時54分】 豊鉄東田本線・東田坂上電停
駅前とは違って、こちらは20年経っても目立った変化は見られない。
3500型が広告塗装に替わっている程度!?
1993年と2013年、20年後に撮り直した街。
これからも、準備ができたモノからご紹介したいと思う。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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中学時代に全国に出かけるようになって、少しずつ、撮り貯めると、
やはり「全部撮りたい!!」という気持ちが高まり、高校1年生だった1993年、
一大決心、全国20余りの都市を1年間かけて撮り歩いたのだった。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・新川-駅前
それにしても、酷い写真ばかりなのだが、20年経ってから見てみると、
走っている車両の世代交代、沿線風景の変化、さらには京都(京阪京津線)や
岐阜(名鉄岐阜線)などのように路線自体が過去帳入りしていたり...
こんなロクでもない写真であっても、貴重な1枚となっているような...
そんな中から、1993年5月に訪れた豊橋のトラムの姿を。
広告塗装を纏った電車たちが行き交う姿を必死で撮ったのだった。
駅前大通で撮った写真の背景には、建て替え前の豊橋駅舎も写り込み、
そんなことも貴重な記録となった。
…… ……
このときも「大垣夜行」で早朝、現地入りしたような。
相当、眠かったはずだが、それでも朝早くから撮り続けていたのは、若かった証!?
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・新川-駅前
では、1993年の駅前大通りから。
現在、この写真手前に写る横断歩道に隣接して「駅前大通」電停が設置されている。
逆にこれを撮った歩道橋は撤去され、現存しない。
写真をもう一度見てみると、まず、市電の線路、すぐ後ろの交差点のところで
電停のホームが見える。ここが、旧駅前電停。昨日の記事の写真を撮った地点。
そのバックに見える白い建物、これが豊橋駅の旧駅舎。駅前広場に覆い被さるように
ペデストリアンデッキが設置された現在と違い、青空が見える豊橋駅前。
これが、いわゆる「民衆駅」と呼ばれたタイプの駅舎、その第1号。
戦後の復興期に全国に造られた駅舎、地元資本の出資により商業施設を伴って、
建設された駅舎、後にこれを「駅ビル」と呼ぶようになった。
「ステーションデパート」と呼ばれたのは、基本的にこのタイプの駅舎である。
これも、イマドキの橋上駅舎に建て替えられ(1996年)、その姿を見ることはできない。
【2013年10月28日7時24分】 豊鉄東田本線・駅前-駅前大通
その駅舎建て替え後、駅前電停が本当に駅のすぐ前に移転。
JR線を降りて、横断歩道を渡ることなく市電に乗り換え可能になった。
さて、そんな20年前の豊橋駅前、その写真に写っている電車。
どこかで見覚えがあるような...
【2014年10月5日10時13分】 都電荒川線・荒川電車営業所
そう、こちら。都電荒川線の7000型。
冷房化率向上などを目的に、この直前に東京都交通局から豊橋鉄道に移籍。
と、書けば、アッサリなのだが...
軌間の変更(1,372 mm → 1,067 mm)、ドア下ステップの取り付け、それに伴う
客扉の移設などなど。都電7000型のうちで冷房化改造の対象から外れた車両を
2両ずつ2回に分けて、4両を譲り受けたもの。その2両目。
都電7000型冷改車に準じた塗装で登場したが、まもなく広告塗装を施す
予定があったため、濃淡の緑帯を一部省略した簡略塗装での登場だった。
でも、わずかな期間しか見られなかった都電風塗装の豊鉄3500型。貴重なシーン。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・新川-札木
新川の交差点で電車は90度進路を変える。
そのカーブですれ違う2両はともに3100型、名古屋市電1400型を同線廃止時に譲受したもの。
昨日の記事では日通の広告塗装の車両を貼ったが、
奥の3101(?)号車は非冷房車。「豊橋丸栄」の広告車だが、同デパートも現在は
「ほの国百貨店」に改称、いまでは見ることができない。
手前の3106号車は屋根上に冷房装置が見える。こちらは、大手コンビニチェーンの
広告塗装、でも、同チェーンのロゴも変わり、いまでは貴重な1枚??
…… ……
この日の撮影地は、おもに東田坂上電停だった。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・東田坂上電停(?)
市街地の外れという感じか、高い建物もなく道路幅もそう広くない。
一部に石畳軌道が残っているほか、線路付近の舗装が荒れているなど、少し前の
路面電車らしい光景。それにしてもネガの痛みが...
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・東田坂上電停
さて、そんな東田坂上電停、“坂上”の名称が示す通り、隣の前畑電停から
急勾配を上りきった先にある。200 mmレンズに交換して「急勾配」の感じを
表現したくて悪戦苦闘。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・東田坂上電停
電停ホームから後追いで駅前ゆきの3502号車。
【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・東田坂上電停
しばらく待つと、電車の上半分しか見えなくなる...。
と、これで急勾配の感じが伝わったのだろうか??
当時の自分にはこれが限界、いや、いまの自分にもこれが限界。
表現力の無さは全く変わっていないのである。
ちなみに、2013年の同一地点。
【2013年10月28日9時54分】 豊鉄東田本線・東田坂上電停
駅前とは違って、こちらは20年経っても目立った変化は見られない。
3500型が広告塗装に替わっている程度!?
1993年と2013年、20年後に撮り直した街。
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2014-10-25 00:09
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