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ローカル客レに魅せられて(4) ~ 久大本線 ~ [ローカル客レに魅せられて]

かなり間隔の空いてしまったこの話題。
初回は、拙ブログ初期に書いた樽見鉄道(岐阜県)を訪れた時のもの。(→ こちら

<変態鉄>が大好きな列車に「客車列車」というのがある。
「電車」や「ディーゼルカー」が主体の日本の旅客列車、“動力分散式”と呼ばれ、
客室の床下にモーターやエンジンなどの動力を持っている。
しかし、機関車が先頭に立ち、その後ろには動力を持たない、ただのハコ、
客車が連なるという列車が、鉄道の基本スタイルだった。(“動力集中式”)
世界では、今もこちらが主流だが、日本の鉄道は地形・自然環境や社会情勢に合わせて
独自の進化を遂げてきた。

1998_nega1_08.jpeg

寝台特急が消滅の危機にある今、「客車列車」自体も風前の灯火。
でも、分割民営化の前後までは大都市近郊を除けば、全国どこでも普通列車と言えば
機関車が焦げ茶色や紺色の客車を牽いて走っているのが日常だった。
でも、平成に変わって10年が経過した1998年の時点では、全国のJR線で
客車による普通列車が走っていたのは指折り数えられるくらいの線区。

ところで、この頃、自分は「国立にある某国立大学」の典型的ダメ学生だった。
しかも、この年は2年生の次、でも“はじめから、3年生って言えよ!!”という苦情は
受け付けない。2年生の次に3年生にはならなかった自分。
この1年間は“前期課程残留学生”として、必要最低数の講義しか履修登録せず、
バイトをしては、気楽に遊び歩いていたのだった。

そんな自分が、当時、<鉄>として度々訪れていたのが九州。
そこでは、大好きな「客車列車」が最後の活躍をしていた。

珍しく、こんな自分が「旅行記録」をバッチリ残していた。(ホントに珍しいこと)
1998年の秋の1日、久留米(福岡県)から日田、温泉地の由布院を経て大分まで
朱色の機関車が青い客車を牽引する客車列車を満喫した時の話題。
……  ……

1998年11月17日(火)曇りのち晴れ

鹿児島本線で博多駅の1つ手前・吉塚駅近くのホテルで朝5時頃目覚めた。
「出発が早かったから」ではなく、激しい風の音に目覚めたらしい(そんな記憶ないぞ)。
TVを付けると九州内各地には強風などの注意報が出ているとのこと。不安は増した。
でも、同時に“午後から天候は回復”とのことで、その天気予報が当たるのを
期待して、8時過ぎに出発。博多から真っ赤な485系「ハウステンボス・みどり3号」で
佐賀県に入った鳥栖駅に着いたのは、9:14。

お目当ての客車列車は10:00発の豊後森ゆき。

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【1998年11月17日】 鹿児島本線・鳥栖駅

9:20頃、DE10型ディーゼル機関車の牽引で12系客車4連が入線してきた。
12系客車は万博輸送に合わせて、当時の急行型車両に合わせた規格で作られた
「新型客車」、もちろん、万博とは「つくば」ではない。「大阪万博」のこと。
扉は開いたが、乗り込む乗客はわずか。室内灯も消灯されたままだった。

19981117_kyuudai_1823re.jpeg

この日の編成は、こんな感じだった。
「旅行記録」を作るにあたって、バイトで身につけたパソコンの技術を使って、
こんな図を作って楽しんでいた当時...、いまでは絶対にできない。

“車内放送マニア”の<変態鉄>には、ここで“驚愕の事態”が発生する。
発車時刻の10時直前になって、室内灯が灯ると、車掌さんによる車内放送。
その冒頭に「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールが演奏された。
MDレコーダをセットして録音したが、こういう時に限ってマイクレベルの設定に失敗、
録音はボツになった。嗚呼。

通常、急行か特急でない限り、車内放送の冒頭にオルゴールは鳴らさないように
指示している車掌区が多い。だから普通列車の放送にオルゴールが流れるのは、
マニアにとっては“超”がつくほどのレア物だったのである。“逃した魚は大きい”

でもでも...

この日の車掌さん、車内放送に、かなり、こだわりのある方だったらしく、
普通列車にもかかわらず、久留米、日田、豊後森...、主要駅の車内放送では、
必ずオルゴールを使ってくれた。



という訳で、久留米駅を発車、鹿児島本線と別れて南久留米駅に到着する手前までを
録音することに成功した。放送の前後に流れる「ハイケンス」のチャイムは
アナログのオルゴールのもの。

細かい点では「各駅の到着時間をお知らせします」という言葉遣いは、
九州の車掌さん限定。多くは「各駅の到着時刻をご案内します」という。
こういう言い回しや言葉遣いも、地域ごとに少しずつ違うのだ。

普通列車には珍しく、豊後森までの全部の駅の時刻を読み上げてくれた。
“田主丸(たぬしまる)”“うきは”“夜明”“光岡(てるおか)”“天ヶ瀬(あまがせ)”
など、特徴的な名前の駅が多い久大本線の、それらが入ったアナウンスを録れて、
当時の<変態鉄>のテンションは一気に最高潮に達したのだった。

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ちなみに、この当時、久大本線には上下合わせて11本の客車列車が運転されていた。
(コレ、自作の時刻表。当時“一太郎”というワープロソフトを駆使して...)

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【1998年11月17日】 久大本線・南久留米駅

久大本線に入って最初の停車駅・南久留米では、早速、交換列車を待って10分停車。

当時の旅行メモによれば、この日は、夜明駅のすぐ近くで山火事があり、
車窓からも炎が確認できたこと、現場に向かう消防車のサイレンが聞こえてきて
ものものしい雰囲気だったことが記録されている。

日田には11:40に到着、12:14の発車まで34分間の停車となる。
停車中、室内灯は減灯され、大半の乗客が日田で入れ替わった。

IMG_1376.JPG

自分もいったん駅を出て、少し散歩。ホームで駅弁を購入した。

この列車、時刻表上は鳥栖発豊後森ゆきだったが、豊後森に到着するときの放送では
豊後森駅で1時間停車して、そのまま大分ゆきになることが案内された。

当時、荒れ果てた扇形機関庫を見たような見ていないような...写真には撮っていない。
(そういう大事な見どころを、見落としてしまうのが<ガキ鉄>の未熟さ)

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【1994年8月頃】 久大本線・スハフ12形車内

豊後森の先、豊後中村、由布院あたりまでが最も乗客が少なかっただろうか。

機関車次位のスハフ12 67は急行「かいもん」「日南」時代にグリーン車用の
リクライニングシートに交換されていた。残り3両はオリジナルの、青いボックスシート。
4両とも見た目にわかる位、シートは埃っぽく、モケットの生地が破れて
中のクッションが露出しているような状況。外観も青い車体は錆が浮き、塗装が
剥がれていて、車両状態はすこぶる悪かった。

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【1998年11月17日】 久大本線・日田駅

客車列車は、床下にエンジンもモーターもない(スハフ12には発電エンジンがあるが...)
自分が乗っていたのは、機関車から3両目のオハ12、乗客の話し声もしない
昼下がりの客車内、時折、ピーーッというDE10ディーゼル機関車の汽笛の音がする他は
レールの継ぎ目を拾う音しか聞こえてこない...

そういう、本の中で読んだとおりの客車列車の旅を満喫できたのだった。

大分が近づいてくるに従って、市内中心部に向かう短距離利用の乗客が増え、
最後、大分に着く頃には、通路に立ち客が出る程度になった。

終点の大分には15:58、定刻で到着。
自分より上の<先輩鉄>の皆さんからは、「何だよ、客車って言っても12系だろ!?」
と、鼻で笑われてしまうかも知れないが、鳥栖から6時間余り、本格的な
ローカル客レを満喫することができたのは、たぶん、このときだけだった。

大分からは、485系特急「にちりん」で博多に戻った。
まだ、大分駅は地平駅だったと記憶している。

博多ゆき特急「にちりん」の自由席待ちの列に並びながら、久大線ホームに
やって来た16:31発の豊後森ゆき第4830列車を見たと、旅行記録には書かれていた。
そちらは、“レッドトレイン”50系客車。

12系に比べれば、一回り若い、こちらはローカル客レに用いるために製造された
最後の座席車。通勤電車のような内装は、決して、ファン受けするものではなかったが
こちらも既に当時は貴重な存在となっていた。

PICT0346.JPG
【1997年11月9日】 久大本線・杉河内-北山田

前年に、久大本線を走るDE10+50系編成を日田と豊後森の間、
“慈恩の滝”近くの超有名撮影地で撮ったことがあった。

“レッドトレイン”と呼べるかどうか分からない位、色褪せの酷い草臥れた客車。
この日、夕方の大分駅ホームで見た50系もだいぶ色褪せていた。

それから...

PICT0305.JPG
【1997年11月9日】 久大本線・日田駅(写真は、オハ12 1288)

久大本線の客車列車の珍車中の珍車と言えそうなのが、オハ12 1288・1289号車。
緩急車(編成の両端に連結される、車掌室付きの客車)が足りないからと、
中間車のオハ12形のトイレ・洗面所部分を改造、ただ、後方監視用の窓は片側だけ、
車掌室を取り付けたのに、ブレーキ弁を付けなかったか、形式記号を間違えたか、
「車掌室付きのオハ」という不思議な存在だった。

こういう珍車は、<鉄>として興味をそそられるが、逆に言えば、あり合わせで、
最小限度の投資で必要な車両を賄おうという訳だから、この時点で九州の客レの
先行きが長くないことは容易に察しが付いたのであった。

……  ……

最近は、12系だって“絶滅危惧種”。各地で運転されるSL列車に必要な数が
現役で残っている程度。ズラッと並んだボックスシート、青い客車で
長距離を乗り通す汽車旅も、すでに思い出となった。

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モボ

確か乗降客が、開けたり閉めたりしていたデッキと
客室の扉の音が静かになると、客室には物音もしなくなり、
やがて「ガタン」と音がして、車窓が動き出す...
福知山線で乗った、ローカル客レを思い出しました。
by モボ (2014-05-10 16:45) 

あるまーき

モボさん

コメントありがとうございます。
まさに、その感じです。そう、「ガクン」と衝撃があってからゆっくりと動き出すのは、客車列車の証でした。やはり、ローカル客車列車、懐かしいです。
by あるまーき (2014-05-11 20:46) 

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