暑い夏の失敗写真たち(1993年、西鉄北九州線・筑豊電鉄線) ['90sのトラムたち]
何度かこの話題を書いたが、高校生当時の<変態鉄>、全国20余りの都市に残った
路面電車を1年かかって撮り歩いた。
北は札幌から南は鹿児島まで。当時はまだ全国に残っていた座席(自由席)の
夜行列車を何日も連続で利用してのビンボー道中であった。
その中から、夏休みを利用して訪れた西鉄北九州線・筑豊電鉄をご紹介したい。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・熊西付近(?)
いやぁ、酷い。当時の自分の写真の中でもホントに酷い出来映え。
にもかかわらず、撮り直しにも出向かなかった。
この撮影は1993年8月25日、門司から折尾を結んでいた北九州線も、末端区間の
折尾-黒崎駅前間を残して廃線となっており、車両こそ路面電車タイプだったが、
路面併用区間もなく、JR鹿児島本線に寄り添って走る北九州線、
郊外電車の雰囲気の筑豊電鉄...
当時の<変態ガキ鉄>(= 自分)には興味が沸くものではなかったようだ。
苦労して九州まで行った割には、ヤッツケ感の強い写真ばかり。
…… ……
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・黒崎駅前
早朝の黒崎駅前。これぞ西鉄の路面電車といった感じの臙脂色の連接車の姿があった。
でも、あまりテンションは上がらなかった気がする。
道路を走ることのない路面電車...、当時の自分には許せない存在だった。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・折尾駅前
まずは、ロケハンと乗り潰しで終点の折尾駅前へ。
この撮影後、この区間は並行するJR鹿児島本線の駅増設と引き替えに廃止され、
いまや見ることはできない。そういう意味では貴重な写真なのだが...
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・折尾駅前付近
こんな煉瓦造りのアーチ橋を路面電車が走っていた。それにしても、もう少し時間を
ズラして光線状態の良い時間帯に撮り直そうとか、そういう考えはなかったのか...
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・皇后崎付近
そんな中、少しだけ写欲をそそられたのは、中間の皇后崎電停付近。
ほぼ全線に渡って「撮ろうと思えば撮れた」、鹿児島本線との並走シーン。
背後に見える415系も、いまや懐かしの電車となりつつあるが...。
しかし、電柱や信号支柱の処理があまりにも中途半端な1枚。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・皇后崎付近
「なぜ、この地点が気に入ったの??」ということがわかるカット。
何だか、電停標識やホームの感じに「路面電車」を少しだけ感じられたから。
北九州線の主力車600系は涼し気な塗装に塗り替えられていたが、
自分としては、連接車と同じ臙脂色とクリーム色の帯で残っていて欲しかった。
【1993年8月25日】 筑豊電鉄・楠橋-新木瀬屋(?)
北九州線を撮り終えた後は、筑豊直方へ向かった。
途中、車庫のある楠橋で降りて、山陽新幹線との立体交差を撮りに行ったみたい。
もう、記憶も不鮮明。路面電車タイプの電車と新幹線の立体交差というのが
面白いと感じたのだろうが...、何とも中途半端な1枚。
【1993年8月25日】 筑豊電鉄・筑豊直方駅
終点の筑豊直方駅は、いかにも高架線を途中で打ち切ったようなヘンな感じの駅。
というのも、この路線、博多方面を目指すという遠大な構想をもって敷設され、
途中でそれを断念、黒崎と直方を結ぶ生活路線に終始している。
【1993年8月25日】 筑豊電鉄・熊西付近
北九州線と筑豊電鉄は、ほぼ一体の形態で運転されていた。
両線の分岐点付近で筑鉄所属の連接車たちを撮影。この3車体連接車は
西鉄からの移籍組。
【1993年8月25日】 筑豊電鉄・熊西付近
長らく西鉄からの乗り入れ車に頼って、自社では車両を持っていなかったという
筑豊電鉄。こんな軽快な感じの連接車を導入していた。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・黒崎駅前
再び、黒崎駅前に戻ってきた。何だかゴチャゴチャ感の強い街並み。
自分がカメラを構えた、この位置は、少し前までは軌道敷であったはず。
ここから、北九州線は道路の中央に躍り出ていたのだ。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・黒崎駅前
事実、左側には「線路内立ち入り禁止」の表示が残されている。
「路面電車らしいカットが撮れるうちに来たかった」
この“廃線跡”を眺めていたのである。
…… ……
さぁ、いよいよ今夜の夜行高速バスで岐阜・富山への旅に出発する。
そんな自分より一足早く、三脚や着替えはクロネコにより岐阜に向かっていった。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
[お知らせ]
当ブログでは、ただいま「過去記事に nice!+コメント 歓迎キャンペーン」を実施しています。
ぜひ、古い記事も、お読みいただいた際には、記事のご感想などを寄せていただけると
幸いです。コメント欄にお願いいたします。
路面電車を1年かかって撮り歩いた。
北は札幌から南は鹿児島まで。当時はまだ全国に残っていた座席(自由席)の
夜行列車を何日も連続で利用してのビンボー道中であった。
その中から、夏休みを利用して訪れた西鉄北九州線・筑豊電鉄をご紹介したい。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・熊西付近(?)
いやぁ、酷い。当時の自分の写真の中でもホントに酷い出来映え。
にもかかわらず、撮り直しにも出向かなかった。
この撮影は1993年8月25日、門司から折尾を結んでいた北九州線も、末端区間の
折尾-黒崎駅前間を残して廃線となっており、車両こそ路面電車タイプだったが、
路面併用区間もなく、JR鹿児島本線に寄り添って走る北九州線、
郊外電車の雰囲気の筑豊電鉄...
当時の<変態ガキ鉄>(= 自分)には興味が沸くものではなかったようだ。
苦労して九州まで行った割には、ヤッツケ感の強い写真ばかり。
…… ……
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・黒崎駅前
早朝の黒崎駅前。これぞ西鉄の路面電車といった感じの臙脂色の連接車の姿があった。
でも、あまりテンションは上がらなかった気がする。
道路を走ることのない路面電車...、当時の自分には許せない存在だった。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・折尾駅前
まずは、ロケハンと乗り潰しで終点の折尾駅前へ。
この撮影後、この区間は並行するJR鹿児島本線の駅増設と引き替えに廃止され、
いまや見ることはできない。そういう意味では貴重な写真なのだが...
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・折尾駅前付近
こんな煉瓦造りのアーチ橋を路面電車が走っていた。それにしても、もう少し時間を
ズラして光線状態の良い時間帯に撮り直そうとか、そういう考えはなかったのか...
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・皇后崎付近
そんな中、少しだけ写欲をそそられたのは、中間の皇后崎電停付近。
ほぼ全線に渡って「撮ろうと思えば撮れた」、鹿児島本線との並走シーン。
背後に見える415系も、いまや懐かしの電車となりつつあるが...。
しかし、電柱や信号支柱の処理があまりにも中途半端な1枚。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・皇后崎付近
「なぜ、この地点が気に入ったの??」ということがわかるカット。
何だか、電停標識やホームの感じに「路面電車」を少しだけ感じられたから。
北九州線の主力車600系は涼し気な塗装に塗り替えられていたが、
自分としては、連接車と同じ臙脂色とクリーム色の帯で残っていて欲しかった。
【1993年8月25日】 筑豊電鉄・楠橋-新木瀬屋(?)
北九州線を撮り終えた後は、筑豊直方へ向かった。
途中、車庫のある楠橋で降りて、山陽新幹線との立体交差を撮りに行ったみたい。
もう、記憶も不鮮明。路面電車タイプの電車と新幹線の立体交差というのが
面白いと感じたのだろうが...、何とも中途半端な1枚。
【1993年8月25日】 筑豊電鉄・筑豊直方駅
終点の筑豊直方駅は、いかにも高架線を途中で打ち切ったようなヘンな感じの駅。
というのも、この路線、博多方面を目指すという遠大な構想をもって敷設され、
途中でそれを断念、黒崎と直方を結ぶ生活路線に終始している。
【1993年8月25日】 筑豊電鉄・熊西付近
北九州線と筑豊電鉄は、ほぼ一体の形態で運転されていた。
両線の分岐点付近で筑鉄所属の連接車たちを撮影。この3車体連接車は
西鉄からの移籍組。
【1993年8月25日】 筑豊電鉄・熊西付近
長らく西鉄からの乗り入れ車に頼って、自社では車両を持っていなかったという
筑豊電鉄。こんな軽快な感じの連接車を導入していた。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・黒崎駅前
再び、黒崎駅前に戻ってきた。何だかゴチャゴチャ感の強い街並み。
自分がカメラを構えた、この位置は、少し前までは軌道敷であったはず。
ここから、北九州線は道路の中央に躍り出ていたのだ。
【1993年8月25日】 西鉄北九州線・黒崎駅前
事実、左側には「線路内立ち入り禁止」の表示が残されている。
「路面電車らしいカットが撮れるうちに来たかった」
この“廃線跡”を眺めていたのである。
…… ……
さぁ、いよいよ今夜の夜行高速バスで岐阜・富山への旅に出発する。
そんな自分より一足早く、三脚や着替えはクロネコにより岐阜に向かっていった。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
[お知らせ]
当ブログでは、ただいま「過去記事に nice!+コメント 歓迎キャンペーン」を実施しています。
ぜひ、古い記事も、お読みいただいた際には、記事のご感想などを寄せていただけると
幸いです。コメント欄にお願いいたします。
あるまーき様が富山地鉄に嵌ってらっしゃるように、昭和40年代後半のCedarは西鉄北九州線に嵌っていたのでした。
貧乏学生の分際で飛行機で行けるはずも無く、夜行バスもまだ無く、新幹線+在来線で1日の行程でした。当時は北九州線全線が健在で、折尾から乗った電車で車掌に『門司まで』といったら呆れられたのを憶えています。
by Cedar (2013-08-16 22:53)
Cedarさん
コメントありがとうございます。
幼稚園から小学校に上がる頃、買ってもらった路面電車の本に、門司-折尾間の乗車ルポが載っていました(本文が読めるようになったのは、だいぶ年数が経ってからですが...)。
こんな長大路線に乗ってみたかったです。あと数年早く生まれていたら、全区間とは言わずとも、路面併用区間も含めて、「北九州線らしさ」を感じることができたのではないかと思うと、残念でなりません。
by あるまーき (2013-08-17 00:13)
小さな頃母に連れられ、折尾から下到津までよく乗ってたので懐かしい…
よく覚えてませんが中央町という駅あたりで、交差する路面電車にドキドキしてました。
by りんりえ (2017-08-15 03:51)
りんりえさん
コメントありがとうございます。
西鉄北九州線は、自分が撮りに行ってから間もなく廃止になったのですが、このときには、末端の折尾-黒崎だけになっていて、寂しい限りの路線でした。
最盛期には、門司から折尾までの長大な路線で運転本数も非常に多かったので、その当時に撮りに行きたかったものです。
分岐線もあり、交差点に三角形に敷かれた線路...、そんな時代に訪れたかったです。
by あるまーき (2017-08-15 07:43)